ディック・リー――皮肉と運命とフォークソング:音楽を通じて生み出されるアイデンティティと帰属意識

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

映画『ワンダーボーイ・ストーリー』の製作

滝口 健(以下滝口):ディック・リーさんの初監督作品『ワンダーボーイ・ストーリー』は、今年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭のオープニング作品として上映されました。この自伝的作品は、リーさんのシンガーソングライターとしての成長の過程を語るとともに、1970年代の活気あるシンガポールを魅力的に描写しています。この映画を製作するにあたり、あなたは脚本と監督という2つの役割を担ったわけですが、どちらがより難しかったでしょうか。

ディック・リー(以下リー):そうですね、おそらく脚本だと思います。自分の話を書くのだから簡単だと思われるかもしれませんが、実際には本当に大変でした。この作品で扱ったのは、私の人生のうち16歳からのたった3年間だけですが、すべてを語ろうと思えばずっと長い映画になってしまったことでしょう。沢山のことがありましたから。私を知る人々は、この時期に起こったことが今の私を作り出している、と言うでしょうね。

私の周りにはたくさんの人たちがいました。それこそ何百人もです。ですから私は何名かを一人の人物にまとめなければなりませんでした。例えば、この作品の登場人物の一人、主人公のバンドメンバーであるマークは、数名の人々から取り出した要素をまとめて作ったキャラクターです。主人公のガールフレンドであるルイーズは、3人か4人から作り出しています。

他にも手を入れた部分があります。私の妹が事故死したのは実際には10年後のことでした。演出上の判断から、彼女の死を早めることにしたのです。ただ、彼女がこの世を去ったということは事実です。映画に描かれているとおり、私が家族と誕生日を祝うことを拒んだために彼女は外出し、そして事故にあったのです。事故が起こった時、妹のボーイフレンドが車を運転していたというのも、全て事実です。
私がしたのは、その時期を早めたということだけです。もし時期が早かったとしても、妹の死が私に与えた影響に変わりはなかったという確信がありましたので、このような変更を加えることにしたのです。

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ディック・リー『ワンダーボーイ・ストーリー』(スチル)(2017)
ディックの妹、パット役のミシェル・ウォン

滝口:この作品では、ベンジャミン・ケンがあなたの役を演じました。ディック・リーを演じる人物を監督するというのは、どのような気持ちだったのでしょうか。

リー:彼との最初の出会いは、シンガポールの著名な演出家であるオン・ケンセンの演劇作品『ナショナル・ブロードウェイ・カンパニー』でした。これは、エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイという劇場の創立10周年を記念し、2013年に制作された作品です。シンガポールを代表するミュージカルをテーマとした作品で、1980年代以降の主要な作品を振り返るものでした。登場人物はこれらの作品に携わった実在のアーティストたちです。この『ナショナル・ブロードウェイ・カンパニー』で私の役を演じたのがベンジャミンだったのです。
私は彼の演技に感銘を受けたと伝え、「もし僕が映画を作ることがあったら、君に僕の役をやってもらうことにするよ」と言いました。もちろんただの冗談のつもりだったんです。映画を作る予定はありませんでしたから。しかし、今回そうした機会が巡ってきたので、「彼に頼んでみよう」と思ったのです。ベンジャミンもミュージシャンですから、私が経験した困難を彼自身のものと捉えることができました。

滝口:実在する人物を、本人の目の前で演じることは、本当に難しく、緊張するものでしょうね。『ナショナル・ブロードウェイ・カンパニー』は私も拝見しましたが、あなたもエスプラネードのCEOであるベンソン・プア役で出演していました。プア氏本人の前で演じるのはいかがでしたか。

リー:あの作品では、別にベンソンになりきろうと思っていたわけではありません。ちょっとしたジョークのようなものでしたから。しかし、ベンジャミン・ケンの仕事はずっと難しかったはずです。彼は私という人間を深く理解した上で、ただ真似るのではなく、本質的な部分を捉えて演じようとしていたのです。

私達はこの作品をたった18日間で撮影しました。予算があまりなかったのです。朝から晩まで撮影し、すべてのスケジュールを押し込まなければなりませんでした。家族の死のシーンの次はパーティのシーンへというように、息つくひまもなく撮影を続けることになりました。そのため、俳優陣には綿密な準備が求められました。そのシーンだけではなく、自分の役柄について確固とした理解をもっていてもらう必要があったのです。
ここでは演劇作品を演出した経験が役に立ちました。実際に撮影する前にワークショップや読み合わせを重ねることにしたのです。ベンジャミンと彼の母を演じるコンスタンス・ソンを一緒に座らせ、叫んだり怒鳴りあったりの予行演習をするといったこともありました。

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ディック・リー『ワンダーボーイ・ストーリー』(スチル)(2017)
ディック役のベンジャミン・ケン

滝口:演劇への関わりということで言えば、リーさんは『ビューティー・ワールド』(1988年)、『ナガランド』(1992年)、そして『紫禁城 フォービドゥンシティ:西太后の肖像』(2002年)など、シンガポールのきわめて重要なミュージカル作品の作曲を担当されてきました。演劇の演出家としての経験がこの映画で役に立ったとおっしゃいましたが、ミュージカルでの経験が役に立つことはあったのでしょうか。

リー:もちろんです。ただ、ミュージカルでの経験が役に立ったのは、監督よりも脚本の部分でということが多かったように思います。今話題に上ったミュージカル作品では才能ある劇作家たちと仕事をする機会に恵まれ、自然にストーリーの書き方やその構成方法を学ぶことができました。
実は、私の演劇での経験のほとんどは「書く」という部分でのものなのです。演出を始めたのはずっと後のことで、まだ5、6年しか経っていません。

滝口:あなたはこの映画をダニエル・ヤムと共同で監督しています。ヤム監督は家族の絆や愛を描いた短編『ギフト』などの作品で知られています。どのような経緯で共同作業をすることになったのですか。

リー:私はこのプロジェクトにかなり不安を感じていました。それでダニエルに参加してもらうことにしたのです。映画を監督した経験がありませんでしたし、スケジュールもかなりタイトで、一つでも間違いを犯せば作品が完成しなくなる恐れがありました。豊富な経験を持つ者が必要だったのです。
ダニエルの作品を観て、登場人物の感情をつかむのがとても上手いと思いました。私が知らないカメラや照明といったテクニカルな部分も、彼は理解していました。私達の共同作業はうまくいったと思います。私は俳優陣と演技に集中することができ、彼はショットやフレーミングといった映像面を担当しました。ダニエルは物語を語るのにどのように映像を使えばいいのかをよく理解していますので、スムーズに仕事をすることができました。