マレーシアの先住民族が直面する環境の変化『しらさぎ』
マレーシアのジョホールバルで水上生活を営む先住民族セレタール人に関するドキュメンタリー『しらさぎ』。ロー・ヨクリン監督は自主映画を作りながら学生に映画制作を教えており、彼女の教え子であるチー・ウェイシン氏が本作の撮影・編集を担当している。ロー・ヨクリン氏は、作品制作のきっかけについて「クアラルンプールからジョホールバルに移り住んだ際、職場への道中、毎日必ず路傍で魚や海産物を売っている夫婦を見かけたことから、その人たちに興味を抱くようになりました。『彼らが一体何者なのか』と姉に尋ねたところ、マレーシアの先住民のセレタール人*1 であると教わり、それで彼らの存在を初めて知りました。その後、彼らの生活をもう少し知りたいということで漁村に行ったのです」と話した。また、作中ではセレタール人たちの生活がジョホール州の激しい環境の変化に直面していることを描いているが、この作品を観て彼らをかわいそうと思ったり、同情したりはしてほしくないと言う。その理由として、「一生懸命生きれば必ず楽しく生きられる、という信念を彼らは持っていて、環境の変化の中でも楽観的に、毎日楽しく生活しているから」と語った。
*1 主にマレーシア南部のジョホール州に住む先住民で、独自の生活様式を維持している。伝統的に水上生活を営み、魚介類を採って暮らしていたが、近年では政策により陸上に定住する人も増えている。
インドネシアの伝統楽器テヒヤン奏者を追いかける『黄昏の郷愁』
次にインドネシアのブタウィ文化*1 で重要な役割を担う伝統楽器テヒヤンの職人・奏者であるゴーヨン氏に焦点を当て、自らの過去の栄光を思い起こす姿を描いた『黄昏の郷愁』が上映され、監督のファジラ・アナンディヤ氏と、音響デザインのアンドリュー・サプトロ氏が登壇した。本作は2015年にジャカルタ芸術大学の卒業制作として共同制作された作品で、ゴーヨン氏のことをそれまで全く知らなかった両氏は、幸運なことにこの映画がきっかけでゴーヨン氏と初めて知り合うこととなったと話した。また、以前より伝統的な楽器や歌などのブタウィの音楽が好きで興味があったこと、若者の間ではブタウィの楽器を演奏する者がほとんどいないことが制作の動機になったと語った。
*2 インドネシアでオランダ植民地時代にマレー、ジャワ、中華などの要素が混交して形成されたジャカルタ独特の地元文化。名前はジャカルタの旧名バタビアに由来。
プノンペンの路上で生きる父子『ABCなんて知らない』
カンボジアの首都・プノンペンの路上でホームレスとして生きるある父子の姿を通して、彼らが抱える困難を映し出す『ABCなんて知らない』のノム・パニット監督は、アニメーション作家としてこれまで多くの短編アニメーションを制作しており、本作は監督が制作する初のドキュメンタリー作品。本作はノム・パニット氏とソク・チャンラド氏の2人の共同監督によって制作され、2017年10月に開催された第30回東京国際映画祭「CROSSCUT ASIA」部門でも上映された。また、特別ゲストとして、カンボジアのボパナ視聴覚リソースセンターのプロジェクト・コーディネーターであり、本作のプロデューサーを務めるピセット・ティエン氏も登壇し、作品の背景にあるプノンペンの現状・社会状況について補足解説を行った。
急速な変化を遂げるミャンマーの都市『私たちのヤンゴン』
急速な変化を遂げつつあるミャンマーの都市ヤンゴンをユニークな視角から映し出す『私たちのヤンゴン』の上映後、監督のシン・デウィ氏と撮影のコ・オー氏が登壇した。シン・デウィ監督は「私は故郷ヤンゴンに非常に失望していました。子供の頃、ヤンゴンは東南アジアで最も美しい都市に指定されたこともあったそうですが、最近ではゴミ・異臭、車の騒音、人口の激増など様々な問題が起きています。しかし、『私たちは過去や未来だけにこだわるのではなく、今ある現在を見つめるべきだ』、などというある詩人の詩を聞き、今ある姿、現在の形に注目するべきだということに気が付きました。また、主人公である詩人から私はすごく教えられたことがあります。彼の言葉の中に『困難から学ぶべきだ』という言葉があり、監督として学ぶことがたくさんありました。みなさんもこの作品を通して何か学んでいただければと思います」と語った。
フィリピンの麻薬撲滅キャンペーンの真実『密告』
