「ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。
初期作品とイエン・ケーさんとの出会い
インタビュアー:『青いパパイヤの香り』の前に短編をいくつか作られていますが、そのあたりからお話をうかがいたいと思います。
トラン・アン・ユン(以下、トラン):映画を作る前は哲学を専攻していました。ただ哲学を勉強してみたらどうも自分には合わないので映画を勉強することになり、その後短編を2本撮りました*1 。学校*2 内のコンペに出品しましたが、あまり出来が良くなくてもっといい作品を作りたいという気持ちにさせてくれました。またこの短編を通して、その後長くつきあうことになるプロデューサーと出会いました。今回上映される2作品ともに同じプロデューサーです。
*1 『La femme mariée de Nam Xuong』(1989年)、出演:トラン・アン・ユン、トラン・イエン・ケー他、『La pierre de l'attente』(1991年)
*2 ルイ・リュミエール国立学校(Ecole Nationale Supérieure Louis-Lumière)
インタビュアー:この短編映画の縁で、奥様でいらっしゃるイエン・ケーさんとの出会いもあったそうですね。監督は映画の学校に通い、イエン・ケーさんは演劇の学校に通ってらしたそうですが。
トラン・イエン・ケー(以下、イエン・ケー):監督と出会った時、私は17歳でした。とても若かった。監督自身は出来の良くない作品だと言いましたが、私から言わせればとても素晴らしい作品、ただ悲しい作品だったと思います。面白いのは、この短編もそうですが、若い頃は主に私は母親役として起用され、時代が下るにつれて若い女性の役になりました。運命の巡り合わせかなと思っています。私自身は1歳からフランスで過ごしてたので、ある意味ではベトナムを知りませんでした。自分の祖国を知らなかったのですが、この短編や『青いパパイヤの香り』を通して、自分のルーツを再発見する、自分のアイデンティティーを見直すというきっかけを与えてくれました。若い時代というのは、なるべくフランス人の友達と仲良くしたい、同化したいという気持ちもあって、自分のルーツとか、自分がどこから来たのかという事について問うことがあまりありませんでした。別に避けようとしてるわけではなく、ごく自然にフランスという祖国に、新しい国に馴染んでいきたいという気持ちでしたが、この映画を撮る事によってもう一回祖国とは何か、自分の生まれた所とは何かという事を考えるようになりました。特に『青いパパイヤの香り』の場合には、フランスで全部撮影されましたが、セットにベトナムの香りが多く漂う中で、自分のルーツというものを本当に実感する、そんな作品だった思います。
『青いパパイヤの香り』について
『青いパパイヤの香り』
監督:トラン・アン・ユン
出演:トラン・ヌー・イェン・ケー/リュ・マン・サンほか
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
原題:L'odeur de la papaye verte/1993年/フランス、ベトナム合作/104分
1993年カンヌ国際映画祭カメラドール新人監督賞受賞
1994年セザール賞新人監督賞受賞
1994年アカデミー(R)外国語映画賞ノミネート
インタビュアー:この作品について思いを語ってください。
トラン:この作品を作ってから、ようやく私も映画とは何かという事を理解し始めました。時代設定についてですが*3 、この時代というのは、私も色々な小説などで既に読んで知っていた時代でもありますし、人から話を聞いて理解していましたが、私はこの時代を扱うことによって女性たちの献身さというものを描きたいと思いました。それは全ての年齢の女性たち、本当に子供の召使いとして働く子もいれば、あるいはもう少し長じて人を愛するようになる、そんな年齢でもやっぱり愛する人に尽くす女性の姿、そして子供をもって母親として、そしてその家族、あるいは家庭の中でやはり献身をする女性の姿。歳をとって自分の夫が死んでも、まだやはり周りの人間のために尽くす。そういった女性の献身さというものを、ぜひこのフィルムを通して描きたいと思い、女性たちが家族に尽くしてくれたそういう時代を描きたいと思ったのです。
*3 1950年代初め、サイゴンの裕福な布地屋の一家に10歳の少女が下働きで雇われるところから物語は始まる。
『青いパパイヤの香り』1993
インタビュアー:この映画では住み込みのお手伝い(成人後はイエン・ケーが演じる)が最終的には知的で素敵で裕福な若主人と結婚して子を設けるという物語になっています。本作を見た特に女性からは、この主人公は物語の中で勝利者であり、計算によって勝ち取ったのではないかとの意見もありましたが。
