マニラの地域コミュニティに出かけ、創作に観客を巻き込む ――シパット・ラウィンとカルナバル・フェスティバル

Interview / Asia Hundreds

コミュニティとつながり、観客を創造のプロセスへ

山口:各メンバーのモティベーションが実に高いですね。一体そのエネルギーはどこからくるのでしょう。

サラ:私たち自身がパフォーマンスを交流のためのプラットフォームとしながら共同作業をすること、そして知らない人々とともにつくることが熱烈に好きなのだと思います。シュタイナーメソッドに詳しいメンバーのメラから学んだのは、子ども自身、また観客や参加者がカリキュラムだということでした。私たちの活動はコミュニティとの関係を求め、劇場の外へ、サイトスペシフィックな作品創作へと向かい、そこにいる人々と協働します。社会のメンバーとして、アーティストと観客ではなく、人として向き合うなかからインタラクションが生まれ、社会の一員としてコラボレーションを行う。こうした視点のもとに私たちの実践は拡大し、パフォーマンス・プログラムも発展していきました。

山口:そういった活動は、地域の人々にどのような効果もしくは変化をもたらしたと思いますか。

JK:私たちにはアーティストとして、観客を取り巻く状況を理解する責任がある。それは政治、経済、文化的文脈であり、そこに観客との接点がある。地域の人々が集まる場所をつくり、互いに問いを発することのできる、交流のためのプラットフォームを生み出す、それが演劇にできることだと理解しています。パフォーマンスを何かを可能にするもの、あるいは人生のためのリハーサルととらえると、交流としての意味を持ち始めます。同時にプロダクションの方法も変化します。
たとえば最近導入した方法に、「ブランク・チケット・システム」があります。公演を観た後で、その価値を判断してあなたが払える範囲でチケットの値段をつけてください、というものです。学生であれば100ペソもしくは2ドルは一回の食事の値段です。今はまだ学生だから100ペソしか払えないけど、将来仕事についたらもっと応援するよと言いに来る人がいる。こうしたことが起こることこそが、私にはとても重要です。仲間としての関係が成立するからです。

サラ:着実に変化していると思います。今でもよく覚えていますが、『バタリア・ロワイヤル(Battalia Royale)』第1回公演の際、ストリート・チルドレンが離れたところから公演をずっとのぞいていました。子ども向けの作品ではありませんでしたが、「何やってるんだろう」ととても興味津々でした。終演後彼らはやってきて小銭をくれました。
もうこれは、私たちにとっては大変な、圧倒されるような経験でした。食料とは違って、生きていくために必ずしも必要ではないパフォーマンスに対して、自ら進んでお金を払ったからです。そこにはシパット・ラウィンが伝えたいことがあったのです。

山口:コミュニティにもいろいろあると思います。どのようにアプローチするのでしょうか?

JK:それぞれの状況を考慮します。一度、村のコミュニティでワークショップを行い、子どもたちやティーンエイジャーたちと数カ月間創作を続けたことがあります。ラップのバトルや、ヒップ・ホップのテクニックの競い合いなどを取り入れた結果、ロミオとジュリエットが生まれました。25人でスタートし、最終的には50名が出演しました。バスケットボールのコートを舞台に、実際のバルコニーも使いますし、観客は私たちとともに走り、上演を観る。そのエネルギーを目の当たりにすると、人々が劇場に行きたがらないのではなく、私たちがドアを十分に開いていなかったのではないか、演劇の場に連れて行くのではなく、演劇を彼らのもとに届けることこそが必要なのではないかと考えるようになります。そうすると実に多くのことがシフトします。

インタビュー中のJK・アニコチェ氏
写真:山本尚明

サラ:接続を可能にする言語へシフトします。

JK:観客の視点は作品創作のプロセス、そして上演そのものにも重要な意味を持ちます。多数が参加するオンライン・コミュニティの力学も理解する必要があります。これも言語のシフト例です。『バタリア・ロワイヤル』も、上演とも演劇公演ともいわず、「ライブ・アクション・ゲーム」と名づけることで、ゲームオタク、理系の人々、IT分野で働く人々にもドアを開いたのです。演劇を初めて観た観客も、物語の展開に参加してくれました。演劇が拡大し、パフォーマンスのダイナミクスも拡張されます。その後も、観客をプロセスに引き込む方法を考えるうちに、次の作品『Love』をクラウド・ソーシングで創作することを思いつきました。つまり誰もが物語を提供することができます。詩でも、テキストでも。

サラ:メールでもいいし、写真でもいいんです。パワーポイントでもなんでも。ツイートも。

JK:「愛に関係するもの」は、だれもが持っていますよね。とにかくそれらを集めて作品にしていく。実際にどのくらい集まったんだっけ?

