「ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。
俳優として:『プラータナー:憑依のポートレート』への参加のきっかけとは。
中村 茜(以下、中村):いよいよ2019年6月27日、『プラータナー:憑依のポートレート』(東京芸術劇場にて)が日本初演を迎えます。2018年9月にバンコクで世界初演、同年12月にはパリ、ポンピドゥーセンターで欧州初演を迎えた国際コラボレーション作品です。ジャールナン・パンタチャート(以下、ジャー)さんと『プラータナー』の最初の出会いは、2016年のリサーチでした。ジャーさんは、チェンマイ大学でジャーナリズムを学ばれ、実際に芸術の世界に入ったのも大学時代だったとのことで、チェンマイでのリサーチに際し訪問先のリストをジャーさんに作っていただきましたね。舞台芸術のみならず、美術家や映像作家および研究者などご紹介いただき、当地のアートシーンのリアリティに初めて触れるきっかけとなりました。
『プラータナー』にも、ジャーさんを通じて参加に繋がった方々が多くいらっしゃいますが、ジャーさんご自身が『プラータナー』に参加しようと思われたきっかけはなんでしたか?
ジャー:まず丁度時期的タイミングとして、自分の時間が取れるときだったのです。それから岡田利規さんがバンコクにワークショップにいらっしゃって、元々彼の『三月の5日間』がとても好きで、ワークショップに参加したら、期待通りとても面白かった。どうやって俳優たちにあのような動きをさせるのか知りたかった。彼が作ったものがどのように舞台でパフォーマンスされるのか、プロセスに参加して見てみたいという気持ちがすごく強くなり、参加することを決めました。
中村:ジャーさんは大学時代ウティットさんが主催するアートイベントで作品を発表されており、もともと繋がりがあったとか。原作についてはどういう印象をお持ちでしたか。
ジャー:稽古前に『プラータナー』の小説を読みました。ウティットさんと私は年代が大体同じなので、彼が書いているいろいろな過去の状況は、「ああ、そうそう、そのときそうだった」とリアルに思い出すことが多く、とても共感しながら読むことができました。たとえば彼の原作の中に、「アーティストが小さなギャラリーで仕事をする」(キュレーターのクリッティヤー・カーウィーウォン*1 さんが運営していたProject 304)、というシーンがありますが、私もそこで仕事をしたことがあったので、そのシーンがとてもはっきりと蘇ってきたのですね。自分も小説の中に入りながら、読むことができました。文学作品としても非常に素晴らしい、偉大な作品です。現代のタイの政治社会を語る、とてもすぐれた文学作品です。友達だからほめすぎているわけではなくて(笑)、個人的にとても好きです。最初の部分はちょっと難しいところもありましたが、そこを通り過ぎてしまうと一気に読めて、とても感銘を受けました。
*1 クリッティヤー・カーウィーウォン
ジム・トンプソン・アートセンター アーティスティック・ディレクター。1996年アート・インスティチュート・シカゴにてアーツ・アドミニストレーションのMAを取得、2011年チュラロンコーン大学(バンコク)にて博士論文提出資格を得る。1996年、バンコクを拠点とする非営利アートスペース「プロジェクト304」を、1997年「バンコク実験映画フェスティバル(BEFF)」共同設立。
中村:本作は、主人公の20年ほどの半生における様々な性的な交わりを、タイの現代政治史になぞらえて描いていますので、性的な激しい衝突が何度も起こります。ウティットさんは男性で、性的な表現を扱うときの女性の描き方に対して、女性の立場から反発する声もいくつか聞いたのですが、ジャーさんはどういうふうに認識されましたか。
ジャー:私は特に性的な描写について、イライラしたということはありませんでした。読んでいるときは、自分の性別を意識することはありませんでした。たしかに男性とか女性の性的行為とかセックスシ−ンが多いのですが、男性同士のそういう描写とかもあったりしましたね。ジェンダーの流動性が見えました。また読みながら、性的な行為やその身体を通して、若者とかセックスに溺れているような年代の人や、もしくは年を取った身体が年代を表していると認識していました。不愉快というよりも性行為が人間の年代を表す上での道具として描かれることで、感情的にならず読めました。もっとも、彼の作品を読んでいて一番イライラしたのは、タイ語の文字の変なフォント*2 がたくさんあったことでした。でも内容や描写に関しては全く大丈夫でしたね。(笑)
*2 フォント
ウティット・ヘーマムーンは、小説版「プラータナー:憑依のポートレート」終盤において、不感症に溺れていく世界を、性器になぞらえて変形させたタイ語フォントで表現した。
岡田利規の演出プロセスとは?
