「ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。
性はグラデーション
まず、私の自己紹介から始めたいと思います。私自身がろう者であり、LGBTQというダブルマイノリティです。2014年にDeaf LGBTQ Centerを設立しましたが、「ろうLGBTQについてもっと勉強したい」と思い、日本財団の助成を受けてアメリカのギャロデット大学に2年間留学し、「ろうLGBTQ学」を修めました。その後、カナダで2カ月間ろうLGBTQの組織でインターンをし、帰国後は「ろう×セクシュアルマイノリティ全国大会」を開催するなどしています。
私は、2018年12月にアジア・フェローとしてフィリピンに滞在しました。海外におけるろうLGBTQ支援の調査・研究、そして人的交流が目的です。本日は、その交流の成果をご報告したいと思います。
最初に、ろうLGBTQの話をする時にまず理解しておかなければならない、ろう者のアイデンティティに関する説明をしたいと思います。
一般的に「聴覚障害者」と言われることが多いのですが、聴覚障害者=聞こえない人、ではなく、いろんな立場の方がいます。大きく分けると三つあり、一番目が「ろう者」です。ろう者とは、音声言語を獲得する前に聞こえなくなった人のことを指します。二番目が「中途失聴者」で、これは音声言語獲得後に聞こえなくなった人を言います。進行性で聞こえなくなる方もいますし、突然聞こえなくなる方もいて、障害受容が違います。三番目が「難聴者」です。補聴器を使えばほとんど聞こえるとか、電話ができるとか、音声だけで会話ができるような人を言います。
コミュニケーション手段もそれぞれ違います。例えば日本のろう者の場合、一番多いコミュニケーション手段は日本手話です。日本手話は視覚言語で、音声言語とは文法も語彙も違います。中途失聴者の場合は、日本語対応手話や手指日本語を使うことが多いです。日本語対応手話は、日本語の文章に手話の単語を当てはめたようなもので、日本手話とは大きく異なります。
セクシュアリティは更に多様です。今、日本でよく聞くのがLGBTという言葉ですが、実際にはその他にもたくさんのセクシュアリティがあります。日本の場合はLGBTで止まっていますが、欧米の国々は、LGBTQや、LGBTQIA*1 、LGBTQ+という言い方もしています。「自分の立場は何なのだろう」「LGBTのカテゴリの中には当てはまらないな」といった、揺れる/揺れたい人は、クェスチョニング(Questioning)やクィア(Queer)と名乗ることもあります。LGBTQのQはこれらを表しています。
また、最近ではSOGI(Sexual Orientation & Gender Identity)という言葉が、少しずつ使われるようになってきました。LGBTは性的少数者を指す言葉であるのに対して、SOGIは性的指向と性自認を指す言葉で、誰もが持っているものです。性的少数者だけを指しているわけでないのです。
性的指向とは、例えば、好きになる相手が男の人なのか、女の人なのか、それとも両方かといったことです。人を好きになったことがない、誰にもドキドキしたことがないという人もいます。
学生服を着るときにズボンとスカートのどちらを履きたいか、髪は長いのがいいのか短いのがいいのか、お化粧をするしない、といった「男らしさ」「女らしさ」に関わるものをジェンダー表現と呼んでいます。どのようなジェンダー表現を好むか、自分の性をどう考えるかを性自認といいます。体は男性だけど性自認は女性という人もいますし、自分は女性だけどスカートは履きたくないという人もいます。自分の性がどちらかを決められないという人もいます。つまり、性は男と女だけではなく、このようなグラデーション上に各個人が存在しているのです。
*1 Lesbian(女性同性愛者)、Gay(男性同性愛者)、Bisexual(両性愛者)、Transgender(性を超える人)、Queer(元は「奇妙な」を意味する侮蔑的な表現。最近では性的少数者による自己肯定的表現として使われている)、Intersex(身体的な性別が典型的発達ではない人々の総称)、and Asexual(無性愛)の頭文字をとった略語
「セックスは両足の間に、セクシュアリティは両耳の間にあるもの」*2 という言葉がありますが、セクシュアリティというのは身体的な性と必ずしも一致するとは限りません。能力、行動、態度、心理、生理的衝動、性的魅力なども含めて表す言葉であり、とても幅が広いのです。
*2 1964年にアメリカ性情報・教育評議会を設立した医師Calderone及びKirkendallの言葉。
フィリピノ手話は、ろう者の誇り
さて、私がフェローとして活動したフィリピンについてお話をしたいと思います。7,000以上もの島々をまとめてフィリピン共和国といいます。歴史的にはスペインなど様々な国からの長い被植民地経験を経て、色々な文化が混在しています。言語も、公用語であるフィリピン語、英語に加えて地域独自の言語があるなど、非常に多様性のある国です。
国民の90%がキリスト教徒で、教会がたくさんありました。フィリピンは、キリスト教の影響が根強い国でもあるのです。私が訪れた時は12月だったので、クリスマスを盛大に祝っていました。とても明るい雰囲気で賑わっていて、楽しかったです。一方で、キリスト教の影響がLGBTQの人々にとってはよくない方向に及ぶ事もあります。フィリピンはキリスト教の中でも保守的なカトリック教徒が大半を占めるがゆえ、同性婚が今後認められる可能性は低いと言われています。性別変更も認められていません。これがフィリピンという国の現状です。
フィリピンには、難聴者も含めた聴覚障害者は121,000人いるということが分かっています。その中で手話を使う方は975人*3 と、とても少ないです。フィリピンには、公立・私立を合わせて200のろう学校が存在しています。日本のろう学校は106校なので、フィリピンの方が多いですね。各学校の教育方針はそれぞれ違っており、手話専門の学校もあるなど、学校によって特徴があります。
ろう者は、日常会話ではフィリピノ手話(Filipino Sign Language: FSL)を使い、学校や役所などの公的な場所ではピリピノ手話(Philipino Sign Language: PSL)を使うことがあります。PSL はいわゆる標準手話ですが、FSL は各地域のろうコミュニティによって形成された手話であり、地域にとって大切なものです。ろう者にとっても、PSLかFSLかどうかはアイデンティティに関わるものです。
そんな中、2011年にフィリピン政府の教育省長官が、ろう教育の現場ではPSLを使用する必要があると言い出したことを機に、ろうコミュニティからの反発が起こりました。フィリピンは手話自体が極めて多様です。そのため教育機関を通じた同一手話の普及は、音声言語以上に困難なのです。
*3 WFD(World Federation of the Deaf:世界ろう連盟)の2008年の調査による
最終的に、ドゥテルテ大統領はFSLをろう者の公用語として認定する「フィリピン手話言語法*4 」を2018年に成立させました。この法律により、ろう教育の現場ではFSLの授業が必須となり、また政府機関、法廷、テレビなどでの手話通訳機会が増えることになりました。通訳者が足りないなどの課題もあり、この法律が活かされる場面は限られていますが、大きな前進だといわれています。
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