サラ:結局、200人から約500点くらい集まったと思います。

インタビュー中のサラ・サラザール氏
写真:山本尚明

JK:これらからパフォーマンスをつくるわけです。集まったテキストから現代の愛に関する神話をつくる。ここでも言語のシフト、つまり「クラウド」ということばを用いました。クラウド・ファンディング、クラウド・ソーシング。こうして多くの人とつながりました。
最近はソーシャル・メディアが大変なブームでオンライン上にノイズが増えたので、次は手づくりの方法をとり、役者1人と観客1人というパフォーマンスを行いました。大規模なものから、とても親密な作品へのシフトです。常につながり方を模索しています。

山口:そんな作品もつくっているのですね。おもしろそうですね。

サラ:その後の音楽フェスティバルでは、ひとりコンサート「ONE-ON-ONE CONCERT」も行いました。演奏家1人と観客1人です。

JK:音楽フェスティバルは大勢の人々が来場してとてもうるさくて、ただ静かに聴きたいという気持ちにかられることがあります。そこでひとりコンサートを提供しました。

サラ:角に人がたっていて、近づいていくと「私のコンサートに来てくださってありがとう」と言われます。そして本当にその場で歌ってくれるか、あるいは何かをささやきます。

JK:自分で一所懸命探さないと音楽家をみつけられないですが(笑)。

日本の映画から着想を得たパフォーマンス『バタリア・ロワイヤル』

山口:では『バタリア・ロワイヤル』について、成り立ちやプロセスについて詳しく教えてください。

JK:この作品は日本の高見広春さんの小説『バトル・ロワイアル』を、かなりゆるくですがベースにしています。大阪で高校に通っていた2003年、映画を観て非常に強い印象を受けました。自分はフィリピン出身で文化が異なるけれど、何か通じるものがあったのです。その後ずっと考えていました。2009年、オーストラリアの作家デイヴィッド・フィネガン(David Finnegan)から連絡をもらい、彼の作品をレストランで上演しました。終演後、今後のプランを聞かれ、やりたいことはたくさんある、2つの大学の劇団で教えシパット・ラウィンがスタートしつつある、でも手がけたい作品は一つだけ、日本で観て読んだ『バトル・ロワイアル』と答えました。すると彼は、あ、実は『バトル・ロワイアル』をベースにしたテキストを書いたんだ、と。いわゆるシンクロニシティですね。11日間、11人の役者、11人の劇作家で上演したい、毎晩誰かが亡くなるという設定で、とデイヴィッドは言いました。原作の設定とはかなり異なるけれど、発想はそのままだった。結局彼が作家を3名連れてマニラにやってきました。
舞台化にあたり一番大変だったのが、原作は日本、脚本家はオーストラリア、出演者と観客はフィリピン、という3つの異なる文化が存在することでした。私は1年ほど日本に滞在したこともあって、少しとはいえ日本のことを知っていましたが、デイヴィッドはほとんど知らなかった。そして役者は全員フィリピン出身。ワークショップを繰り返し、小説を読んで、10人の役者とともに稽古しました。劇作家は多種多様なシーンを出してきました。対立の末感情が爆発するシーン、親しさが増すシーンなど。役者がやってみせて、作家はそれを観て、また書き進めるという作業でした。

サラ:即興でね。

JK:そう、即興を観て書き起こし、脚本化する。結局原作をほとんど破棄することになり、新たに創作したようなものです。マニラでのワークショップは3週間におよびました。2011年のことです。オーストラリアに戻った劇作家から分厚い脚本が私のもとに届いたのは、その年のクリスマスのことでした。

