『山脈の子-エレファント・プロジェクト』
内野:ケーララ州に戻ろうと決断したのはいつですか?
シャンカル:その頃、国際交流基金が日本人女性俳優の美加理さん*8 を伴って主催したワークショップが開催されました。1997年にケーララ州で上演された舞台で、私は美加理さんの演技を見たことがあります。『天守物語』という作品がケーララ州で上演されたのですが、非常に強い印象を受けました。シンガポールで学んでいたときにも、美加理さんの劇団がシンガポールで公演をしたのですが、エスプラネード図書館には、巨大な美加理さんの写真が掲げられていました。
*8 美加理(1962~)は日本の舞台俳優。高校生の時に寺山修司作品に出演。1990年、宮城聰の主宰する劇団ク・ナウカの創設に参加。劇団を代表する俳優として活躍した。ク・ナウカ活動休止後は、インディペンデントの俳優として活躍の幅を広げている。映画出演も多い。
内野:そうですか。それはすごいですね。
シャンカル:その後、美加理さんはデリーで上演された宮城聰*9 氏演出の『王女メディア」にも出演しました。国際交流基金主催のワークショップが開催されたのはその後のことです。そして、2007年10月に『演じる女たち-ギリシャ悲劇からの断章』が日本で上演されたときに、私は公演後のパーティで美加理さんと会いました。そのとき私は勇気を振り絞って、彼女にコラボレーションの申し出をしたのです。示した戯曲を見た彼女は「ちょっと古すぎる」と言って、私の申し出を断ってしまったのです!
*9 宮城聰(1959~)は日本の演出家。東京大学文学部中退。1990年に劇団ク・ナウカを創設。舞台の語り手と動く身体の担い手を切り離した文楽のような独特の演出で注目を浴びる。代表作に『天守物語』『王女メディア』『アンティゴネー』等。2007年から静岡舞台芸術センター芸術総監督。現在は東京芸術祭ディレクターも兼ねている(2018~2020)。
内野:詳しくお聞かせください。
シャンカル:私たちが会ったとき、彼女は簡単な英語で話しかけて、「OK。明日、スタジオを予約しています。スタジオで検討しましょう。」と言ってくれたのです。そしてスタジオで会い、2時間ほど私のテクストとアイデアについて話し合いましたが、最終的に彼女に断られました。その後、私は課題を背負ってインドに帰りました。この俳優にとって手ごたえのある作品とは何だろうかと考えました。何か心に引っ掛かるものがありました。そして、突然ひらめいたのです。「Sahyante Makan」という詩です。これは、「西ガーツ山脈の子(実際の作品の日本題名は『山脈の子』)」と訳されますが、自分の子供時代に読んだもので、その詩が急に思い出されたのです。象についての詩なんです。そこで、私は美加理さんに雄の象を演じてくれないかと提案しました。彼女の自然への愛情と演技に対する根源的なアプローチの追求がこの提案と見合っていたのです。彼女はこの挑戦を受けてくれました。マラヤーラム語の詩だし、象の物語なので、この作品はケーララ州で作る必要がありました。彼女は理解してくれました。それでリハーサルのために、ケーララ州のトリチュールに移動しました。こうして、私はトリチュールに戻ってきたというわけです。
内野:その延長として、ご自身の劇団をケーララ州に移したのですね?
シャンカル:そうです。
内野:しかし、ケーララ州は環境が異なりますよね。
シャンカル:デリーとは全く違います。
内野:ケーララ州には中産階級の劇場観客はいないのではないですか?
シャンカル:さまざまな職業や社会的地位の人々が演劇に飢えています。
内野:あそこは、いい意味で、より混沌としていますね。わたしは、演劇祭に伺ったときの観客の様子を覚えています。それで、あなたは演劇を勉強したわけですが、快適な環境から移動して、観客やその階級のありようが変化したために、演劇に対する考え方自体が変わったわけですね。
シャンカル:そうです。観客、空間、コラボレーションの相手、文脈が全く変わりました。
内野:ご自身の劇団の俳優たちをケーララ州に連れていったわけですか?
シャンカル:ええ。私たちは3部に分けてリハーサルを行いました。最初のリハーサルには2週間を要しました。
内野:象の物語ですね。
シャンカル:象の物語です。それで、私たちはあちらこちらを回りました。
内野:作品の名前は何というのですか?
シャンカル:名前は『エレファント・プロジェクト(Sahyande Makan- The Elephant Project)』です。
その詩は書面に翻訳すればよいというものではありませんでした。そのため、そこにあるすべての要素を現実世界の中で探し出さなければならなかったのです。美加理さんと私は調査に乗り出しました。こうして、あちらこちらに出向くことになったのです。美加理さんは良い意味で非常に執拗です。詩に植物が登場すれば、彼女はその植物がどのようなものかを実際に見なければ気が済みません。こうして、非常に念の入ったフィールドワーク的理解への取り組みになっていったのです。ジャングルに入って、危険なほど象に近付いたり、野生の象の後に付いて行ったり、または飼い慣らされた象と遊んだりしました。美加理さんは象と友達になりたかったようです。ある一頭の象がいて、彼女はその象の体をこすって洗ってあげたりしていました。こうしたことのために、私たちはケーララ州に滞在しなければならなかったのです。そして、2週間後に彼女は帰国しました。第二段階も確か20日ほどの期間だったと思います。空間と時間と彼女の動きへと、その詩を翻訳するための大まかな構造を考えました。それから、もう一度休憩を入れてから、2ヵ月間のリハーサルを実施しました。この時点で、考えた構造を実際の上演へと具体化していきました。そして、ケーララ州のトリヴァンドラムで初演を行いました。
内野:野外公演でしたね。
シャンカル:そうです。野外でした。2種類用意してありました。一つは野外公演用で、もう一つは最小限に絞った屋内用です。
内野:どの言語を使用されたのですか?