最後に、現在進行中のフィリピン政府による麻薬撲滅キャンペーンのもとで横行する殺人事件について、ある個人の視点から赤裸々に描いた『密告』が上映され、監督のエドレア・カミール・L.サモンテ氏と、同じく共同監督のニコール・パメラ・M・バレオ氏が登壇した。この作品について、「この作品は私たちが授業の課題として取り上げたものですが、題材が題材なだけに危険があるので最初はためらいました。けれども、私たちにも歴史を記録しフィリピンの現実を伝えるという役割があると考えて制作に臨みました。また制作することで、登場人物、制作者だけでなく観客にも影響を与えることができると考えています」と話した。
変化球ではなく剛速球で突きつけてくるような作品
作品上映後、本選考委員の一人で、日本映画大学教授/東京国際映画祭「アジアの未来」部門プログラミング・ディレクターの石坂健治氏と、山形国際ドキュメンタリー映画祭・東京事務局の若井真木子氏と各作品の監督が登壇し質疑応答を行った。
石坂健治:このプロジェクトが最初に始まったときに、今でも覚えているのですが、「10年がんばりましょう」と京都大学東南アジア地域研究研究所の先生たちに申し上げました。同研究所では、地域研究の立場から東南アジアの現実を撮りためてアーカイブを作るという発想がありますので、1、2年では終わらないだろうという意味で言いましたが、これまで2012年から6回開催して、現時点で既に予想を超えたスピードで成果が出てきていると感じています。年々作品の質は上がってきていて、素晴らしい作品が増えてきています。今回の入選作品の中には、フィリピンの『密告』など、ある事件なり事象を正面から捉え、変化球ではなく剛速球で突きつけてくるような作品があり、あるショックを与えてくれました。私は映画大学で教員をし、若者の映画作りに日々関わっていますが、このあたりが日本の若い人たちの姿勢としては一番欠けてしまっているところなので、そういう立場からも私自身、作品から刺激を受けています。
若井真木子:今回の入選作品の特徴の一つと言うか、もしくは毎回そうなのかもしれませんが、制作者の持つ経歴や背景と映画が合わさる時に、何かおもしろいことがわかるな、ということを感じています。今回特に各領域に詳しい方々が映画の背景を説明することで、単に映像だけではなく、色々な物事が重層的に見えてきたのかなと思います。
その後の質疑応答の時間には、観客から様々な質問が飛んだ。次に挑戦したい題材について質問が及んだ際には、『密告』のエドレア・カミール・L.サモンテ監督は「今後は犯罪現場を捜査する警察官について取り上げてみたいと思っています。例えば今回の事件で出てきたように、遺体を回収したり処理する人たちについて調べてみたいと思います。どうやって事件を捜査し、どこから情報やデータを得るのか、そして、その情報は本当に正しいのか、どう確認しているのかに興味を持ちました。本作をご覧いただいた通り、場合によっては真犯人が誰かわからずに殺害されている人たちもいます。ですから、この件に関して犯人が不明の場合、本当に捜査しているのかどうか、捜査情報についての統計があるのかどうかも知りたいと思います。これはフィリピンの司法改革にも関係することであるので興味を持っています」と次回作の構想について意欲的に語った。その他にも監督へ多くの質問があがり、活発な質疑応答のうちにイベントは終了した。
来日ゲストプロフィール
『しらさぎ』
ロー・ヨクリン(監督)
マレーシアの自主映画監督。代替チャンネル向けの短編映画やドキュメンタリーの製作を行っている。マレーシアでドラマおよび映画産業を7年間経験した後、さらに映画学の分野を研究した。彼女は芸術メディアを通じたストーリーテリングの力に懸命に取り組んでいる。
チー・ウェイシン(撮影)
学生でジャーナリズムの学位を取得、現在はマスコミュニケーションの学士号取得を目指して南方大学学院で学んでいる。新聞発行やドキュメンタリー映画制作、イベント企画といった学生プロジェクトに参加し写真家としても働いている。彼女は映画制作とメディアを通じた物語の伝達に熱意を抱いている。
『黄昏の郷愁』
ファジラ・アナンディヤ(監督)
ビデオグラファー、映像作家。2010年よりジャカルタ芸術大学に学び、2015年に文学士号を取得。『黄昏の郷愁』は彼のジャカルタ芸術大学での卒業制作である。本作品は、2015年インドネシア映画祭と2016年XXI短編映画祭で最優秀短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。またシリアでの2016年インドネシア映画週間の期間中にも上映され、2016年Cilect (国際映画テレビ教育連盟)では映画作品集入りを果たした。