山口:クリスマス・プレゼントですね。

JK:はい(笑)。脚本を読んだところ、これはフィリピンの感じ方ではない、つまり日本の原作なりオーストラリア的なるものを、どのように翻訳して上演するかが問題だとあらためて認識しました。したがって、舞台化には多くの発想や工夫が必要、でも時間の余裕はない。そこで、ストーリーを発展させるため、Facebookに全役柄のアカウントをつくり、大学の劇団等からも集めた役者計40名に提供し、各役者がそれぞれに与えられた役柄をその中で作り上げていく提案が劇作家から出されました。

サラ:ソーシャル・メディアが、具体的な役づくりに向いてたんです。

JK:たとえば高校生活最後のダンスパーティーの写真、幼いころの写真や、家族の写真をアップする。もちろんフィクションです。役者たちも物語を発展させるプロセスに参加しました。Facebook をマーケティングのツールとみる人は多いですが、ここでは上演のために物語を展開させ、観客がアイディアを得る道具として機能しました。実際、上演に向けてとてもいいスタートが切れました。

サラ:上演に先立ち、オンライン上のパフォーマンスを観客がずっと観ていたのです。

JK:観客は独自の解釈をしていました。「え、彼らが友だちだなんてありえない。だってFacebook ではこうだったし…」、とか、「わあ、きっとお母さんが知ったら泣いちゃう。だって卵サンドイッチをつくっていたから」など。

サラ:「なぜ彼らは殺し合っているの。先週ドーナツをわけあったばかりなのに」というのもありました。

JK:とても豊かなストーリー・テリングでした。物語の空白を、観客が埋めていったのです。

バタリア・ロワイヤル上演の様子
『バタリア・ロワイヤル』

山口:上演会場はどんなところでしたか?

JK:初日はマニラ最大の劇場であるフィリピン文化センターのプロムナード、劇場入口への登り道でした。文化センターというのは、本来は市民のためにアプローチしやすくあるべきですが、ここは当時の市長の希望で高台に建てられ、車を所有する人だけがたどり着けるようになっています。しかもレンタル料が非常に高い。でも劇場外の野外パフォーマンスは可能だといわれたので、使うことになりました。初日はなんと250人が来場し、2度目は450人、3度目は900人と増えていって驚きました。大変な騒ぎとなったので、上演会場を廃校に移して物語の展開を変更し、安全対策も施しました。会場の変更で、観客は常に私たちとともに走ることになったからです。

サラ:つまりシーンの転換のたびに移動するので、観客も一緒に移動するのです。食べ物、飲み物持参で。

山口:なんだか楽しそうですね。

JK:オーストラリアの劇作家の脚本は実に暴力と血にまみれているのだけど、演出家として深い人間性を加えて、よりヒューマンな内容にしました。ただ殺したいから殺すのではなく、なぜ暴力的になるのか、制度がそうさせるのか。勝たなければならないという状況のなかで駆り立てられ、誰もが何かの犠牲になってしまうということです。
上演を突然中断して、舞台中央に立つティモシーに死んでもらいたいか生きていてもらいたいか、観客に投票を促したことがありました。観客は「死を!」と叫ぶか、「生きろ!」と叫ぶかのどちらかです。Facebook 上のグループでも、このディスカッションが盛んに行われました。
上演の中断について投票するという挑発もありました。「すでに28名亡くなった、ここで上演を中断したいか?」―3分の2以上の賛成が得られなければ上演続行ですが、終了することもありえます。観客自ら終演方法を選ぶことになります。これについては激しい議論がおこり、精神科医とも話しました。上の世代の演劇人にも相談したところ、「クリエーションの責任はどこにあるのか?」と問われました。演劇を言説のプラットフォームと位置づけ、多様なフレームワークを用いていると説明しました。

サラ::単なる終演後のトークやディスカッションではなくて。

JK:私たちにも答はありませんでした。なぜそのパフォーマンスを観に行くのか?なぜそのパフォーマンスでは人を殺してもいいのか?あなたのモラルは劇場の外に預けて、まったく別の人格として観に行くのか?こんなにも多くの暴力をあなたはよしとするのか?といった問いを、発し続けたのです。そのなかから人間性に対する希望が見えてくるかもしれません。いずれにしても、演劇は人々が自ら何かを実践する場所だと考えています。