カンヌ受賞監督メンドーサが語る、母国フィリピン映画の黄金期

Interview / 第28回東京国際映画祭

フィリピン映画、第3黄金期の中心人物メンドーサが語る、インディーズ映画シーンの真実

―フィリピン映画には3つの黄金期があると言われていて、最初がメジャー映画会社により娯楽映画が量産された1950年代。1970、80年代に第2黄金期が訪れ、「アジアインディペンデント映画の父」と称されるキドラット・タヒミックのような、表現ジャンルを横断するアーティストが登場します。この第2黄金期を代表する監督リノ・ブロッカは、メンドーサ監督と同じ社会派として知られていますね。

メンドーサ:リノ・ブロッカ監督は、フィリピン映画を海外に知らしめたパイオニア的な存在で、フィリピン映画に与えた影響、功績は計り知れず、若手監督のほとんどが彼を尊敬していると言っても過言ではありません。その作品はフィリピンの社会問題を捉えていると思いますし、私の作品にも通じるところがあると思います。

映画 お里帰り のスチル

キドラット・タヒミック監督『お里帰り』(2008) (c)Kidlat Tahimik

―メンドーサ監督は、デビュー年である2005年から現在まで続く、フィリピン映画「第3黄金期」のきっかけとなった中心人物とされていますが、そのことについてご自身はどう思われますか?

メンドーサ:ワールドシネマのなかで存在感を示しはじめたフィリピン映画のムーブメントに乗ることができたのは、とても幸運なことでした。映画監督としてキャリアを歩みはじめたのは少し遅かったのですが、タイミングが良かったのでしょう。デビュー作『マニラ・デイドリーム』がロカルノ国際映画祭 ビデオ部門金豹賞を受賞するなんてまったく予想していなかったので、大変嬉しい驚きでした。

―「第3黄金期」以降、アート志向の映画が増え、デジタル時代へと突入し、若いインディペンデント作家たちが増えはじめます。フィリピン・インディーズ映画の祭典であるシネマラヤ映画祭などを通じて若手監督が台頭し、世界的にも注目を集めていますが、実際のインディーズシーンはどうなっているんでしょうか?

メンドーサ:現在、企業などの第三機関からも支援が増え、フィリピンシネマの再活性化に力が注がれています。映画監督に補助金を出す映画祭が8つもある国は、おそらくフィリピンだけではないでしょうか。こうした映画祭は、新進監督が自分たちの才能を披露できる場にもなっているので、新たな展開が期待できるプラットフォームだと思います。

映画 グランドマザー のスチル

『グランドマザー』(2009) ©The Match Factory

 ―さらに最近フィリピンでは、メジャーな商業映画とインディーズ映画が融合した「メインディーズ」と呼ばれるムーブメントも起きているようですね。

メンドーサ:正直、メジャーのストーリーテリングと、インディペンデントの映像制作を組み合わせることは、インディペンデントの予算で商業映画を作りましょうと、プロデューサーに強いているようなものです。商業映画の新たなビジネスモデルということ以外には、特に「オルタナティブ」と言える部分はありません。

―なるほど。これまでインディーズ映画を中心に活躍されてきた監督ご自身は、このようなフィリピン映画シーン全体について、どのようにお考えでしょうか?

メンドーサ:メインストリームの映画は、フィリピン映画業界の推進力として常に存在し続けます。一方でインディーズ映画には、商業映画の慣習に倣わない独自のストーリーテリングがあります。フィリピンでインディーズ映画が急激な成長を見せているのは良い兆候です。これにより、政府機関が映画を社会的意識と文化的覚醒を促進するための効果的なツールとして見なすきっかけとなるといいなと思います。

「映画が若い世代の観客のニーズをもっと受け入れるべきだと思います」

―日本の映画環境は、ネット配信が本格的に普及しはじめていたり、作り手もネット動画から新しい才能が生まれてきたり、これまでと違う動きが目に見えはじめています。フィリピンでも似たような傾向はあるのでしょうか?

メンドーサ:映画が若い世代の観客のニーズをもっと受け入れるべきだと思いますね。いまではオンライン上のプラットフォームが若い人たちの日常に浸透し、映画を観る行為自体も変えています。若い観客の関心はめまぐるしく変化し、見ているものもクリック1つで簡単に変わります。一方で、新しいテクノロジーが制作コストを減らし、映画作りがますます一般化することで、大きなポテンシャルを持った才能を呼び寄せているのも感じます。近い未来にはオンラインであろうが、映画館であろうが、より多くの監督や観客たちがショートフィルムに傾倒する日が来るのではないでしょうか。

インタビュー中のメンドーサ氏の写真2

(c)2015 TIFF

 ―ご自身も、若手監督作品のプロデュースや映画祭の支援にも積極的に携わり、次世代へ目を向けた活動をされていらっしゃいますが、今後取り組んでいきたいこと、撮りたい作品などがあれば教えてください。

メンドーサ:世界の映画界から認められたのもここ10年のことですし、映画監督としての自分は大器晩成型ではないかと思っています。そして、いま私が果たすべき役割は、自分が得た知識や経験を次の世代に伝えること。若い人たちの可能性を養い、私たちが前世代から引き継いだフィリピン映画の遺産を継いでもらうことです。もちろん、映画自体が持つ魅力がこれからも私に映画を撮り続けさせます。ただ、正直に言いますと、残りの人生で映画をずっと撮り続けられるとは思っていません。その後のなにかを探さなければいけない時期がいずれ来るでしょう。それが何であれ、どのような目的であれ、時間が教えてくれると思います。

―常にリサーチを繰り返しながら、深く掘り下げ、自然の流れに身をゆだねていく監督の作品作りにも通じる考え方のような気がします。監督の作品をはじめ、フィリピン映画が日本でも多くの人の目に触れる機会が増えていくことを願います。ありがとうございました。