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DANCE DANCE ASIA―Crossing the Movements 東京公演 2019 Nikii×スズキ拓朗――異なる出自の二人による、共鳴し合うダンスクリエイション

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

Nikii×スズキ拓朗 日常の中から始まった、それぞれのダンス

小杉 厚(以下、小杉):では、お2人のダンスとの出会いから教えていただけますか。

Nikii:小学校1年生のときですね。クラスから2人、学校のイベントで踊る人を出すことになったときに、クジに当たって選ばれたのが最初でした。踊れると思っていたけど、いざ舞台に立ってみたら全然踊れなくて。音楽が流れている間、ただただ立ち尽くしていました(笑)。

スズキ拓朗(以下、スズキ):(笑)。日本にもそういう子はたくさんいますよ。教育の現場だとそういう子は「できない子」だとされがちですが、見る人が見ればそうではないんです。別のことが気になって踊れなかっただけということもあるので。だからちゃんとわかる大人が見ていないとね。きっかけはどこにあるかわからないから。

Nikii:そうそう。

スズキ:そういう場合、僕は「なぜ、踊らないの?」ではなくて、「なにを考えていたの?」と聞くようにしていますね……それで次にダンスと出会ったのは?

Nikii:その後、隣家のテレビで音楽番組を観て、ダンスを覚えて踊るようになりました。小学校4年生からは親戚のダンスグループに参加して。そのグループで大会に出場したときにスカウトされました。

スズキ:そうだったんだ! その人はNikiiにとって重要な存在だね。

Nikii:そう、とても重要な存在です。その人が運営するグループに入り、中学1年生ぐらいまでの間に多くの大会に出場して、たぶん30回くらい優勝したと思います。大会だけでなくショーにも出演して、MCでステージに立ったり歌を歌ったり、半強制的な感じでいろいろやっていましたね(笑)。ショーで3曲踊ると500バーツもらえたんです。日本円にすると2000円弱かな。少しだけどお金も稼げていたので、親にはそれほど負担をかけてはいなかったと思います。

スズキ:へえ。Nikiiの話を聞いていると、タイではダンスに対する意識が日本とはだいぶ違うように感じます。「1曲踊っていくら」みたいなことを今までに考えたことはなかったですから。

インタビュー中のNikiiさんとスズキさんの写真

Nikii:タイでは、新しく家を買ったときなどにパーティを開くんです。また、ソンクランという旧正月には、地方のお寺などでイベントもあるんですよ。だからダンスを踊る場が結構あるんです。そういうところに招待されて、ショーを見せにいくことが多くて。

スズキ:タイではプライベートで人が集まるイベントが多いのかな?

Nikii:多いといえば多いです。ダンスだけではなく、古楽器の演奏ショーも流行っていたので、それも練習してやっていました。

スズキ:そういえば、Nikiiは周りのダンサーから「こういう仕事がきたけど、どのぐらいのギャラでやったらいい?」とよく相談されると聞いていて。業界にしっかりシステムがあるんだなと思うし、そういうことを考えてダンスをしている日本人がどのくらいいるのかな、と考えさせられます。

Nikii:僕は報酬をちゃんと受け取って、それを人生を広げるためのお金にしたらいい、という考えなんです。

小杉:Nikiiさんのお話を伺うと、タイのストリートダンスはダンスファン以外の人々とも、日常の中でつながっている印象です。日本のストリートダンスシーンはどうでしょうか。

スズキ:日本でも今はダンスを目にする機会が多いですよね。役者も踊れないと活動の場が限られたりして。そういう意味でダンスが必要とされる局面は増えていると思うんですよ。今Nikiiと一緒にやっていても感じるけど、とくにヒップホップは乗りやすいし、アーティストにも有名な人が多いし、メディアともつながりやすいジャンル。だから一般の人たちも認知しやすいですよね。今は学校の授業にも取り入れられているし。
それに比べてコンテンポラリーはまず名前がわかりにくい(苦笑)。「コンテンポラリーダンスって、一体なに?」という感じになるじゃないですか。だから、ストリートダンスの舞台化というプロジェクトに、僕のような人間が加わるのは面白い試みだと思います。一般の人たちにダンスを身近に感じてもらうのは、僕の課題の一つでもあるので。

小杉:スズキさんがダンスに出会ったのはいつだったのでしょう。

スズキ:Nikii同様、僕も最初にダンスに出会ったのは小学生の頃です。『クレヨンしんちゃん』の映画(『映画クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝』・94年)に、ブリブリ王国の魔神を呼び出す踊りがあって(笑)。それが面白くて真似して踊っていましたね。

Nikii:どういう踊りですか?