トラン:そうしたことをこの映画で描いたつもりはありません。彼女はまったくの純粋な気持ちで主人につくし、邪心などありませんでした。
イエン・ケー:私も同意見です。映画のラストシーンで、小説の一節を読んで微笑み真正面を見据えるとうシーンがありましたが、とても印象的なシーンで、気高くも、純粋な心を失わないという意味でとても難しい演技でした。
トラン:この(イエン・ケーさんが話した)小説は夏目漱石ですね。日本の小説は大好きで、漱石のほかにも谷崎潤一郎などに大きな影響を受けました。
The Language of Cinema(映画言語)について
インタビュアー:この作品を初めて見た時に衝撃を受けたのは、デビュー作でありながらとても重厚で高潔な作品だということです。特に音楽、なかでもショパンやドビュッシーが非常に記憶に残っていて、それが虫の声や自然の声と調和してるのが印象的です。またとてもエロティックなメタファーが多く隠されていると思いますが、意識して作られてるのでしょうか。
トラン:私にとって隠喩はとても重要なテーマです。映画といえば、エネルギーを感じられるような、劇場型のドラマチックなものを多くの方は想像されると思いますが、私が描きたいフィルムというものは、もっと穏やかで、そして調和に満ちたものです。ただしそのハーモニーに満ちた作品にはリスクもあり、観客が退屈してしまう。だからそのリスクをどう解決していくか、穏やかさや調和をどのように伝えるか、私なりのエクリチュール、書き方、作品の描き方というものを発見する、作り上げるということが必要でした。
ある考えを形にするという意味で、メタファーというのは非常に重要だと思います。まさに自分の思っていることに肉付けをするという時に使われるのがこの隠喩だと思いますが、それが例えば登場人物を通して語られるのか、それとも別のものなのか、いずれにしても言わず、語らず、そして自分の思いを伝えるという時、この隠喩という手法は非常に効果的だと思います。
もう一つ、後になって学んだことですが、やはり見ている人々に現実感というものを伝えたい。特にこの『青いパパイヤの香り』は全てフランスの人工的なセットの中で撮られたので、臨場感や現実感というものを伝えるのに不安がありました。例えばベトナムという国の湿度の高い気候や、その人の肌、触った時の感触というものを、映像を通して伝えたい。そこにものすごく注意を払うことによって、この現実感というものを伝えようとしました。このような形で、私がこの映画を撮ったことによって、後の私の作品にも非常に大きな影響、効果を与えてくれたと思います。
インタビュアー:これほどまでに細部までを取り上げて、人生、自然、そして人々の中にある小さな美を表現している映画製作のプロセスは、一体どのようなものなのでしょうか?
トラン:子供時代に遡る必要があると思います。私はとても良い観察者でした。私は子供の頃、人々が働くのを見るのをとても楽しんでいました。両親は労働者階級の出で裕福では無かったし、醜い場所に住んでいました。それでも観察することによって、どこかしらに美を見出していました。1か所好きな場所があって、それは私の母のキッチンでした。暗くて匂いも酷かった。でも同時にキッチンの窓から外を見上げると、グアバの木が見えて、果実が熟した時にはその香りがキッチンまで来ました。この良い香りがキッチンの酷い匂いと混ざって、それが私にとっては美だったのです。両方が混じり合い、私の感受性を発達させるために多くのことを学びました。私の母が料理をしているのをじっと見ることによって。それはかなり楽しいものでした。
インタビュアー:カメラワークがじっとりしていて、一つのものをゆっくり追っていくという動きが、東南アジアの湿気を感じさせてくれました。東南アジアを舞台にした作品を作るにあたって、そうしたカメラワ-クを意識していましたか。
トラン:もちろんカメラワークは映画を作る時に非常に重要です。まさに映画のエクリチュール、あるいは映画言語と言ってもいいのがこのカメラワークではないかなと思っています。このように非常にゆっくりカメラを動かしていくっていう手法ですが、これは実は日本の溝口健二監督から影響を受けました。リアルタイムでずっと長く撮り、ほとんどカットせずにつぎはぎしないで映画を作っていくのも溝口監督のおかげです。
ベトナムトリロジー(三部作)について
インタビュアー:『青いパパイヤの香り』の後に作られた『シクロ』(1995年)と『夏至』(2000年)を総称して「ベトナム三部作」と一般的に言われますが、最初から三本作る予定だったのですか?
