アルコ・レンツ――ダンス・クリエイションにおける身体、時間、空間、交渉、協働について

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

ダンスとの出会い

山口真樹子(以下「山口」):まず、アルコ・レンツさんがダンサーとなった経緯を教えていただけますか。

アルコ・レンツ(以下「アルコ」):私の両親は社交ダンスのダンサーで、ダンス競技のチャンピオンでした。競技を引退後ダンスの学校を開き、私はそこで初めてバレエを習いました。しかしバレエの厳格な型に自分をはめこむことができず、ごく幼い頃にバレエを始めたものの、まだ幼いうちにやめてしまいました。子供時代は想像し、即興で踊ることが好きでした。コード化された舞踊言語の制限を受けることなく、自由に遊んでいました。両親のダンス学校で過ごした私の子供時代には、常にダンスと音楽があり、動きを通じてつながった人々が集まってきていました。

その後10代の時に演劇を勉強するために、ベルリンそしてパリに移りました。俳優や演出家として研鑽を積みながら、文学や哲学も学びました。パリではコンテンポラリー・ダンスと出会い、舞台への新しいアプローチを見出しました。ピナ・バウシュのダンサーと行ったワークショップは、一人ずつステージの上を歩き、観客に対して「私はダンサーです、なぜなら……」と語るものでした。観客を前にひとり舞台に立った時、私は突然「私が踊るのは、考えることのできないことを言うためです」と言いました。これが私の芸術活動の原点であり、今ここに至るまでつながっているのです。

アジアハンドレッズのインタビュー中のアルコ・レンツ 氏と山口真樹子氏の写真

山口:コンテンポラリー・ダンスといつどのように出会ったのか、詳しく教えてください。

アルコ:私は1992年にコンテンポラリー・ダンスの世界に入りました。先ほど述べたパリのワークショップは1994年です。1995年以降コンテンポラリー・ダンスだけを手がけています。90年代初めのパリのコンテンポラリー・ダンスは、新鮮でダイナミックな芸術様式であり、ほとんど制度化されておらず、実験とリサーチや冒険が可能な分野でした。

その頃、私はパリでアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルに出会いました。彼女は、ブリュッセルに来て自分が企画している実験に参加しないかと誘ってくれました。この企画が発展し、後に彼女の学校P.A.R.T.S.になるのです。ブリュッセルで30名ほどのダンサーやパフォーマーの一団に合流し、学校の準備のためのワークショップに参加しました。こうした思いがけないブリュッセルでの経験は、ダンスに対する革新的といっていいほどの異なる視点を私にもたらしてくれました。ダンスの身体的側面に加え、ダンスとそれ以外の動きの実践、音楽、演劇あるいは社会学的側面との相互の関係が、この学校のカリキュラムのテーマでした。その分野間の関係において核となったのが、偉大な教師フェルナン・シレンによるリズムの授業でした。音楽的、数学的及び自然のパターンの構造解析を通して、ダンスと振付の間、動きと動きをつくる行為の間にある緊張関係という新たな領域の存在に気がつきました。私はP.A.R.T.S.の第一世代に合流することを決意し、今日において踊ることや、振付を行う意味を模索し、教えながら経験を共有しつつ、考えることのできないことを言うための可能性を掘り下げ、かつ拡大しようと試みました。

型と時間と空間

山口:アルコ・レンツさんのお名前はよく耳にしていましたが、なぜ頻繁に東南アジアのアーティストと作品をつくるのか、その理由を知りませんでした。この地域やその文化に、特別な興味をお持ちですか。これまでアジア・ハンドレッズのシリーズにて、東南アジアのアーティストや関係者にインタビューをしてきました。例えばアムリタ・パフォーミング・アーツ(カンボジア)のリティサル・カンさん、エコ・スプリヤントさん(インドネシア)、オレ・カムチャンラさん(フランス/ラオス)です。全員があなたの名前をあげましたので、ぜひインタビューをして、どのように東南アジアのアーティストと仕事をされているのか、知りたいと思いました。この地域との最初の出会いは、どのようなものでしたか。

