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マニラの地域コミュニティに出かけ、創作に観客を巻き込む ――シパット・ラウィンとカルナバル・フェスティバル

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

舞台芸術との出会い

山口真樹子(以下、山口):今日はどうぞ宜しくお願いします。まず、JKはどのような経緯でアーティストになったのですか?

JK・アニコチェ(以下、JK):祖父母の影響でしょう。祖父はフィリピン北部の村で劇場のために戯曲を書いていました。1960~70年代にかけて流行した音楽メロドラマで、祖母は俳優として出演していました。また、フィリピンでは子どもたちにパフォーマンスを奨励することが多く、集まりがあるたびに踊るよう促されます。何度かストーリー・テリングのコンクールにも出場しました。その後フィリピン芸術高校に入学しました。卒業後はフリーランスの役者としてマニラのさまざまなカンパニーで活動し、並行してフィリピン大学で映画を学びました。

山口:映画も学んだのですね。

JK:そうです。私のセンセイが、すでに演劇教育を受けたのだから、大学ではお金を稼げることを学ぶのがよい、そうすれば自分のやりたい活動が続けられると助言してくれました。今から10年ほど前は確かに、演劇で食べていくのは困難でした。企業イベントへの出演なども含め、異なる種類の仕事を多数こなしてはじめて生活が成り立つ状況でした。そのうち演出家として母校で教え始め、大学の劇団で演出もするようになりました。

山口:ありがとうございます。ではサラ、お願いします。

サラ・サラザール(以下、サラ):私の家族は全員理系、両親ともに農学者です。子どものころ演説コンクールに出たのがパフォーマンスとの出会いです。その後、演劇が何かよく知らないまま、フィリピン芸術高校に入学しました。山の中の学校って楽しそうだし、とにかく親元から離れて暮らしたいと思いました。2年生のときJKに出会い、翌年もうJKは先生として教えていました。卒業後、地方の大学で学んでいたとき、JKが都市のなかで実施するプロジェクトに私を誘いました。役に立ちたくて、ついていきました。

JK:私が悪いのです(笑)

サラ:実際、演劇を職業として考えるのは難しかったですね。私の家族は芸術とはまったく無関係で、親戚からは演劇では生活していけないのだから、せめてテレビドラマに出演するかジャーナリストにでも、などと言われましたが、JKはずっと私を巻き込み続けました。結局私は両親を説得し、フィリピン大学に籍を移しました。芸術論を学び、さまざまな芸術の実践について多様な視点を得ることができました。在学中にシパット・ラウィンに入り、活動に参加しました。

シパット・ラウィン・アンサンブルとプラットフォーム

山口:では、シパット・ラウィン・アンサンブル設立の経緯を教えてください。

JK:フィリピン芸術学校でともに学んだ仲間は、卒業後ほぼフリーランスで活動していましたが、ミュージカルや児童演劇が多かったので、毎夏西洋の古典作品に取り組もうとしたのです。当時私たちには新しいアイディアが限りなくあり、共通の問題意識も語りたいこともたくさんありました。一方、劇場での創作は費用がかかりすぎる。そこでパフォーマンスを成立させる基本要素に力を注ぐことにしました。学校で教わったように、役者と演技、観客です。劇場や舞台美術、照明デザインがなくても成立するはず。費用が少なくてすむ上演会場を探し、バーや小さなギャラリーで上演するうちに、今後も続けたくなりました。仕事のあとに集まって、夜の10時から明けがた2時まで稽古していましたが、そう長くは続けられません。一方、私たちがやりたいことは既存の空間や通常のカンパニーには合わない。ではいっそのこと皆でまとまって、インディペンデントなアーティストとして自分たち独自の活動をプロデュースしようということになり、シパット・ラウィン・アンサンブルを結成して、本格的な活動をスタートさせました。

カンパニー シパット・ラウィン・アンサンブルのイメージ写真
シパット・ラウィン・アンサンブル

山口:メンバーについて教えてください。

JK:現メンバーは全員マネジメントも企画も手がけます。プログラムは3種類あり、まず子どものためのストーリー・テリングをボランティアで行う「Children's Wing」 。2つ目は「Main Wing」。Wingは、カンパニー名に由来します。ラウィンは「山に住む鷹」、シパットは「鳥瞰」を意味し、私たちの作品がおよぶ範囲の広さを表しています。さらにワークショップ・シリーズ「Theater-in-a-Backpack」があります。マネジメントも自分たちの仕事にすることにしました。そうすれば活動が持続すると考えたのです。アーティストも社会的存在であることが、私たちの実践における基本的な考え方です。多くの作品やパフォーマンスを展開し、「アーティスト-マネージャー」8人全員でシェアします。

山口:「アーティスト-マネージャー」、ですか?

JK:はい、アーティストであり、同時にマネージャーです。私は演出をしますが、プロダクション・マネージャーでもあります。

サラ:私はパフォーマーであり、教師でもあります。プロジェクトのマネジメントも手がけます。

JK:マニラでは最近、インディペンデントなパフォーマンスが盛んになってきていて、そのシーンの一員であることを、とてもうれしく思っています。もちろん、状況は相変わらず厳しく継続が課題です。作品を提示するフェスティバルは数多くありますが、特に若いアーティストが新作を展開できる場がありません。私たちには幸いにも自分たちのプラットフォームがあります。シパット・ラウィンでは、創作のための前提条件は自らつくるべし、と考えています。リソースを分かち合ってきたし、幸いなことに小さなスタジオもあり、ギャラリーとも協力できるし、それをまた他の人々とシェアしています。

ストーリー・テリング ボランティアProject Banigの活動の様子を写した写真
Project Banig, Children's Wing