トラン:実は最初から考えていたわけではなくて全くの偶然でした。『シクロ』を撮った後に一本シナリオを書きましたが、それは実現に至らず、その後たまたま『夏至』という作品を撮るに至って、最終的に後に言われる「三部作」が出来上がったわけです。
インタビュアー:イエン・ケーさんはこの三部作の中で役柄が色々変わります。パパイヤは家政婦、シクロはヤクザの愛人、夏至は三人姉妹の末娘という役ですね。三本演じられて、どれが一番やりやすかったとかやりにくかったとかありますか?
イエン・ケー:私にとしては『シクロ』が最も印象深い作品でした。私のパートナー役だったトニー・レオン(梁 朝偉)さんは、非常に個性的な役者でした。それと町の描写。既にお話ししたように、フランスでの生活が非常に長かったので、一年にわたるサイゴン暮らしは、私の人生の中でベトナムで最も長く暮らした時代でした。それからもう一つは撮影チームが非常に若かった。おそらく平均年齢が24歳くらいで、プロデューサーも含めて本当に若い方たちが力を結集して、若いエネルギーに満ちた、そんな若さで押し切ったと言ってもいいような作品だったと思います。
マーク・リー・ピンビンについて
インタビュアー:『夏至』から、撮影監督は日本でもファンが多いマーク・リー・ピンビン(李 屏賓)さんですね。
トラン:『夏至』を作る時に撮影監督を探していて、たまたまその当時カンヌ映画祭の審査員をしていたホウ・シャオシェン(侯 孝賢)監督の『憂鬱な楽園』を観たのですが、それが絵的で非常に素晴らしくて感激しました。撮影はマークでした。それでトニー・レオンに頼んで紹介してもらったのです。ですからマークとは『夏至』以来の付き合いです。
特に才能のある方と一緒に仕事をする時は、かなりの自由度を与えるということが非常に重要だと思います。私は監督として枠だけを提案する。その枠の中に納まるのであれば、あとはもうお好きなようにしてくださいということ。それによってその才能を最大限引き出すことができると思いますし、非常に神秘的というか、想像もつかないような効果が生まれるとも思います。例えば登場人物がこんな肌を持っていて欲しい、唇がどれだけ厚みのある唇にして欲しい、少し濡れたような目に仕上げて欲しい。あるいはある場面で、背景に窓が2つ欲しいとか、そうした指示をする。それを先ほど言った枠組みとして守っていただいて、あとはもう好きなように撮影してもらい、より自由な表現力を生かすことができたと思います。
『エタニティ 永遠の花たちへ』について
『エタニティ 永遠の花たちへ』
監督:トラン・アン・ユン 出演:オドレイ・トトゥ/メラニー・ロラン/ベレニス・ベジョほか
配給:キノフィルムズ
原題:Éternité/2016年/フランス=ベルギー合作/115分
インタビュアー:次に今回上映されたもう一つの作品についてお話しください。
トラン:『エタニティ 永遠の花たちへ』はかなり特殊な映画で*4 、私にとっても非常に大きな「かけ」でした。明快な筋書き、ストーリーがあるわけではありませんし、大きな舞台や心理的な描写がたくさんあるわけでもない。本当に何もない。ない中での映画作りということで、だからこそ、ここにあるのはまさに日々の生活の一瞬一瞬であったり、時間というものが非常に大きなファクターとなっています。この映画をご覧いただいて、もし皆さまの心に訴えるものがあるとしたら、それは恐らく色々なものをそぎ落としたからこそだと思います。美しい映画だ、色合いが素晴らしいというふうに感じられたとしたら、それは妻イエン・ケーのおかげです。彼女がセット、コスチューム、化粧など全部担当してくれました。
*4 19世紀のフランスの裕福な大家族を舞台に、運命に翻弄されながらも世代を超えて命をつないでいく女性たちの姿を描いたドラマ。オドレイ・トトゥ、メラニー・ロラン、ベレニス・ベジョというフランスの人気女優が主演しているが、台詞はなく音楽とナレーションによる作品。
イエン・ケー:実を言うと最初から私がナレーションをやると決まっていたわけではありませんでした。私としてもナレーションは生まれて初めてだったので、非常に大きな挑戦でした。特に難しかったのは、あまり映画の中に入り込み過ぎることは避けたい。可能な限り中立で客観的な形で、ある程度距離感を保ちながらナレーションを行うということでした。しかも物語の中で進んでいく家族に対して温かいまなざしを注ぐことを感じさせる、そんなナレーションでなくてはいけない。もう一つ重要だったのは、映画の中で度々音楽が流れてきます。音楽はリズムですが、そういったこの時の流れ、リズム感というものをナレーションの中に入れていくことも難しかった点です。
トラン・アン・ユンの映画言語の秘密を解く、色・音・リズム、そして時間について