アルコ:初めて東南アジアに滞在したのは2000年、インドネシアでした。個人的な出会いがきっかけでしたので、この地域との出会いはシンプルで自然な体験でかつ実際的なものでした。このときは開かれた心と好奇心だけ持ち合わせており、特定の仕事上のもしくは個人的な目的も、前もって立てた計画もあったわけではありません。直観的で目的をもたない出会いでした。目的がないことは、ダイナミックでその後関係が持続する可能性の高い出会いの必須条件です。偶然の入り込む余地があり、共有する経験の質に注意が払われることになるからです。

これより前に、ヨーロッパでのワークショップやセミナーでカタカリ、バリのダンス、狂言あるいは昆劇に出会ってはいました。子供時代のバレエとの出会いも含め、こうした経験が契機となって、様式化・コード化された動きの言語に対して、ぼんやりとした親近感を抱くようになっていました。魅力を感じる一方で疑念も抱きました。ヨーロッパの人々は概して、アジアの現代より伝統舞踊や演劇に強く惹かれます。このようなコード化された舞踊言語は、欧州でオリエンタルな「他者」を美化する文脈で扱われることがあります。私は神秘的な東洋像と、あたかも対極的であるかのような東西、といった組み立てには懐疑的でした。

一方で、それまで私がヨーロッパの演劇やコンテンポラリー・ダンスで経験してきたものとは異なる様式として、その動きの根底にある原理に大きな魅力を感じました。例えば手と目を使った表現は、単に表面的・形式的な特性ではなく、空間に対するごく特異な関係を指し示しています。そこでは身体は空間の軸であり、演者はこの軸をもとにして空間を動き回るのです。これは「垂直的」な空間概念であり、空間の中を移動し水平的に軌跡をたどることで空間を「獲る」身体とはまったく異なります。このような垂直的なパフォーマンスの質は、私たちの時間の知覚も変化させます。

伝統の型への第一歩は、その言語のコードの中での立ち方、歩き方を学ぶことから始まります。これはとても重要なことです。身体を調整することにより、型の中でパフォーマーには潜在的なエネルギーが生まれます。型には極めて魅力的で、豊かな洞察力が内在しています。そこに魅せられたことが、私の仕事の原点となりました。たとえば、型の内側では一体何が起きているのでしょうか。人と人の間の空間では何が起こっているのでしょう。関係性の内なる様相はどのようなものなのでしょう。その非コード化の方法はあるでしょうか。明瞭なサインの下に隠れているものは何か、それを越えた先にあるものは?身の回りにありながら、馴染みのないものに気づくことで、自分の内面をはっきりと認識することができます。

アジアハンドレッズのインタビューに応じるアルコレンツ氏の写真

山口:型を開く、ということでしょうか。

アルコ:そうです。型を開く、分解する、型に侵入する、もしくは動きの「イメージ」に侵入する。これまでの東南アジアでの仕事は、動きにおける身体のイメージを探求し、問い、熟考し、あらためて組み立てるためのプロセスをデザインすることでした。それは、身体のイメージの型を非コード化し、もうひとつ別のイメージを、パフォーマーの内面をもとにしてコード化するプロセスであり、外観と常識を侵食していくプロセスでもあります。パフォーマンスはこのプロセスの副産物であり、それらの潜在力を反映したものなのです。

山口:あなたは一度、振付とは異なることを手がけているとおっしゃいました。それはどういう意味でしょうか。

アルコ:語源的に解釈するなら振付とは「ダンスを記述する」ことを意味します。先述のプロセスにおいて、動きは記述されませんが、進行するネゴシエーションとして現れます。ここでいうダンスとは型と様々な質の内面性との間の対話で、それは常に変化します。

山口:「内面性」とはどういうことでしょうか。そこでは何が起こっているのでしょうか。

アルコ:内面性へのアプローチに重要なのが呼吸です。これまで経験した大抵のプロセスには、呼吸が基礎となっています。呼吸を意識すると、身体内での息の循環に意識的になります。その身体内の息循環のパターンへの意識が、よりかすかな、呼吸のエネルギーのレベルと、更にはその先にあるものへの意識を(再)活性化させます。振付のプロセスでは、身体呼吸に対するディレクションが行われます。それは身体に刺激を与え、身体のイメージと空間における形について、変化をもたらしネゴシエーションを行うものです。

身体は、一つの容器もしくは特定の形をした展性の高い料理鍋のようなものです。鍋の中の液体は火によって熱を得、鍋の中に発生した蒸気熱が容器の形を変えるというわけです。

