アジアから/でダンスとテクノロジーと歴史を考える――チョイ・カファイ インタビュー

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

アジアにおけるコンテンポラリー・ダンスの現状を見渡す

―カファイさんは、さまざまなプロジェクト単位での活動をされています。日本でもすでに一部が上演された『Soft Machine(ソフトマシーン)』プロジェクトは、いつから取り組んでいらっしゃるのですか?

チョイ・カファイ(以下、カファイ):2012年からですね。

―そもそもの発想はどのあたりから?

カファイ:『ソフトマシーン』プロジェクトは、アジアにおけるコンテンポラリー・ダンスの現状を見渡そうというコンセプトです。きっかけは2009年。当時私は、ロンドンに住んでいたのですが、主要なダンスのための劇場であるサドラーズ・ウェルズで、「アジアから出て―コンテンポラリー・ダンスの未来」というイベントがありました。そのプロモーション映像を見て、ちょっと一面的かなと思ったのです。

―一面的というのはオリエンタリズム的とかそういうことですか?

カファイ:まあそうですね。大きな劇場組織の場合チケットを売らなければならないし、客が入りそうなプログラムにしないといけないということはわかります。ただ、アジアのなかで、ほんとうは何が起きているんだろうと思わされたんです。「アジアから出る」じゃなくて、「アジアにとどまる」方がおもしろいんじゃないか、ってね。それで2年かけてアジアを歩きました。アーティストに会って、アジアのいろいろな都市のコンテンポラリー・ダンスシーンがどうなっているのか知りたかった。

―ロンドンですから、南アジアというか、インド、パキスタン、バングラデシュといったところの存在感が強いのではないかと思います。それではあまりに狭義のアジアだという感じだったのですか?

カファイ:確かにね。バングラデシュ系英国人ダンサーのアクラム・カーンとかね。そういうのはプロダクションとしての価値は高いのですが、私はもっと自分の目でアジアのダンスシーンを見てみたいと思ったのです。

―つまり、どちらかというと、このプロジェクトはあなたの知的好奇心から始まったということですか?

カファイ:そうです。もちろん、一人のアジア人として(アジアについて)知らないことに違和感もありました。それで自分でリサーチを始めた。すると、実はあまり情報がないことに気づいた。たとえば、国際交流基金のウェブサイトにもインタビュー記事が載っていますが、英語と日本語で掲載されていても、直接その人にアクセスできないという意味では限界がある。アジアには48も国があるわけで、言葉の問題もあります。それで「とにかく自分で行く」ことから始めようと考えました。最初に選んだのは、私の個人的な興味もあって、日本でした。

というのも、私の活動の初期に5年ほど、ダムタイプに多大な影響を受けていた時期があり、日本の舞台芸術をなるべく観ようとしていました。それで日本を出発点にしたのですが、インタビューするにせよ、アーカイブをつくるにせよ、どういうフォーマットで行うかは事前に決めてはいませんでした。資料は事前に読みましたが、実際にインタビューするときには、その資料をその場で読んでみせたり、作品を見せてもらったり。ですから、かなり対話的で、直感的にインタビューを収集したという感じです。

インタビューを受けるカファイ氏の写真1
写真:山本尚明

―このプロジェクトで興味深いのは、例えば、あなたがそのアーティストと生活をともにするという場合もあったということです。それは事前に決まっていたことですか?

カファイ:やっていくうちに、進化していったとは思います。というのも、最初、15~20名のダンス創作者―振付家、キュレーター、マネージャー等にインタビューをして、さまざまな見方を得ることになりました。ただそこから、私の好きな振付家を1名選び、その人物を一種の「代理人」と考えました。この人物を通じてダンスシーンを知ることができる。そのため、この人物についてドキュメンタリーをつくることが、自然な流れになりました。

ドキュメンタリーのシリーズはこうして始まりましたが、ただ撮影してダンスの現場についていくといっても、多様な角度から考えるために、舞台上だけではなく、彼らの生活にも、彼らの出身地にまでも追いかけていくのです。そうしているうちに、このリサーチをサポートしてくれる人たちのなかには、ダンスフェスティバルにかかわっている人たちが多くいたので、自然にパフォーマンスもつくることに発展しました。私が何のリサーチをしているのか、その人たちに見せることができたのです。

―そもそもあなたは美術家として出発したんですよね?

カファイ:正確にはビデオ・アーティストです。

―ビデオ・アーティストであっても、パフォーマンスに出ることには、それなりに抵抗がある人が多いですよね?

カファイ:ダムタイプのパフォーマンス『メモランダム』を2002年のシンガポール芸術祭で観て、そのパフォーマンスでのビデオの使い方やマルチメディア・パフォーマンスを私もやってみたいと思ったんです。といっても、すでに当時フィジカルシアターに関わっていて、マルチメディア・パフォーマンスをつくりはじめていました。

―オン・ケンセンが芸術監督の劇団シアターワークスシンガポールのメンバーでしたよね?

カファイ:2007年から2009年までアソシエート芸術監督でした。大学を卒業してすぐの2004年から、オン・ケンセンと仕事をするようになっていました。

―どの作品ですか?

カファイ:『サンダカン悲歌』と『目覚め』ですね。

アジア5カ国88人へのインタビューから生まれた作品

―『ソフトマシーン』プロジェクトに話を戻しますが、私はちょうど、2015年の1月にインドのケーララ州国際演劇祭で上演されたバージョンを見ました。2名のダンサーが出演していましたね。実際にドキュメンタリーをつくったダンサーは何名いたんですか?インタビューの対象は?