スズキ:(踊ってみせて)こんな感じ。

踊っているスズキさんの写真

Nikii:(笑)

スズキ:正しく踊ると魔神が出てくる(笑)。だから僕はダンスには目的があると思っているんですよ。そうではないダンスもあることはわかっていますけど、僕が最初に出会ったのは目的のあるダンスだったし、それが好きだったので。
そこから「動かなければなにも起きない。動くためには身体が大事だ」と思うようになりましたし、今はそれをダンスで伝えられないかと思っていて。この感覚はダンスに限らず、普通に生活していても絶対感じるはずだから。

Nikii:今の拓朗の話を聞いて、自分にも考えが似ている部分があると思いました。僕も、誰もが知っている存在になるために活動している部分もあるので。ただ過去には、そういう目標を忘れてグレていた時期もありましたけどね。

スズキ:そんな時期があったんだ。

Nikii:ええ。クラブに行って踊ることは踊っていましたけどね。でもある日突然「自分はダンスを忘れていたんじゃないか?」と感じて、昔自分をスカウトしてくれたマネージャーのもとに戻ったんです。そのときに「私の息子が帰ってきた」と言われて号泣しました。そしてその日に、60曲あるチームの曲をすべて最初から踊り、翌日起き上がれなくなりました(笑)。

スズキ:すごくいい話!(笑)。その後、大学では社交ダンスもやっていたんでしょう?

スズキさんの写真

Nikii:そう。たまたまナイトクラブに行ったときに、初対面同士の男性と女性が一緒に踊っているのを見て「なぜ初対面なのに一緒に踊れるんだろう?」と思ったのがきっかけで。そこから興味が生まれて大学の社交ダンスのグループに習いに行きました。最初は本当に習いごとみたいな感覚だったんです。社交ダンスの大会があるのも知らなかったし。それで1ヵ月習ったら、未成年が進める一番上の級までいけたんですね。
それで一緒に社交ダンスを習っていた女性のお母さんに「一緒に練習しない?」とスカウトされたんです。そこから練習に集中するために1年くらいその家族と一緒に住みました。娘と踊る係ということで衣裳から靴まで、そのお母さんが全部揃えてくれて。それで県の代表から最後はタイ代表になりました。そこの家の人がくわしいことを教えてくれないので、タイ代表も知らないうちになっていた感じでしたけど(笑)。その後、やっぱりヒップホップが好きだと改めて思ったのでやめました。

スズキ:Nikiiは最初にヒップホップ、その後社交ダンスなどを経験して、またヒップホップに戻っているじゃないですか。僕は『クレヨンしんちゃん』の踊りを観て、ダンスを面白いと思ったけど、たぶんあれはコンテンポラリーダンスなんですよね。ジャンルも特定できないし(笑)。だから結局、最初に好きと思ったものに帰ってくるんだなと思いました。
Nikiiは「なぜ、初めて会った人同士で踊れるんだろう?」というところから社交ダンスに入っているけど、自分の疑問を解決することに目的が絞られていたから、成長も早かったんでしょうね。自分なりの見方があって、そこからなにかを突き詰めると成長も早いし、自分が目指すものではない場合にはすぐに気づける。
僕は先ほどお話しした「身体を動かさなければ、なにも得られない」という感覚を出発点にして、大学で演劇をやっていました。で、そこからダンスに進んだのは、突っ立ったまま台詞を言うのが嫌いだと気付いたからなんです。淡々と台詞をやりとりする演劇より、熱量を発しながら動き回るような演劇が好きだったので「わかった! 身体だ! ダンスだ!」と思ったんですね。それで当時、師事していた蜷川幸雄さんに相談したら「そうだよ、お前はダンスのほうが向いてるんだよ」と言われて、やっぱりと思いましたね。

Nikii:(笑)