山口:先ほど非コード化と言われましたが、どのようなプロセスになりますか。分析的なものですか。

アルコ:非コード化とは型とイメージを認識し、そのポテンシャルと動きを意識することを意味します。このアプローチは体験的なものであり、呼吸から始め、身体の内と外との相関関係に対する意識を高めます。分析はあくまでこの体験の一部で、その役割はプロセスの状況に左右されます。簡単に言うと、非コード化の実践や一旦受け入れたコードから逸脱するプロセスは、呼吸から始まります。呼吸から生まれたエネルギーは、一定のらせん状の軌跡を描いて体中を巡り、空間と時間における身体の形と動きに影響を与えます。

山口:非コード化後にあらためてコード化するのですね。

アルコ:意図的なコード化は、例えばパフォーマンスを組み立てるプロセスの一部になりえます。しかし創作過程では多くの時間を即興に使い、前もって何かを決めておくことはありません。もちろん即興自体も、そこで動きを記憶・記述しなくても、自発的なコード化の一種といえます。

パフォーマンスの創作プロセスの終盤には、言語のコード化に重点がおかれます。その時点までに、コード化が自然に進んでいれば理想的です。それは、コード化されたもとの言語の非コード化とネゴシエーションを何度も重ねる即興の帰結なのです。大切なのは、各ダンサーがそれぞれ自分の非コード化のプロセスを持つことです。ここでの私の役割は、ファシリテーター、観察者、鏡もしくはパートナーになることです。

私は、リハーサル中だけでなく上演の最中もダンサーがネゴシエーションを行うための手助けをする構造の骨組(スケルトン)を作り上げます。これは構造もしくはコードからできているスケルトンで、時間、空間、動きの構成、静止しているときおよび動いているときの身体イメージに関するものです。パフォーマンス自体、リハーサルと同様ライブであり、ダンサーのネゴシエーションのプロセスであり、そこでは絶えずこれらの構造が非コード化・コード化されているのです。

ダンサーがいる。身体の構造もしくはイメージが、時間と空間の中に存在する。それに生命を吹き込むのは、動きを作り出す内なる力、エネルギーです。これらのパラメーターは全てパフォーマンス中、進行するネゴシエーションの過程で相互作用し、議論した内的プロセスによってその場で生命を吹き込まれます。動きはいつも目に見えるわけではありませんが、内面の動きが見えることはあります。ヴァーグナーの『パルジファル』で主人公がグルネマンツに向かって「Ich schreite kaum, doch wähn' ich mich schon weit (私はほとんど歩んでいないが、もう遠くに来たような気がする)」と言い、グルネマンツが「Zum Raum wird hier die Zeit. (ここでは時間が、空間となる)」。ここでは「時間が空間になる」*1 。リヒャルト・ヴァーグナーには先見性がありました。

*1 リヒャルト・ヴァーグナー 『パルジファル』第1幕第1場 より

山口:ダンサーはそれぞれがこのネゴシエーションを行うのでしょうか。

アルコ:そうです。各パフォーマーが、です。それぞれが、自分の責任において選択を行うことが重要です。グループの一員であっても、ダンサーは常にソリストとしての責任を果たさなければなりません。踊るとは常にソロなのです。孤立しているという意味ではありません。ダンサーは決して自分の環境に鈍感ではありえないということです。

山口:考えることにおいては個でなければならない。

アルコ:自覚し責任を持ち、主張し、選択する自由を享受する。とはいえ独立・孤立する個は存在しません。そんなものはモダニズムの幻想です。私たちは、生活の文脈や状況から切り離された選択をすることはありません。

このプロセスの焦点は、人格や文化の違いにあるのではありません。これら差異はすでに存在し、与えられたものです。多様な関係の構築とその質の確保にあります。その関係は、各パフォーマー間の関係、音楽がもたらす特定の時間構造との間の関係、点・直線・曲線といった特定の空間構造との関係、身体のイメージたとえば特定の動きの実践から生まれる身体構造との関係、呼吸との関係、集団との関係、呼吸法・内面性・環境などとの関係を指します。コンセプトではなく、現実にある状況、現実にある関係です。とはいえ経験からコンセプトが作られることもあります。アクションや動きを通して考案されることもあるでしょう。