セノグラフィー・塚原悠也とのコラボレーションとは?
中村:『プラータナー』を日本語に翻訳するにあたり7人の翻訳者と通訳者が関わってくれました。ダブルもしくはトリプルの意味への翻訳が可能なタイ語の特性をどう解釈していくか、一つ一つ検証するのは大変な作業でした。そして、岡田さんのつくる脚本は人称を固定しない、主人公の人称をsheやheとかに固定しないで描いていくところに特徴があり翻訳が難しい。そして、いわゆる具象的な演劇のように役が一人の俳優に固定されない。通訳者を介したリハーサルで、岡田さんのメソッドを体現していかねばならない。演じる俳優としても苦戦したのではないかと思いますが、そのプロセスの中で、ジャーさんが発見された岡田演出の特徴的なことはどんな点でしたか。
ジャー:演出に関して、まずすごくいいなと思ったのが、岡田さんと塚原さんの関係性ですね。お二人が現場に稽古にいらっしゃったときの、互いにスペースを与えあう、敬意を払いあうような仕事の仕方に感動しました。塚原さんもアーティストとして自身の仕事をしている。彼がシーンを考えるとき、私たちも、どういう形になるのか混乱したりします。だけど、岡田さんにはなんらかの全体像がすでにあるらしくて、それが合わさると、とても興味深い意味が生まれます。ああこれが、彼らがタイを見る見方なのか、と多くの発見を得ました。
稽古中は、私たちもまだ全体像が見えず、断片、断片、断片だったのですが、稽古の裏では深く話し合っていたのだと思います。岡田さんと塚原さんの共同作業のありかたはとても興味深かったです。
あとは、解釈です。脚本に対して、それがどんな意味かは聞かずに、そのイメージを考える。解釈や意味付けをしたがる従来の一般的な演出家と違い、岡田さんは全員にかなり自由を与えてくれていました。
岡田さんが台本の第1稿から第5稿まで何回も推敲していき、私も繰り返し読んでいくうちに、確かにイメージに変化が生まれてると感じたことがありました。岡田さんは、タイの俳優の意見を聞くことをとても重視していて、「この言葉ってどう?」と言葉の解釈と、セリフを担当する俳優それぞれの言い回しを確認していきました。それが反映された結果、脚本の物語の構造にも変化が見え、読むたびに感心していました。第5稿までの間にかなり変わった部分もあり、でも岡田さんの欲しいものはきちんとそこにあった。共同作業者にとても敬意を払っていると感じました。
中村:岡田さんと塚原さんの関係性についてもっと聞かせてください。
ジャー:たとえばあるシーンで塚原さんがタイの俳優に、ベルトのようなものを腰に巻いてもらい、それを引っ張って「動かして」と言ったのですが、なんのためにやっているのか、俳優たちは分からなくて。塚原さんはシーンにとり入れると言っているけれど、ところで、岡田さんはなににフォーカスしているのだろう、脚本なのか、塚原さんのやっていることなのか?疑問でした。塚原さんのやることはすべてが細かいことで、それがどう全体につながるのかイメージがつかなかったのです。「動き」に関しては、塚原さんによる「動き」のワークショップは面白くて、岡田さんの演出にも影響を与えている。きっと岡田さんの他の作品ではこんな「動き」はないものの、岡田さんはそれに対して塚原さんに自由にやってもらっている感じで、きちんと取入れている。
実際に自分がタイ人でタイの国の中で生活していたら見えないようなことが、お二人は見えていたと思います。舞台でのリハーサルの日のことでしたが、実際にみんなでステージに上がったときに、タイ人俳優は「本当にゴミの山の中で演じるような感じだね」と話していました。舞台にいるとそう感じたのです。でも客席に座って観客として見ると、これはこれで混沌としているが美しいと思ったのですね。それで、タイだなと思いました。屋台があって、きれいな建物もそうではない建物もあって、小道もあって、そこに混沌があり、色合いも鮮やか。これが彼らに見えていたものなのか、それをアーティスティックに再現したのだ、と思いました。上演の構造、岡田さんが選んだ脚本の言葉、上演で見せているものも、これはタイの外の人に見せているのだな、と。もしタイの政治状況を、中の人間と同じように見たらわけがわからない。しかし外から見ると、この混沌がひとりの人生にどう影響を与えるのか、その人になにが起きているか、はっきりする。