インタビュアー:映画全体として一つの川の流れのように、時間そのものが主人公、そういう映画だと思いました。ある意味で非常に実験的な映画です。普通俳優は、もっと際立った演技や台詞で動きますが、戸惑われた女優さんもいらしたということを聞きました。それと色彩と音、音楽。色彩やメイクは全部イエン・ケーさんが仕切られたのですか。
トラン:映画では多くの細かい技術が使われています。俳優たちの平均年齢は38歳ですが、一番若い役どころが18歳。主役を務めたオドレイ・トトゥに至っては80歳まで演じ切らなくてはいけない。これだけの年齢の幅をどういうふうに処理していくかということで、若返りの効果であったり、あるいは老け顔をどういうふうに作るかという、そういうテクニックが必要でした。オドレイさんについてはデジタル技術を駆使して、まずは普通に演技をしてもらい、今度は80歳くらいの代役の方に全く同じ動作をしてもらい、それぞれ撮影した後で重ね合わせて、オドレイさんが80歳になったような老け効果というものを演出しました。そういう特殊効果を行うのに8ヶ月という非常に長い時間を要しました。
イエン・ケー:私からは色について話をします。時代設定は1880年頃から始まって、1950年ぐらいにかけてという作りになっています。この時代を描写するフランス映画では、使われている色合いが非常に柔らかく、エレガントな色彩が多いです。でも今回私たちは、そうした通常描かれるような19世紀、20世紀の映画とは少し違った色使いをしたいと思いました。当時はもっといろんな柄とか色合いというものがいっぱい詰まった、どちらかというと賑やかな世界だったことを表現したいと思い、私にとっても大きな挑戦になりました。例えば「赤」という色が非常に重要なウエイトを占めています。特に「赤」は血の色でもありますし、この話の中では、子供たちが生まれ、そしてまた死にゆく人もいる、そうした生と死に関わるのが血ですから、この血を象徴する「赤」というのは非常に重要な色となっています。だからいろんな意味で色彩の実験をこの映画の中でさせていただきました。
インタビュアー:次に音楽ですが、監督の作品はいろんな西洋音楽があふれてますが、一番好きな作曲家は誰ですか?
トラン:どの作曲家が好きかっていう質問には答えにくいですが、クラシック音楽は本当に長年聞き続けていて、今回の映画を作るにあたっても非常に重要なポイントでした。まずは音楽なしで映画を撮って、そしてあとから音楽を付けるということをしました。音楽を付けてみたら、音楽がないときに比べて音楽そのものが実は語り始めるという、非常に面白い効果に気付いたんです。音楽があるときとないときでは、同じ映像だが違ったふうに見える。もしかしたらこの音楽が実際に見ている皆さまに対しても、何か特別な効果を、一種のエモーションや共感を呼び覚ます、まさに「音楽」が語り手、作家になるような、そんな効果があるのではないか。
もう一つ思いがけない効果を音楽がもたらしました。長い曲をずっとあるシーンで使い続けています。でもそれが、まさに音楽がリズムを導くかのように各シーンにぴったりとはまっていく。音楽があるからこそ物にリズムを与えていく。それは私がそれこそ長い間音楽に親しんで、そしてクラシック音楽というものを非常に熟知しているからこそ、自然に導かれたものだと思っています。まさに時間が音楽というものを通してリズムを作っていくのです。音楽を映画の中で使うというよりは、もうまさに「映画」そのものが「音楽」になりきる、そんな作品に仕上がったかなと思います。
トラン:例えばあるシーンから次のシーンへと移るのに20年という時間の経過がある場合、まずスクリプターの方にお願いして、最初の時間のときに大体このようになる、そして20年後どのようになるだろうというのを書いてもらいます。そしてそれらを比較しながら、どう移ろい行くのかを頭の中でイメージしていきます。時間の流れというものをまずスクリプト上で一応押さえて、それを実際に映像化していくということで、時代から時代、あるいはシーンからシーンへの移りというものが途切れないように処置をします。最終的にはその前後の時代差、時間差というものをうまく印象分けできました。
このシーンからシーンへの移り変わりをどのように処理するかによって、人々にどれだけ情感を伝えられるかということが決まってくる。最初のシーンと最後のシーンで、コントラストをうまく使うことによってより表現力というものが高まる。場合によっては非常に冷淡な場面から暖かいものへと移るかもしれない。そうした様々なコントラストがリズムを生んで、そのリズムから人々の心に色々な情感を生みだすと考えています。そうした意味での映像学、映像芸術は実は非常に重要だし、常に自分に問いかけをしてゆく作業を行っています。つまり映像を通して情感を引き起こすというのは、実はそこに非常に多くの計算、あるいはその英知、または先を見通す力というものがなければ、なかなか難しいということです。
映画と家族、国籍について
インタビュアー:この映画には家族の生死が描かれていますが、個人的な経験に基づいたものなのでしょうか?
