天井裏のねずみ
コロナが落ち着いた後に、人々が何をしたいと思っているか、わかるだろうか。
旅行に行くこと?友人に会いに行くこと?パーティーを開くこと?
いや、違う。最も多い回答、それは離婚したいという望みだ。
そうなったのは、感染対策のために、狭い空間で夫婦が一緒に過ごさなければならなかったせいだろう。これまでは朝と帰宅後にだけ顔を合わせていたのが、いまや24時間ずっと一緒にいなければならなくなった。在宅勤務も同じ空間の中で行わなければならず、四六時中顔を突き合わせるようになった。気分転換で散歩に出るわけにもいかない。加えて、普段なら学校に預けておくことのできるやんちゃな子供も家の中ではしゃぎ回る。その結果、仕事をしながら(最後の部分もう1回修正お願い、そんなに多くないから、フォントのサイズを全体的に変えるだけだから、と言う顧客)、Zoom会議に参加し(チーフすみません、家のネットが不安定で……少々お待ちください)、子供に注意をし(クーパー、お父さん会議中だから、まだアニメつけないで)、玄関に届いたKerry Expressからの荷物を取りに行く(おっと、注文してた組み立て式のシューズラックだ……あ、テオ、そこの柵に掛かってるパッシーユ〔醤油焼きうどん〕の袋持ってきて……おいおい、今度はJ&T〔宅配業者〕から電話だ……まだ何か頼んでたか?)という状態になった。生活のすべてが、一軒家かコンドミニアムの狭い空間の中に集約された。それが普段の生活の中で起こることであれば、耐えることもできたかもしれない。しかしこのコロナ禍で、仕事やライフスタイル、生活費に関するストレスは何倍にも膨れ上がり、それが夫婦関係の脆弱な部分に衝撃を与えた。どこの夫婦にも、完全には癒えていない古い傷があるものだ。何年も前の話が掘り起こされ、口論になる。深いところに沈んでいたものがかき混ぜられ、再び濁りを生む。そうした衝突は、最終的に、絶対に別れてやると思わずにはいられないような大喧嘩へと発展する。
僕と妻も、コロナが収束したら離婚しようと決めた夫婦の一組だった。本当はできる限り早く離婚したかったが、経済的な面において僕らはまだ協力し合う必要があった。定期的な収入が減ってしまった一方で、在宅勤務によって電気代は上がっていた。なにより僕ら二人には、7歳になる一人息子を育てる責任があった。我慢してでも一緒にいた方が、この危機をうまく乗り越えられるだろうし、大人が二人いればお互いの負担を減らすことができるだろうと考えた。
一緒に暮らさざるを得ないことによる気詰まりと、この不安な時期に少なくともまだ頼る人間がいるという安心感が僕の中で混ざり合っていた。この先のことを考えても、僕には未来がどうなるのかわからなかった。このコロナ禍は一体いつになれば終わるのか。それとも終わりなどなく、このまま永遠に続くのだろうか。
よくある話だが、結婚生活の中で何か大きな問題が生じると、それまで蓄積されていた過去の小さな問題までもが蒸し返され、それによって夫婦関係が壊れてしまうことがある。今回の新型コロナウイルスはまさにその大きな問題であり、それによってこれまで床下にしまい込まれていたほかのさまざまな問題が引っ張り出され、その結果、僕と妻は別れることを決心した。そして僕の家庭に入ったひびが広がり始めたのと同時期に、同じようなことが国家という枠組みにも起こっていた。
僕らの国には積もり積もった数々の問題がある。それらは、配水管の中に押し込められたり、補修工事がなされていない道路のでこぼこの中に埋められたり、海底深くに沈められたり、あるいは大きな声では話せないような話として扱われ、封じ込められてきた。軍事政権とその数々の的外れな政策に対する国民の不満は、コロナ以前から存在していたイデオロギーの対立と合わさった。それは、タイ社会が見ないふりをして、そのまま突き進もうとしていたひび割れだった。