そういうことです。稽古を通じていろいろなポイントがはっきりした気がします。もしタイ人だったら選ばないものも選んでいるかもしれないけど、タイ人だったらあの混沌とした時代と状況の中で誰が・何が正しくて、間違っているかを考えることに終始してしまったかもしれない。
上演回数を重ねること、世界をツアーすることとは何か。
中村:実際2018年8月にバンコクで『プラータナー』の世界初演を終えてから、バンコクで5回、パリで4回と上演を重ねていき、ジャーさんのなかで、作品や演出に対する理解が変わったことはありますか。
ジャー:演出の方針がより理解できるようになりました。たとえば、劇中劇の構造なので、俳優が物語の「登場人物」にもなれば「観客役」にもなります。「観客役」になった俳優は、舞台上の事のなりゆきを見守り、実際の「観客」には何度も背を向ける、という演出プランでした。実際にバンコクでの初演がはじまって、舞台上の「観客役」は、本当の「観客」には背を向けることになり、舞台上の「観客役」、つまり俳優たちの反応を見たときに、ああ、実際の「観客」は、“主人公「カオシン」の物語に対しての「観客役」の反応を含めて目にする”、ということが理解できるようになりました。そこで、舞台上の「観客役」の存在を強調しようとする演出意図や、舞台上の「観客役」としてどう演じるべきなのかがよく理解できました。
中村:バンコクとパリの観客の違いはありましたか。
ジャー:バンコクの観客は圧倒的に距離が近く感じました。おそらく座席と内容のせいでしょう。この時代のタイ人であれば、社会でなにが起きていたのかをすべて知っているし、当時の自分たちがその出来事に対して、どんな立場をとっていたのかもわかっています。上演が観客の共有体験を生み出し、実際にあった過去へ、観る人々を連れていったと感じています。回によっては、泣いている観客が見えるときもありましたし、それを見た私も、同じように心を動かされました。
パリ公演の観客は、比較するとすれば、どんな味か想像もつかない珍しい料理を味見しようとする人々のようだったといえるかもしれません。複雑な社会的・政治的な文脈や、様々な主人公のライフイベントに起こったことを理解するのは、観客に負担がかかっただろうと想像できます。意味不明な言語で、字幕を頼らなくてはいけない観客にとってはとても重い鑑賞だったはずです。上演中に出ていく観客を目にして驚くこともありました。特に自分が演じているときには、え、私の演技がだめなの、帰ってきて、行かないで、とひそかに残念がっていました(笑)。この小さな小さな国のとても大きなできごとは、そんなにも興味を惹かないものなのか、と感じるときもありました。ただ理解もできます。物語が自分たちから遠すぎることだってあるのです。
中村:東京公演に期待することはありますか?
ジャー:東京に関しては、なにを期待すればいいのかはっきりしていません。ただ、タイ政治における暴力的なできごとが、ひとりの日本人記者の命を奪っています。作中で言及されているわけではないけど、タイでなにが起きているのか、そのなりゆきをもっと理解して、興味をもつ助けにはなるはずです。
この10年間のタイで起きて、いまも続いている政治的な混沌というものは、テクノロジーやさまざまなものについての思想が変化する時期にある社会のサンプルとなるものなのです。その変化の時期がどれくらいの長さになるのか、その期間に社会が変わることができるのか、私にはわからない。ただ確実なのは、いま起きていることに、私はとても疲れているということです(笑)。