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秘境の地から世界へ、ラオスの今

Interview / Asia Hundreds

ラオスのパフォーミング・アーツの歴史と現状

―ラオスのパフォーミング・アーツの歴史について教えて下さい。

トー:かつてサーカス、演劇、古典舞踊などのアーティストを、ベトナムやロシアに留学派遣した時代がありました。写真を見たことがあります。彼らは、ほとんどが政府の職員でしたから、今も国立劇団でひっそりやっているでしょう。すでに亡くなった人もいます。

ワンナポーン・シッティラート(以下、キノ):彼らの舞台を子どもの頃に観ました。歌も踊りも、政府のお墨付きだから、かなり保守的で厳しい制約のなかで制作している感じでした。
映画『Bua Deng / Red Lotus』(1988)は当時の政権が強く支援したおかげで製作され、カンヌ映画祭に出品されました。

トー:結局、求められているのは伝統舞踊、歌、サーカスです。影絵芝居は、まだ寺や小さなコミュニティで細々と続いていますが、消えつつある芸能です。それはもったいないので、私達の舞台と組み合わせて甦らせたいと考えています。

―影絵芝居はなぜ消えつつあるのですか?

トー:革命後に社会が変わってしまったのです。地方各地で影絵芝居をやっていた人達は、生活のためにもっと金を稼がなければならなくなったり、高齢で亡くなったり。人形自体は残っているのですが、演じる人がいなくなりましたね。芸術の優先順位が低くなったのです。

キノ:政府の文化担当官も、それほど大事に思っていない。でなければ、タイやミャンマーやカンボジアでは伝統的な影絵が続いているのに、ラオスだけが立ち消えつつあるのは解せません。

キリティン・スティポノーラット(以下キリティン):伝統芸能はかつて王室のためにあったのです。だから社会システムの変わったラオスでは必要とされなくなったのでしょうね。ラオスも民主化に移行し、安定してきて、芸術文化が戻ってきている感じがします。言葉を慎重に選びますが…つまり歴史というのは芸術に重くのしかかっているものではないかと思うのです。タイでは王制を貫いたので、ラオスのような政治史を背負わずにすんでいる。だから芸術が生き続けているのです。ラオスでも伝統を復活させ、新しいものを紹介すべき時期が来ていると思います。

―時代もだいぶ変わってきたのでは?

キノ:いやぁ、わかりませんよ。検閲はまだきついです。今後、状況が改善することを願います。

キリティン:映画の検閲が厳しいのは、映画が儲けの大きい商業産業だと思われて警戒されているからではないでしょうか。あと、演劇の場合、比喩的な表現を使ったり、映画よりも間接的な手法を使って自由に探れます。
一方で、観客を思うと婉曲な比喩は考えようですよね。観念的表現が過ぎると、観客の頭上を飛び越してしまう。ラオスの観客は、進歩的な思考、既成観念を批判的に捉えることに慣れていないのです。共産主義教育で、目前にあるものの向こう側が想像できなくなっています。現代演劇やアートはその理解を越えてしまうといって、純粋娯楽のような作品ばかりになってしまう。例えば『Metamorfoz』では、コメディの部分はおもしろがっても、社会的なメッセージはわかってもらえなかったようです。こちらは検閲も通さなくてはいけないし、微妙な線をたどらなくてはなりません。結局、国外の、メコン川流域の観客の方が、社会的・政治的テーマに対する教養が備わっていて、作品を理解してくれたようでした。

―『Metamorfoz』はどういう物語ですか?