カファイ:シンガポール、インド、中国、インドネシア、日本の5カ国88人にインタビューしました。それから、シンガポールを除いて、4つのパフォーマンスと4つのドキュメンタリーをつくりました。2013年にマレー系のダンサーとシンガポール版を作ろうとしたのですが、作品化するところまでには至りませんでした。

―インドのバージョンに出ていたのはインドネシア出身で日本在住のリアントと、インドのマニプル州出身のスルジット・ノングメイカパムの2人でしたが、あとの2人というのは?

カファイ:2人というより、1人と1組というべきですが、コンタクト・ゴンゾの塚原悠也さんと中国のシャオ・クゥとツゥ・ハンさんです。2015年6月には4バージョンともシンガポールでリハーサルをします。8月にはウィーンで初演する予定です。

―塚原悠也さんには、どれくらい付き合いましたか?

カファイ:大阪に住んだというほどではないです。たぶん3~4カ月くらい時間をかけたんじゃないでしょうか。2年という期間があり、大阪だったり、京都だったり、私がニューヨークにいるとき、彼らがニューヨーク近代美術館でパフォーマンスをしたので、そこでまた、とか。ある程度の設計図はあるものの、結構偶然にも左右されます。自分に時間があって、対象のアーティストが近くにいるとわかれば、後をついて行ってみる、といったような。

―中国のふたり、シャオ・クゥ と ツゥ・ハンは?

カファイ:上海の人たちです。今回TPAM2015での公演があったので、リハーサルからずっと撮影していました。

インタビューを受けるカファイ氏の写真2
写真:山本尚明

―そもそもどうやって88人(組)から4人(組)を選んだんですか?直感?違いますよね、何か基準がありますよね?

カファイ:選んだ理由はたくさんあります。前段階で誰にインタビューするのかというところから始まっています。訪問先は、いわゆるメインストリームではないところ。日本でいえば、東京じゃなくて関西圏。というのも、関西の方が、ダンスについてある意味ピュアなアイディアがまだあるような気がしたからです。日本でダンスを観ると、どのダンスは関西圏の振付家によるものか、東京の振付家によるものか、ということが私にはわかるんです。

―京都と大阪でもかなり違うと考えますが。

カファイ:ダンスに関しては、京都であっても大阪であっても、「踊る」ということが最優先する。マルチメディアがどうとか、演出がどうとかは、その後についてくるに過ぎない。ところが東京の場合、「踊る」ことが、ダンス作品の譲れない基本にあるとはどうも思えないことが多い。

―なるほど。国内にいると、どうしても作家の個性として考えてしまいますが、地域的特性ということでもあるかもしれない。

カファイ:もう1人もマニプル州ですから、インドの辺境です。選んだアーティストにはそれぞれ別の物語があるわけです。そうやってインタビューした全員のことを思い浮かべてみると、私が興味を引かれるアーティストが浮かんでくる。コンタクト・ゴンゾはまっ先にという感じでしたが、ドキュメンタリー映像については、「コンタクト・ゴンゾとは何か」ということについて脱神秘化する試みでした。コンタクト・ゴンゾがあまりにおもしろい存在だったので、彼ら以上におもしろい人に日本では出会わないだろうと思ったんです。

―実際のところ、場所はアジアのどこでもかまわない。

カファイ:インドについては、バンガロールにあるアッタカラリ・ムーブメントアーツセンターで16名の振付家とレジデンシーをして、ふさわしいコラボレーションの相手を探しました。相手については、ちゃんと意思の疎通ができるということも重要だし、場合によっては、波長が合うというか、私が何をしようとしているのか即座に理解してくれるというようなことも重要です。何か共通するものがないとね。 スリジットはマニプル出身だと聞いて、ピッときた。マニプル出身のダンサーは初めてだったし、だから出かけていってとにかく見てみたかった。彼と生まれ故郷の町に行きました。そういうわけで、対象を選ぶのは直感といえば直感ですが、仕事のオファー、つまり「私とコラボレーションしますか?」と聞くより前に、友だちになれるかどうかも大事です。

―私がケーララ州国際演劇祭で見た作品について少し感想を。国際演劇祭でよく批判されるのは、作品の根ざした場所から切り離して脱文脈化して見せてしまうということです。ところが、あなたのケーララ版の『ソフトマシーン』では、まずドキュメンタリー映像が流れることで、当該のアーティストのアイデンティティ、地域的・文化的アイデンティティがしっかりと提示される。もちろん、アイデンティティという概念そのものがヨーロッパ近代的といえてしまうのだけれども、あなたの作品では、ドキュメンタリー映像と実際に舞台でやられることとの間にいつでも緊張関係があり、観客はそこにある種の知的回路を開くことを要求される。

そもそも多様な要素からなっているわけですが、幕開きでは映像があり、それからあなたが舞台に出てくる、そこからはリアルタイムのドキュメンタリー演劇のようになりますが、パフォーマンスの部分もある。私が興味を引かれたのは、シンガポール出身ということで文化帝国主義という批判を免れないと思うのですが(笑)、気にしていないというと言い過ぎですが、親密な感覚のうちにダンサーの身体にまつわる問題を提出しようとして、その場合、「アジア」というフレームが可視的にはないことです。もちろん、アジアから来たアーティストなのだけれど、上演は「アジアから」と定義されているわけではない。インド・マニプルはマニプルであって、地図上ではアジアにあるけれど、ヨーロッパ的アジア概念とは関係がない。そのあたりがとてもよかったですね。

インタビュー中の内野氏の写真1
写真:山本尚明