山口:とても具体的なことに思えます。

アルコ:関係はかなり具体的です。芸術におけるトランスカルチュラルな協働という文脈では、何かを一緒にやろう!ともに創造的になろう!を意味します。ラテン語の語源collaborareの意味するところは「ともに働く」です。「誰かを使って自分の野心や目的を実現する」ではありません。とりわけトランスカルチュラルな協働は罠に満ちています。ある程度の目的の無さは、現実的かつ具体的にことを進める上で、有効な出発点となります。ダンスの本質はリアルになる瞬間です。ここでいうリアルとは、動くことを意識することで、対立するアイディアを手離すことを意味します。ダンスの本質は身体と心、動きと意識、時間と空間、内面と外面をつなぐ実践で、ときには、「私」と「他者」という概念も解消させるのです。

創造過程にあらわれるテーマ

山口:プロセスの中で生まれるテーマについても言及されたことがありますね。どのようなテーマがあらわれるのですか。

アルコ:最初は、出会いそのものがテーマになります。出会いは呼吸や身体を使った幾多の実験、議論の共有を通して活気づきます。アイディアやイメージが出現しますが、多くの場合茫漠として抽象的で、「自由」や「生き残る」であることもあります。翻訳が壁になることもありますが、文化的背景の違いを問わず、こういったアイディアやイメージには誰もが何らかの接点を見出すことができます。その結果、その理解は個人の間で、また異なる文化間で変質していきます。アイディアやイメージを通して、呼吸から展開する身体を使った実験に新しい色が生まれます。

山口:ダンサーとは、どのようなことを話し合うのですか。

アルコ:人生について、ダンサーの日常、ルーティン、素晴らしい経験、などです。彼らが何をしてどんな人物で、何に興味があるのか、といったことを話します。ダンサーが提案すれば、地方にいる家族にも会いに行くこともあります。ダンサーのアイディアに従っていろんなことをしていますよ。文化に関するリサーチや分析よりも、まずは自分自身がダンサーと直接つながりを持つことが重要だと考えています。というのも私の経験ではそういったリサーチを優先すると、文化に関する過去の知識が、今日のダンサーとの個人的な出会いを支配してしまうからです。

アジアハンドレッズのインタビューに応じるアルコレンツ氏の写真

山口:カルチュラル・スタティーズは、なしですね。

アルコ:文化の研究や分析よりも、出会いや実体験が先です。自発性、好奇心、意外性を担保するためです。とはいえもちろん、両方のアプローチを組み合わせることも重要です。その人が生きている社会や教育、先祖、文化に目をやることなくひとりの人間を知ることはできないからです。

ダンスはトランスカルチュラルな協働において最も優れた媒体です。というのもダンスはこれら異なるアプローチを連結し、二項対立や従来の知識を解体し、実際生み出された動きや共鳴に敏感になるからです。習慣的な思考は、二極化を生むものです。ダンスは「inter-being」 (ともにあること)の真空状態においておこります。時間と空間、内面と外面が完全に相互に連結される中での経験です。「inter-being」とは、ベトナムの高僧ティク・ナット・ハンの言葉です。ダンスの実践がもつ力を見事に表しており、私たち人間の本性の記述において卓越しています。

ある物事に対して、分断されている、異なるものであると考えれば、実際そのように見えてくるものです。「私はこういう人、彼女はそういう人」、「アジアはこのようであり、ヨーロッパはそのようなもの」と考え続ければ、アジア対ヨーロッパ、彼‐私、彼女‐私といった二極対立が、実際に自分の認識の中に入り込んできてしまいます。それが現実だと「信じる」ことになるでしょう。ダンスは、これに代わるもの、二極化しない経験と認識への扉なのです。