シャンカル:私が舞台でマラヤーラム語で詩を朗読します。字幕を付けています。最初の10~12分間は私が台詞を言いますが、その後の1時間は美加理さんがほぼ無言で独演します。
内野:読者の方々のために作品の詳細をご説明いただけますか?
シャンカル:はい。ケーララ州では、雄の象が多く家畜化されています。西ガーツ山脈で捕獲してくるのです。こうした象は伐木搬出や寺院の儀式などのために使われています。雄の象には交尾させません。これは、雌の象の所有者にとって大きな負担となるためです。必然的に、雄象の体内のテストステロンが過剰となります。そのため、毎年2~3ヵ月の期間、こうした象に幻覚が発生し、非常に気が荒くなります。この状態は大変に危険であるため、この期間、象は監禁されます。1947年、寺院で行われるお祭の最中に、ヴィロッピリ・スリーダラ・メノンというマラヤーラム語の詩人が、幻覚に操られて暴れる巨大な象が撃ち殺されるのを目撃しました。この詩人はこの象の心を思いやりました。象は寺院のお祭のために飼い馴らされているとはいえ、テストステロン過剰に起因する興奮のために野生に戻ってしまったのです。自然と他の雌の野生象に対するその象のほとばしるような欲求が、現実における暴力的な死と破壊として表れてしまうのです。そして、その暴力に人が耐えられなくなったとき、象は撃ち殺されるのです。この詩の最後に深い問いが発せられ、それに続いて主張が掲げられています。「寺院に眠る石造の神々に、大地を揺るがすようなこの瀕死の象の叫びが届いたであろうか? しかし、その叫びは、愛しい子供がまたひとり失われた悲しいこだまとして、西ガーツ山脈に響き渡っただけであった。」
私にとって象は非常に強い自然のメタファーとなりました。象が木の根を引き抜き、それを投げ飛ばすところを見たことがありますか? それを見れば、象がどれほど強い生物かわかるでしょう。しかし、人間に飼い慣らされた象はひどくもろくなってしまうのです。ですから、これは私にとって非常に強力なアイデアでした。また、サダム・フセインが処刑されるなど、独裁者などが権力から転落させられる例はたくさんあります。ある者が社会にとって大きな存在になりすぎると、社会はその者を抹殺しようとします。私にとっては、象もそれと同じです。狂気に操られて暴れた象を社会は許しません。無慈悲に傷付け、殺してしまいます。転落すること、失われた命は、共感をもたらします。これが、私が取り組んだ作品のより大きなテーマでした。
内野:映像を見た限りの記憶ですが、確か、見た目としてある程度伝統的な要素があったと思いますが……。伝統演劇の俳優を起用したのでしょうか? それとも、ご自身の劇団の俳優に伝統的な動きや身ぶりの訓練をしたのですか?
シャンカル:私はG・ヴェーヌ*10 氏の下でクーリヤッタム*11 を学びました。それで、テクニックではなくそのボキャブラリーは用いました。これは、観客との関係、また俳優の身体と観客との関係を確立するための具体的な方法です。問題はそこから現代的なパフォーマンスをどのように生み出すかということでした。
*10 ゴーパール・ヴェーヌ(1945~)は、13歳よりカタカリを学び、その後、クーリヤッタムの訓練も受ける。ケーララのさまざまな伝統芸能を調査するとともに自ら習得し、1975年「ナタナカイラリ研究所」を設立。以来、伝統芸能の振興に積極的に取り組み、実践を踏まえた数多くの著作も発表。 海外公演やワークショップの経験も豊富である。
*11 ケーララ州に伝わる世界最古とも言われるサンスクリット語による舞踊劇。派手な化粧を華麗な衣装でも知られる。ユネスコの無形文化遺産に指定されている。
内野:音楽はどうでしたか?
シャンカル:音楽ですか、そうですね。現代音楽ですが、伝統的な楽器を使っています。
内野:この作品では、長い間一緒に演劇に関わってきた演奏家たちを使ったのですか? それとも、この特定の作品のために別の演奏家を雇ったのでしょうか?
シャンカル:演奏家の皆さんはすべて昔からのコラボレーションの仲間たちです。
内野:私はこれは非常に成功した作品だと思っていますが、ツアーはなかったのですか?
シャンカル:インド国内では、かなり広範囲にわたってツアーをしました。この作品は韓国でも上演しています。
内野:東京での公演はありませんでした。
シャンカル:東京までは来ませんでしたね。
内野:残念です。この作品を上演されたのはいつ頃ですか?
シャンカル:2007年と2008年、そして2009年にも少し上演しました。
内野:その後、劇団をケーララ州に戻して、「エレファント・プロジェクト」の後も他の作品を作り続けていらっしゃるわけですね。
シャンカル:そうです。