チィー フュー シン――ミャンマー商業映画の今:ビジネスと政治の変わり目で

Interview / Asia Hundreds

映画製作と政治活動の間で:アウン サン スーチー新政権発足後のミャンマー映画産業

藤岡:ところで、あなたの人となりを紹介するMRTVの番組がインターネット上で公開されています。とても親孝行な娘さん、家族を大事にする人物として描かれていましたが。

チィー:それは撮影した人が、その人の見方、視点から撮影したのでしょう。そのドキュメンタリーが撮られたときは、私がまだ政治に足を踏み入れていない時期でしたので、家族のために時間を使うことができました。今は、映画の仕事と政治活動の両方に時間を取られ、なかなか家族のために時間を割けません。私は2012年に国民民主連盟(NLD)に入党し、今は中央委員会の委員として活動しています。NLDの選挙活動に携わり、またアーティストと政治をつなぐ仕事をしています。

藤岡:2015年の総選挙については、日本でもニュースになり、大変沸きました。私はヤンゴンでワッタン映画祭*1 を主催するトゥトゥシェーンさんやタイディーさんから聞きましたが、政府は現在、新しい映画法の草案を準備しているそうですね。

*1 2011年に始まったミャンマー初の映画祭。ミャンマーの短編映画やドキュメンタリー等の上映と促進を目的とする。

チィー:トゥトゥシェーンさんを国の新映画法作成委員会に紹介したのは私です。トゥトゥシェーンさんは、プラハ留学など国際的な経験が非常に豊富なので、その経験を新映画法に組み込んでいただきたいと、引き合わせました。ただ、現在草案がどのようになっているのか、具体的に作成メンバーの中には入っていないのでわかりません。
私はミャンマー映画協会*2 の理事でもありますので、その会議で自分の映画に対する見解を発言してきました。また、国会の委員会で、芸術に関して必要なことがあれば、私が人を紹介する橋渡しの役を務めています。

*2 1946年に設立された、ミャンマー映画産業の非営利団体。ミャンマー・アカデミー賞を主催する。

藤岡:どのような映画法を期待されますか。例えば、検閲を無くしてレーティング制を導入するとか、映画の製作助成を作るとか、いろいろな案は聞いています。

インタビューの様子の写真

チィー:多くの映画製作者や監督は、レーティング・システムに移管すべきだと言っていますが、私は時期尚早ではないかと思います。また、多くの人は、検閲を廃止すべきだと言いますが、私はある程度の検閲は必要だと思っています。だからといって、現在の検閲のあり方、非常に厳しいやり方には反対です。
もちろん、映画のストーリーというものは自由の幅がよりあったほうがいいと考えます。外国の映画では、国会議員でありながらも悪人である、とか、官僚が収賄に関わる、というようなシーンがあります。そういう表現の幅があるのはいいと思いますけれども、文化的な面から見ると、ある程度の検閲は必要ではないかと思うのです。
現在、ミャンマーの国民は、法律を守るという意識が低いところがありますので、新しい法律を制定したところで、それを人々が守っていくのかという問題がありますし、また、法律を取り締まる執行機関というものもまだ弱い。私たちの国は今、変革、国づくりの時期にあります。そのような中でルールを守らない人々に対し、西洋の民主主義社会のように全てを自由にするとなれば、映画のクオリティは良くなるどころか、悪くなってしまうのではないかと思っています。ある程度の自由は必要かもしれませんが、仲間内でよく話しているのは、ミャンマーはシンガポールのようにある程度の統制が必要なのではないかということです。

藤岡:統制とは?

チィー:映画のストーリーの構築とか、文化的な面で少しルールが必要であると思っています。現在、映画館が増え、カメラが簡単に使えるようになり、コメディ映画の製作と上映が多くなってきました。けれど、映画のクオリティはなかなか上がらず、逆に悪くなっている。しかも、より観客の注目を集めようとして、良くない娯楽要素が増えていくのです。

藤岡:お客さんを増やすために映画の内容が下品になっていくことを心配されているのですね。

チィー:本当にちょっとだけセクシーでも、ミャンマーの観客は非常に喜ぶ。それが1本か2本でもあると、親たちは自分の子どもに映画を見せたくないと言いだします。金儲けのためにそういう映画が増えることで、もちろんそういう映画が好きな人も現れてくるけれど、それ以上に、批判するような人たちも、より増えてきます。少しだけセクシーなシーンが入っただけで、映画全般のこととされてしまう。「ミャンマー映画を見たくない」、「ミャンマー映画はこういうふうになってしまったのか」、「自分たちの子どもに見せたくない」と言う人が増えることは、自分たちの映画界にとってあまり良くないことだと思います。