日本とフィリピン――家族、国家、世界の物語

Presentation / Asia Hundreds

現在の危機にみる過去

ごく最近の出来事に焦点を当てて、これまでの議論を現在に引きつけて考えてみたいと思います。2015年6月8日、当時大統領だったベニグノ・アキノ3世は、フィリピン独立記念式典で、華人系フィリピン人の集りに向けて語りました。

孫逸仙 孫文 とマリアーノ・ポンセの写真アキノは横浜で撮影された孫逸仙〔孫文〕とマリアーノ・ポンセの写真について語ることから話をはじめました。聴衆にも見えるように、この写真は巨大スクリーンに映し出されました。フィリピン人と中国人の関係は「相互の尊敬」と「法秩序の遵守」によって改善に向かうだろうという前向きな所見によって、彼は話を終えました。この結論は、この写真について語った直後に続けて述べられたのでした。

座っている男は、近代中国の父と称えられた孫逸仙です。隣に立っているのは、マリアーノ・ポンセです。彼は孫逸仙先生とも、わが国の英雄ホセ・リサールとも個人的に親しくしていた人物で、独立フィリピンの創設のために戦った世代のひとりです。

彼はつづけます。

1898年……われわれフィリピン人はカビテ州カウィットで独立を宣言しました。1911年、孫逸仙は、圧政を敷いていた清王朝を打倒しました。ふたりの男はどちらも、自由と平等の信念、自国の人々を進歩、平和、安定に導きたいという欲望に駆り立てられて行動に出たのです。各人それぞれの闘争において互いに助けを求め合う友人として、パートナーとして、彼らを結び合わせたのは、こうした熱意にほかなりません。*14

*14 "Speech of His Excellency Benigno S. Aquino III, President of the Philippines at the FFCCCII and the Filipino-Chinese community's celebration of the 117th Philippine Independence Day," PICC, Pasay City, June 8, 2015. 以下で閲覧可能。
http://www.officialgazette.gov.ph/2015/06/08/speech-of-president-aquino-at-the-ffcccii-and-the-filipino-chinese-communitys-celebration-of-the-117th-philippine-independence-day/

この写真においてアキノが光を当てたのは、世界を揺るがしたふたつの出来事――1898年に起きたスペインに抗するフィリピン革命と、1911年に中国共和国軍が清王朝に抗して起こした辛亥革命――が対をなしているということです。フィリピン人マリアーノ・ポンセと中国人孫逸仙がともに抱いていた自由への熱意が「友人として、パートナーとして」*15 彼らを結びつけました。フィリピンと中国が共有の歴史を作り出すのに、これ以上の方法があったでしょうか!

*15 Ibid.

アキノはこの写真が撮られた年〔1899年〕を認識していたはずですが、この年に起こったひとつの歴史的な出来事――2月に勃発した比米戦争――については割愛しました。この戦争における最初の闘争であるマニラの戦いは、エミリオ・アギナルド将軍の軍と、アーサー・マッカーサー(ダグラスの父)の軍とのあいだで行われました。マリアーノ・ポンセは、フィリピン共和国の代表として横浜に駐屯し、アメリカの侵略に対抗するため、日本軍やその他の支援をとりつけていました。孫逸仙も同様の理由で――日本の後援を求めるため、そしてフィリピンとの関係を作るため――、横浜に来ていました。アメリカの占領に抗するフィリピンの抵抗運動は反植民地闘争のモデルであり、孫逸仙にとっては、彼が清王朝打倒に導いた辛亥革命と同様の意義を持つものでした。

アキノは独立記念日のスピーチでなぜこの出来事を無視したのか、今なら分かります。もしこの写真の持つフィリピン=アメリカ戦争の文脈を明らかにしていたら、彼は「カラヤアン〔Kalayaan〕」――「独立」や「自由」を意味するフィリピンの言葉――のために戦った比米同盟についての支配的な歴史を傷つけることになるからです。

現在の地政学的状況において、領土をめぐる論争のなかで、カラヤアンのためのこの戦いが再浮上しています。今回の敵は中国です。事実、フィリピンは中国がスプラトリー諸島の統治権を主張していることに抗議して、スプラトリーの砂州を「カラヤアン」と名付けました。フィリピンと協力して、中国からこの砂州を解放すべく、アメリカがふたたびこの構図のなかに入ってきました。

私は歴史学者として、父の時代がここに来て奇妙なかたちで繰り返されているように思うのです。たとえば、「誰がナチスを打ち負かしたのか?」という問いがあります。実際には、それはヒトラー軍を壊滅させたソビエト軍です。ところが、ここ20年のあいだには、ヨーロッパをドイツ・ファシズムから解放したのはアメリカ兵だ、と若い世代に思わせようと企てる試みもありました。
2015年6月、当時の大統領アキノは、南シナ海での中国の振る舞いと、第二次世界大戦前のナチスによる領土拡大を比較しましたが、このとき私には〔アメリカをヨーロッパの解放者とする〕この論議が身近なものに感じられました。*16 中国は、ナチスが過去に行った行為を繰り返そうとしているが、アメリカがそれを阻止すべきだ、とアキノは言います。当然、在マニラ中国大使は、過去の犯罪についてフィリピンが警告すべき相手は日本であり、こうした歴史解釈はきわめて珍妙なものだ、と応じています。

*16 The Japan Times, "China is Acting Like Nazi Germany, Says Philippines' Aquino," (June 3, 2015). 以下で閲覧可能。http://www.japantimes.co.jp/news/2015/06/03/national/politics-diplomacy/china-is-acting-like-nazi-germany-says-philippines-aquino/#.WG2zkWe7prk.

スプラトリー諸島――南シナ海上の小さな岩礁の集まり――の主権をめぐる戦争が、同盟国と敵国とをさまざまに入れ替え再設定することによる歴史の修正と再解釈を迫っています。

歴史は複雑にねじれている場合があるということに注意を向けてほしい――これが、この講演での私のメッセージです。自分たちの欲求を満たすために、自分たちが押し出したい物語に見合うよう歴史を書き換えるために、歴史がさまざまな党派――政治的であるかないかを問わず――によっていかに操作されうるのか。われわれはそのことに意識的かつ慎重であるべきです。これこそがまさに、歴史学者たちが勇気を持って、断固として揺るがぬ態度で、事実に対して可能なかぎり誠実でありつづけねばならない理由です。

ご静聴ありがとうございました。

国際交流基金で発表するレイナルド・C・イレート氏の写真

翻訳:井上康彦
協力:寺田勇文(上智大学総合グローバル学部教授)、中野聡(一橋大学大学院社会学研究科教授・副学長)
挿図:Courtesy of the Author
写真(講演):佐藤基