トラン:確かに個人的な経験もこの作品の中に入っていますが、それは死とか生とかっていうものではなくて、全く別のところにあります。私の個人的な経験というのは大家族に帰結するもので、私の家族がベトナム戦争を逃れてフランスに行ったということもあり、本当に小さな家族の中で育ちました。私自身は両親と兄弟しか知らない。家族が小さいというのは実は非常にリスクが高いというか、脆弱であるということを実感して、それはある意味居心地の悪いものでもありました。例えばホテルやレストランに行って、大家族で何人かぞろぞろとやってくる。そうするともう私は圧倒されて「いや、やっぱり大家族っていうのは強いな」ということを実感したんです。壊れないという強さというものを家族は持っている。だからそうした大家族への憧れというものを自分の経験としてこの作品の中に込めました。
イエン・ケー:この作品は私にとっても本当に素晴らしい経験に繋がりました。私たち二人ともベトナムからの避難民としてフランスに渡った二世です。そしてフランス国籍のベトナム人として生活をしながら、そんな私たちがとても「フランス的な」、フランス人が見てもこれ以上「フランス的な」作品はないと言ってくださるような作品を作れたということそのものが、非常に感慨深いものがあります。また、『ノルウェイの森』は日本で撮らせていただきました。日本人の村上春樹先生*5 がベトナム系フランス人である私たちに信頼を寄せて任せてくださった。そして日本の作品をベースに私たちの作品が作れました。撮影に長い時間を要したので、その間日本に1年間くらい滞在して、とても日本が好きになりました。フランスに帰国した後も日本のことが恋しくて、1年間くらいは立ち直れなかったほどです。ベトナム人でありながらフランスで育ちましたので、『青いパパイヤの香り』のようにベトナムを舞台にした作品や、『エタニティ 永遠の花たちへ』でフランスを舞台にした作品、『ノルウェイの森』では日本を舞台にした作品など、非常に多岐に渡る作品ができて嬉しく思いますし、今後もそうした活動を続けていきたいと思っています。
*5 1987年に刊行されベストセラーとなった村上春樹の代表作の著書『ノルウェイの森』を、トラン・アン・ユン監督が2010年に映画化。
映画教育について
インタビュアー:トラン監督はご自分も映画学校に通っていましたが、今生まれ故郷のベトナムで若い人を集めて映画ワークショップをやっておられますが、若手の育成に非常に興味があるのですね?
トラン:ベトナム中部のダナンで毎年一週間ほどですが、若い人たちに向けてワークショップを行っています。日本、韓国、台湾、マレーシア、シンガポールなどアジア各国からこのワークショップに参加してくれますが*6 、決して何か技術的なものを若い方に伝えようというものではなく、若い方たちと一緒に一週間共に仕事をしながら語りあい、映画言語とは何かということをみんなで考えよう、そしてみんなで定義をしていこうというのが大きな目的です。
*6 直近では、上映会後のアフタートークで司会を務めた石坂健治氏が教授を務める日本映画大学出身の三澤拓哉監督(『3泊4日、5時の鐘』)が2018年のワークショップに参加している。
インタビュアー:イエン・ケーさんも講師をされているとうかがいましたが?