公演の様子の写真

Metamorfoz

キリティン:ラオスに水力発電がやってくることと、ある少女が成人を迎えることがテーマです。作品では水力発電の是非を問うわけではないので、解釈は観客の判断にゆだねています。

トー:脚本はフランス側の作家が実話をもとに書いたのですが、ラオスの文脈と言語に移し替えるにあたり、私が編集・アドバイスをしました。ラオス人が川とともに暮らしてきたこと、川と運命共同体であることなどがリサーチして書かれました。
この作品は、私にとって新しい出会いであり、ひとつの挑戦でした。物語も気に入りました。そして、観客に直接訴えかけるのではなく、登場人物の心情やオブジェを通して真実を伝えていているのが好きです。観客の想像力を養います。ラオスでこういうタイプの作品を見てもらうのは、今がちょうどいい時期なんです。

ラオス初のパフォーミング・アーツのフェスティバル

―2015年1月末に日本大使館主催で「ビエンチャン芸術祭」を開催しましたね。ラオスに現存するすべてのパフォーミング・アーツを集めた祭典で、好評を博したそうですね、おめでとうございます。人形劇、影絵芝居、民謡、民族舞踊、現代舞踊、演劇、オブジェクト・シアター、サーカス、ブレイクダンスまで!日本からもアジアマイムクリエーション実行委員会の小島屋万助代表や、パントマイムのあさぬまちずこさんが参加したそうですね。

トー:フェスティバルをやりたいと長年考えていました。友人達と相談し、日本人のあさぬまさん、チャンパとも話し合い、やろうということになったのです。チャンパは日本からのアーティストを手配してくれました。そしてラオスのアーティストもたくさん招きました。
こういうイベントはラオスで初めてでした。私にとっても、スタッフをしてくれた同僚達にとっても初体験です。フェスティバルを経験したことのない人がほとんどでした。だから、私が自ら皆の仕事ぶりをチェックしなくてはならなくて大変でした。
でも結果は成功で、観客がこれほど来るとは予測していませんでした。特に無料鑑賞の屋外の部。3時間でのべ1,000人もの人が来てくれました。屋内の公演にも400人くらい来ました。今回は政府関係、民間を問わず、様々な団体が参加してくれたことがとてもうれしかったです。皆が舞台に立ってくれたのです。
とにかく終わってほっとしているところです。自分のアイディアを実現できたこと、友人達と一緒に成功させたことは本当にうれしく、誇らしいです。次は日数を増やして、他の国からの参加アーティストも増やして、来年また開催したいと思います。

―キリティンさんは衣装デザイナーですが、パフォーミング・アーツとの関わりは深いのですか?

  インタビュー中のキリティンさんの写真

写真:山本尚明

キリティン:はい、長年携わっていますが、ラオスではまだ数年です。ただ、ラオスではセットや衣装をデザインする機会はほとんどありません。カオニャオのようなカンパニーとの仕事や映画の仕事もしていますが、本格的に取り組むには予算と製作技術がないのです。私ひとりでセットを組みたてられないし、全員の衣装をひとりではつくれません。人材不足です。

トー:衣装担当者にちゃんと謝金を渡せないので、結局演出家が全部やったりします。無償で働いてもらうのも申し訳ないですし、カオニャオのスタッフが引き受けたりせざるを得ません。

キリティン:例えばラオス公演の衣装を一式デザインしても、実現させる資金がなかったため、デザイン画で終わってしまいました。私を雇う予算、衣装を縫いあげる予算がほとんどないのです。別に根に持っているわけではないですが、デザインしても実現できないなら私を雇ってもしょうがないでしょ。

―10年後、状況はよくなっていると思いますか?政府からの支援とか?

キリティン:政府支援は絶対にありません。一銭も来ないでしょう。伝統芸能ならともかく、民間のコンテンポラリー・カンパニーはまずありえません。今は、海外のカンパニーや開発援助団体から支援してもらっていますし、今後は広域のアジアで知ってもらえるといいと思います。
現在一番大きな問題はマーケティングです。ラオスでどんなことが行われているのか、国内外に知られていない。ラオスに固有の演劇があることさえ知られていない。でも広報をしてパブリシティが出れば、関心と資金は集まって来て、きっと発展できると思います。マーケティングやネットワーキングのスキルのある人達が突破口を開けば、支援がたくさん来るでしょう。現在のところ、まだ知られていない秘境の地ですが。