国際交流基金アジアセンターでは、対日理解や日本での関係者間ネットワーキングおよび日本における異文化理解促進のために、ASEAN10か国から様々な分野の文化人を招へいする「アジア・文化人招へいプログラム」を実施しています。
今回は2018年12月、シンガポール国立大学東アジア研究所上級研究員のラム・ペンエ先生(国際政治学者)を招へいしました。ラム先生は、東日本大震災の後、シンガポールを含めた近隣アジア諸国から送られた支援がODA(政府開発援助)* 大国日本からの一方的な支援関係に留まらない新たな日・ASEAN関係を築くきっかけとなったと考え、岩手県、宮城県、福島県を中心に政策決定者から市民まで様々な方と意見交換を行いました。活動の一部をご紹介します。
* ODA(Official Development Assistance(政府開発援助))とは、「開発途上地域の開発を主たる目的とする政府及び政府関係機関による国際協力活動」を行うための公的資金のこと。
宮城県の「石巻復興まちづくり情報交流館」では、館長のリチャード・ハルバーシュタットさんに石巻市の当時の被災状況や復興の様子についてお話を伺いました。震災直後、母国英国から帰国を勧告されるも石巻市民に寄り添い、現在は交流館の館長として日英両言語で石巻市を発信し続けているハルバーシュタットさんの話にラム先生は真剣に耳を傾け、シンガポールでもぜひこの災害の教訓を共有したいと語っていました。
つづいて、東日本大震災後の支援をきっかけに友好が深まった岩手県陸前高田市では、市内の震災遺構を視察したほか、「気仙大工左官伝承館」で語り部の話に耳を傾けました。語り部の武蔵裕子さんからは、シンガポールからの寛大な支援に感謝が伝えられ、自分たちのような辛い体験をしなくても良いようにシンガポールでもぜひこの体験を伝えてほしいとの切実な願いが聞かれました。
翌日は、震災後に陸前高田市への移住を決めた若者との座談会に参加し、他地域から移住してきたからこそ見える陸前高田市の魅力、そして課題について議論を交わしました。最後に、参加者の3名から陸前高田市へのアドバイスを求められると、ラム先生は、「日本は人口減少、高齢化という課題を抱えているが、一方でイノベーティブな若者の活躍はすばらしいものがあり、陸前高田市も震災を乗り越えた底力、食の安全など質の高さを武器にどんどん世界に発信するとよいのでは」とエールが送られました。午後は、三陸鉄道が実施する「震災学習列車」に乗車し、3.11のあの日を振返り、改めて被害の大きさを理解しました。
陸前高田市滞在最終日は、「陸前高田市コミュニティホール」を訪問し、シンガポールへの感謝を込めて名付けられた「シンガポールホール」にて市民の方々と郷土芸能を楽しみました。ラム先生は、「シンガポールホール」で市民が生き生きと活動する様子を視察でき、感無量とコメントし、将来的にシンガポールと陸前高田市の市民交流がより活発となるよう帰国後関係機関に働きかけたいと話していました。
ラム先生の報告書
A Trip to Post-311 Tohoku: A Revelation of Reconstruction & Resilience [PDF: 80KB]
ポスト3.11の東北への旅:復興と再起の実態[PDF:178KB]
なお、ラム先生は、2月22日(金曜日)、日本政府とIAFOR(The International Academic Forum)が主催する「The Kansai Resilience Forum 2019」に登壇し、「Post-311 Japan: Resilience & Rejuvenation」というテーマで会場にいらしたビジネスリーダー、研究者、ジャーナリストなど約80名の方々に本プログラムでの調査結果を報告しました。ラム先生は、東日本大震災は大変辛い出来事ではあったが、震災当時、これまで支援を受ける側にあった東南アジア諸国も率先して日本に援助を申し出たことなどに言及し、3.11は日本がより良い国際関係を築くきっかけになったとご自身の分析を話されました。