イエン・ケー:ワークショップには5つ講座があります。その中で私はアーティスティック・ディレクター向けの講座を担当しています。特にビジュアルを作る方が対象です。まさに映画の“ルック”、この全てを担当している方たちです。監督とは本当に長い間いろんな形で仕事を一緒にしているんですけども、単に私は女優として彼の作品に参加するだけではなく、特に最後の二つの映画に関しては、コスチューム・セット・インテリア・メイクアップ、それら全てを担当していますので、そうした私の役柄から、若いアーティスティック・ディレクター達にこれまでの経験を話しています。この“ルック”と言うと何かファッションのようにイメージされるかもしれませんが、決してそうではありません。映画で言う時のルックというのは、その映画、撮られるシーンがより確かな、より現実感のあるものにするための重要な要素です。
トラン:映画の風味、風合いというものを感じさせてくれる、それがまさに“ルック”という事に繋がります。頭を使わずに、見たものによってダイレクトに観客に訴える、そのきっかけを作ってくれるのがまさにイメージ、“ルック”だと思います。映画というのはイメージ、画像が非常に重要だと思います。だからこそ私は、このルックというものに非常にこだわります。例えばその感情、情感というものを観る者にしっかり受け取ってもらうためには、的確、適正な形でのイメージ表現というものが非常に重要になります。過剰であってもいけないし、過小でもあってもいけない、まさに的確な量の的確なイメージというものをしっかり伝える、それを私たちはとても配慮しています。
インタビュアー:そのワークショップでは早くも成果が出ています。今年、多くの国際映画祭で賞を取っているベトナム映画は『ザ・サードワイフ(三番目の妻)』という映画ですが、監督は非常に若い女性監督です*7 。この方もこのワークショップの出身で、しかも主演されてるのは彼女なんですね。日本ではまだ上映されていませんが素晴らしい映画なので、いつか上映されればと願っています。この作品は非常に若い映画監督が作りましたが、既に色々な国際映画祭で上映されて非常に良い評価を得ており今後が期待されます。物語は三人の夫人がいる家族の話ですが、イエン・ケーさんも第一夫人で出演されています。
*7 『The Third Wife』、アッシュ・メイフェアー監督、2018年
インタビュアー:トラン監督の次回作品について聞かせて下さい。
トラン:次作は映画ではなくテレビドラマです。テーマはブッダの生涯で、ベトナムのテレビ局から依頼されて現在インド各地の調査など準備を進めています。ブッダをテーマにしたいとずっと思っていますが、輪廻転生というべき壮大さなので、今回は長い作品になることが予想され、映画ではとても収まり切れないので「テレビの連続ドラマ」というかたちにしようと思っています。
【編集後記】
トラン監督をめぐる言説の中でしばしば言われることに、「フランスに帰化したべトナム人監督による逆輸入されたオリエンタリズム」という指摘がある。しかし今回トラン監督及びイエン・ケー氏と長い時間接することで、こうした言説について懐疑的になった。そもそもこの二人は自らフランスという国を選択したのではない。多感な少年/少女、そして青年期をベトナム「ではない」場所で成長した。そしてこの「ではなかった」、言い方を変えれば何らかの欠落がおそらく彼らの出発点であっただろう。しかしその後彼らは自らのルーツ探しを選んだ。私にはこの欠落を埋めようとする能動性こそが重要だと思われた。そしてもう一点は、昨今あらゆるもの・ことが容易に国境を越え、越境それ自体が普通の現象となる世の中で、私たちはいまだにある意味便宜的に「フランス映画」とか「ベトナム映画」とか映画に“国籍”を与えるが、現代は、西側からの視線・枠組みで“未開世界”へ眼差しを向けることを批判した「オリエンタリズム」の言説が、必ずしも有効とはいえない状況を生み出しているのではないかと考えられる。「フランスからベトナムを眺める」と既定すること自体がステレオタイプ化しており、どちらから眺めるのかが重要なのではなく、どちら側からにせよ、お互いに交わることによって新しい、素晴らしい何かが生まれることが重要なのではないかと、お二人の話を聞いて深く気づかされた。
【2018年10月18日、アンスティチュ・フランセ東京にて】
<関連情報>
『エタニティ 永遠の花たちへ』 予告編
写真:佐藤 基
インタビュー協力:石坂健治(東京国際映画祭プログラミング・ディレクター)
編集:鈴木 勉(国際交流基金アジアセンター)