さまざまな経験や議論の共有を通して、リハーサルのプロセスと上演のテーマをデザインしていきます。その結果は多くの場合作品のタイトルに反映されます。例えば、カンボジアで創作した作品名は『CRACK』です。出演者は6人で若く、古典舞踊の訓練を受けたカンボジアのダンサーでした。私たちが出会ったのはちょうど、人間的にもまたプロフェッショナルとしても成長しようとする彼らに、様々な類の障害が降りかかった時期でした。彼らは、プノンペンでの日常生活における芸術的・社会的・政治的制限に対して抵抗し、押し返そうとする信じられない力を共有していました。『CRACK』ではその力を取り上げています。制限をかけている枠をこじ開け、新たな自由の経験とそれ以上のものを定義しようとするエネルギーです。同時に若いダンサーは皆、古典舞踊の遺産とカンボジアの伝統文化に対して深い尊敬の念を抱いていました。『CRACK』のパフォーマンスのプロセスは、クメール古典舞踊の基本の型をめぐるライブのネゴシエーションであり、ダンサー自らが呼吸を通して内部から導きだしています。一見対立するようにみえる二極が、正反対であるとは限らないことを私たちに示したのです。

アジアハンドレッズのインタビューにて、アルコ・レンツ氏の写真

アルコ:もう一つの例は『solid.states』で、ジャワ島中央部のソロで、エコ・スプリヤントとメラニー・レインと共に手がけた作品です。このときはリハーサルと議論を重ねた結果、「安定性/不安定性」をテーマにすることになりました。ジャワ文化がこの二極を調和させるためにいかなる試みをしているかを調査しました。ジャワ文化は、元来不安定で危険だと受け取られていた外部世界に、社会的にもまた個人にも安定性をもたらすため、ジャワ古典舞踊を始めとするテクニックを生み出してきました。

ジャワ古典舞踊の訓練を受けたエコは、自分が受け継いだ動きの言語にあると思われている安定性と調和について、自分の身体を攻撃的なほど不安定化させることでネゴシエートしました。メラニーの出発点は全く反対でした。彼女はオーストラリアで生まれ育ち、母はジャワ人でオーストラリア在住です。メラニーのダンスは非常に不安定な身体のコンディションからスタートし、動きを分解しながら安定性と調和を生み出します。二人のダンスの軌跡は、パフォーマンスの半ばで交差します。

このパフォーマンスは不安定な舞台の上で行われました。デジタル操作により、地震のような衝撃波に至るまでの様々な強度で舞台が揺れます。これは先にお話しした空間構造の制限の実例です。

創作プロセスにおけるネゴシエーション

山口:「ネゴシエーション」という言葉に戻りたいのですが、これは何で、誰の間でなされるのでしょうか。

アルコ:ネゴシエーションはまず、関係が存在していることを想定しています。先ほど、リハーサルのプロセスとパフォーマンスの際にみられる何層もの関係性についてお話ししました。根本的に、ネゴシエーションが起こるのは、「アブストラクト・ドラマトゥルギー」という設定の中でのことです。パフォーマーは時間構造、空間構造及び動きの構造における非ナラティブなパラメーターと、演劇的にネゴシエートします。ネゴシエーションとは、「関係」という名詞と密接に関連させて私が用いる名詞です。ネゴシエーションのプロセス自体は演劇的ですが、非ナラティブな性質を持ちます。それは身体に起きるプロセスで、力とエネルギーや内面と外面による働きです。

仕組みとしては、身体・動き・イメージがネゴシエートされます。しかしながら振付は、型を再構成することではありません。私たちが手がけるトランスカルチュラルな文脈において、この点は重要です。引き続き『CRACK』の例でいうと、ネゴシエーションが行われているのは、ヨーロッパの振付家とクメール古典舞踊の型との間ではありません。ダンサーと彼ら自身が身につけている古典舞踊の型の間で行われています。その型に対してリサーチがなされ、内部からネゴシエートされるのです。呼吸からスタートし、振付上の選択を自分で行うのです。呼吸を意識すると、東洋西洋といった二極化が解消される地点に到達します。これは経験でありパフォーマンスであり、見世物ではありません。

ネゴシエーションは、常に古典舞踊の型について行われるわけではありません。例えばフィリピンで手がけた作品『COKE』では、マニラの娯楽産業のダンス言語についてネゴシエートしました。ネゴシエーションとは、広義には視点を変化させるプロセスを意味します。動きの型と、型を支えるアイディアや信念が、構造物でありコードであることを発見し続けることです。まず非コード化された後、体験した結果新たなコード化がなされます。したがって変化は無理のない潜在力をもたらし、心の中にスペースを作りだし、習慣的な主観性にとらわれることなく外に目をやることができます。こうしたことは、あれこれの文化的背景に制約されない経験なのです。

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音楽の役割