アンドリュー・サプトロ(音響デザイン)
プロのリ・レコーディング・ミキサー、サウンド・デザイナー、およびサウンド・ミキサー。インドネシアのジャカルタを拠点としている。音響・映像および映画産業で4年以上勤め、サウンド・レコーディストやサウンド・デザイナーとして、多くの短編やウェブ・シリーズ、コマーシャルを手掛けて来た。2015年に文学士号を取得。『黄昏の郷愁』は、ジャカルタ芸術大学でのファジラ・アナンディヤとの合同の卒業制作である。
『ABCなんて知らない』
ノム・パニット(監督)
1989年カンボジアのバッタンバン生まれ。メディアに情熱的に取り組んでいる。視覚芸術を4年間、2Dアニメーションを2年間Phare Punleu Selpakで学び、卒業後はアニメーション・スタジオのアシスタントの職に従事した。2011年には昇進し、アニメーション教師となり、教育や人身売買、移住者等に焦点を当てた様々な短編アニメを製作した。また、ボパナ視聴覚リソースセンターにおける一年間の映画制作プログラムの参加者に選出された。この際に制作した短編ドキュメンタリー映画『ABCなんか知らない』が最初の作品である。また『Sorrow Factory』『Guide Boy』『the Hunter』など他の映画ではカメラマンを務めた。
『私たちのヤンゴン』
シン・デウィ(監督)
ミャンマーのドキュメンタリー映画の先駆者の一人。1973年にヤンゴンに生まれ、大学時代には記事や詩を書くようになった。ミャンマーの諸大学が1996年の学生運動の時期に閉鎖されると、彼女はヤンゴンの製作会社であるAV Mediaに入社し、そこで間もなく、ドキュメンタリー映画製作への情熱を自覚する。2006年にヤンゴン映画学校 (YFS)で学び始めた彼女は、程なくしてこの学校で最も多作な映画作家の一人となった。彼女の作品の多く、例えばビルマ人画家、Rahulaを描いた『An Untitled Life』や、ミャンマーの乾燥地帯に暮らす少女についての『Now I am Thirteen』などの作品は、世界中の多くの映画祭で上映され、高い評価を得ている。
コ・オー(撮影)
写真家。主な関心はビルマ人の現実とその肖像である。シン・デウィと2006年に結婚し、以来数々の短編ドキュメンタリー映画を共同制作している。
『密告』
エドレア・カミール・L・サモンテ(監督)
フィリピンのマニラに拠点を置く意欲的なドキュメンタリー映像作家。聖スコラスティカ大学のマスコミュニケーション(放送ジャーナリズム)学部を優秀な成績で卒業。主に社会政治的な問題や先住民族、人権などに焦点を当てている。卒業制作である『Bulabog』(2017)は、聖スコラスティカ大学のマスコミニュケ-ション学科で最優秀卒業制作ドキュメンタリー賞を受賞。2017年8月、彼女の手掛けた学生映画『Timbre(密告)』が、第29回フィリピン文化センター自主制作映画祭のドキュメンタリー部門で第三位を獲得した。現在はテレビ・ニュース番組のプロデューサーとして常勤で働く傍ら、フリーランスで国内外のドキュメンタリー映画製作の取材やフィールド・プロデューサー、製作アシスタントなどの仕事も行う。
ニコル・パメラ・M・バレオ(監督)
1995年フィリピン・マニラ生まれ。聖スコラスティカ大学のマスコミュニケーション(放送ジャーナリズム)学部を卒業。2017年8月、彼女の共同制作による学生映画『Timbre(密告)』が、第29回フィリピン文化センター自主制作映画祭のドキュメンタリー部門で第三位を獲得。現在、製作コーディネーターとしてSDIメディア・フィリピンで働く。
コメンテータープロフィール
石坂 健治
日本映画大学教授/東京国際映画祭「アジアの未来」部門プログラミング・ディレクター
1990年から2007年、国際交流基金専門員として、アジア中東映画祭シリーズ(約70件)を企画運営。2007年に東京国際映画祭「アジアの風」部門(現「アジアの未来」部門)プログラミング・ディレクターに着任して現在に至る。2011年に開学した日本映画大学教授を兼任。
若井 真木子
山形国際ドキュメンタリー映画祭・東京事務局
2005年より山形国際ドキュメンタリー映画祭にて、アジア・中東の若手作家を応援する「アジア千波万波」プログラムコーディネーターを努める。