新型コロナウイルスの流行は突然襲いかかってきた大きな問題だったが、それがほかのさまざまな問題も一緒に表面化させる結果となった。コロナをめぐる問題だけではない。予算配分をめぐる疑念、司法の公平性をめぐる疑念、そして世界の流れに逆行するような国家運営の方向性に対する疑念。それらがコロナ禍において人々の頭から噴出したのだ。人々はそうした問題に不満を募らせ、群衆はその怒りを路上でのデモ活動で爆発させた。それは、いますぐにでも役所に離婚届を出しに行きたいという僕と妻の願いと同じく、きわめて激しい勢いだった。コロナが人々を激怒させた。不公平な予算配分に人々は不満を募らせ、さらにデモ隊に対する不当な逮捕と鎮圧が人々をますます狂わせた。
新型コロナウイルスをきっかけに、長い間タイ社会に蓄積されたさまざまな問題が大規模な政治デモとなって爆発した。国民は、この国に蔓延する不正との離婚を望んでいた。
一方でまた、コロナウイルスのせいで、激しい怒りに満ちたデモ隊が留まり続けることはできなかった。デモの参加者たちは帰路に就くと、家に入る前に手を消毒し、マスクを外してこう言った。「もうデモには行けない。感染したくない」
僕もまた、最初のロックダウンのときから妻と離婚したいと考えていた。しかし結局は、家にこもって仕事をしながら、「まだ離婚はできない。お金の問題が大きすぎる」と言うことしかできなかった。
毎晩眠りに就くとき、額に手を載せて天井を眺めていると、爪で何かを引っ掻くような小さな音が聞こえた。その音は僕にとって聞き慣れたものであり、音の正体がなんなのかは想像がついた。
天井裏には1匹のねずみが住み着いていた。毎晩、天井の一角に向かってトタトタ走ったり、何かをカリカリと引っ掻いたりする音がした。その小さなねずみは何かをかき集めているようだった。綿埃か、小さな紙くずだろうか。それはまるで、寝室の天井裏にある小さな家を掃除しているかのようだった。
その音は何度も妻の睡眠を妨害した。彼女はいつもイライラしながら言った。「いまは掃除の時間じゃないのよ、ねずみさん」
しかしねずみは、天井裏の掃除を一日も欠かさなかった。僕らの言葉は届いていないようだった。ねずみにしてみれば、自分にできることをやりながら生活を送っているだけだった。
雨季の最初の雨が降ったとき、僕らはその小さなねずみに、彼が住んでいる天井裏の一角が雨漏りすることを伝えるのを忘れていた。
雨水が漏れて天井から落ちてくると、妻はそこに水を受けるためのバケツを置いた。この様子だと、ねずみの住処もきっと水没してしまっただろうと思った。
ねずみがその天井の一角に向かって走っていく音が聞こえた。周囲の様子をうかがっているのか、一瞬静かになった。その後、小さな鳴き声が聞こえた。
「チュー」
その鳴き声を聞いたとき、僕はハッとして大きな衝撃を受けた。
そのねずみと僕らは、まったく同じだった。僕と妻も、同じように紙くずやほこりで汚れる家をせっせと掃除していた。頑張って家を建て、車を買い、自分の部屋を綺麗に飾ろうとしていた。来る日も来る日も、自分たちの生活、自分たちの将来を必死に形作ろうとしていた。それにもかかわらず、僕らが住民登録を行った大きな家には、そしてその家がある郡には、県には、あるいは国家には、僕らの知らない大きな穴が開いていたのだ。
もしかしたら本当は気づいていたのかもしれない。僕らにはその穴をどうにかする力がなかっただけなのかもしれない。
そして雨季がやってきたとき、大量の雨水が流れ込み、僕らがこれまでに築いてきたありとあらゆるものを破壊してしまった。必死に返していた住宅ローンの先行きは怪しくなり、仕事は不安定になり、それ以外の収入源も絶たれた。必死に守ってきた生活が、壊されてしまった。
それでも僕らには、自分たちの生活が壊れていく様を見ながら、半人前の声で鳴くことしかできなかった。全身全霊で「チューチュー」と鳴くねずみになることすらできなかった。僕らにできるのは、絶望に打ちひしがれながら小さな声で「チュー」と鳴き、自分たちの生活が壊れていくのをただ眺めることだけだった。
ワクチンやそのほかの状況に関するニュースを見ていても、政府のやっていることに心底失望するばかりだった。この国の統治者たちが何を考えているのか、僕と妻にはまったく理解できなかった。国をめちゃくちゃにしようとする愚か者なのか、それともわざとそうしようとしているやつらなのか。僕らを苦しませるために、親の言うことを聞かない子供である僕ら国民に罰を下すために、わざとそうしているのかもしれない。
お前たちが政府に不満を持つなら、こういう目に遭うんだぞ、とでも言うように。それはまるで、言うことを聞かない子供を叩くための竹の鞭だった。僕らにはワクチンもない。病院のベッドもない。治療してもらうこともできない。僕らが怒っても罵っても、何も変わらなかった。状況がさらに悪くなるだけだった。彼らはありとあらゆる悪手をわざと指し、僕らからすべてを奪い取った。ほんのわずかな希望ですらも、彼らはその長い手を伸ばして奪い取っていった。
彼らがやったのは僕らを見殺しにすることだけだった。それがこの国の政府が僕らのためにしてくれたことだった。
激しい雨が過ぎ去った後、天井裏の小さなねずみの行動は少しずつ変わった。以前はトタトタと静かに走り、天井の片隅で爪を立てていたのが、いまや彼の走りは乱暴なものになった。僕はその姿を見たことはなかったが、天井を走る音は明らかに変わっていた。子猫が走るような音になり、何度も狂ったように壁や梁の端にぶつかるドンドンという音が響いた。
僕の妻は不満げに、その騒音のせいで眠れないと文句を言った。一方で僕は、社会における僕ら国民の存在も、このねずみのようなものなのかもしれないと考えるばかりだった。僕らの生活は、天井に開いた馬鹿げた穴のせいで壊れてしまった。けれども僕らはその状況に対して、自分が受けた被害の大きさを訴えるために、狭い天井裏を走り回っていろいろなものに体をぶつける以外、為す術がなかった。しかし、それで家主が何かしてくれただろうか。そんなことはない。ねずみにとっての家主である僕は、天井の穴を修理しようとは思わなかった。そんなお金はなかったし、僕が困ることは特になかったからだ。雨漏りを受けるバケツを置いておけば、それで問題はなかった。たとえねずみの家がだめになっても、僕の家全体がだめになるわけではなかった。
国の上層にいて、僕らの命運を握っているような人たちも、きっと同じように考えているのだろう。家全体に穴が開いていて、そのせいで僕ら国民が地獄のような苦しみに喘いでいたとしても、彼らにとってそんなものは注意を払う必要もない小さな穴なのだろう。そんな穴を直さなくとも、上流階級の人たちの華やかな生活に大きな影響はないのだから。彼らにとっては、僕らが乱暴なねずみに変わって、天井を走り回って壁にぶつかったり不満げにチューチューと鳴いたりすることで、イライラすることがほんの少し増えるだけだ。
まったくうるさいな。そんな風に。僕らがあのねずみに対して思うのと同じことを、彼らは僕らに対して思うのだろう。
そして僕があのねずみに言ったのと同じように、いつか彼らも僕らに言うのだろう。
「おい、静かにしろ」
僕らにそう言った後で、天井にわずかに開けたすき間から殺鼠剤を入れる。
それが、いつか政府が僕ら国民に対してやろうとしていることなのだ。