『サタンジャワ』サイレント映画+立体音響コンサート・プレトーク 森永泰弘×福島真人「サタン・音・欲望」

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

アジアハンドレッズのインタビュー中の森永氏と福島氏の写真

ジャワ文化の重層構造

福島真人(以下、福島):東南アジアは最初にインドの影響を5世紀ごろに受け、それから16世紀以降イスラム化が始まります。ジャワ島は大体北部とか東部、西部は非常にイスラム色が強く、ジョグジャ、ソロあたりはいわばそれに抵抗してきたみたいな重層性があります。今回の制作で行かれたのは、ジョグジャとかソロとか。

森永泰弘(以下、森永): ジョグジャ、ソロ(スラカルタ)、そして、バンドゥンとバニュワンギにも行きました。すごく面白かったのがそこでの儀礼で、その中に東西南北からやってくる悪魔を来た道へ帰す、といったマントラ(呪文)の部分があるのですが、僕は今までずっとマントラというのは、節とかリズム、メロディーがあって奏でるものだと思っていました。でも現地の人たちは、いやいや、普通の朗読だからという。それは何でと聞いたら、ヒンドゥーやイスラムとして入ってきたものに関しては全部メロディーがついていて、土着のアニミズムの中でのマントラというのはどちらかというと朗読に近いのだという言い方をしていました。

福島:その重層構造は、ガリンさんを論じるときに、外せないと思いますが、彼はジョグジャ生まれで、小さい頃から自分の家でお父さんがジャワの伝統舞踊などをやっていたという。その意味でいうと、ガリンさんというのは非常に王宮のジャワ的な伝統が強い中で育ったという感じです。

森永:僕も本人には聞いてないですが、結構裕福な家庭に生まれて、今、家族のほとんどはバンドゥンに住んでいるらしいです。彼の実家は高台の上にあって、結構大きな家で、驚きました。

福島:ガリンさんもクジャウェン*1 (ジャワ神秘主義)という言葉を使ってますが、一般にクバティナン*2 ということも多いです。心(バティン)の平安をめぐる教えや振る舞いのことで、瞑想したり、教えを勉強したりしますが、ガリンさんが描いているのは、その中でも特に民間伝承っぽい部分です。それが『サタンジャワ』の冒頭に出てくる、プスギハン*3 という話ですが、これを聞いたことはありましたか。

*1 ジャワ(神秘)主義。ジャワ島がうけた様々な文化的影響をもとに、ジャワ人が作り上げた世界観、宗教・呪術的体系のこと。

*2 心(内面)の学の意味。クジャウェンの別称。

*3 蓄財を巡る呪術的行為、霊的存在のこと。本文参照

森永:僕自身はなかったです。ただ、今回一緒に作品を作るインドネシア人に聞くと、ああ、あれねって(笑)。

アジアハンドレッズのインタビュー中の福島氏の写真

プスギハン

福島:スギというのはジャワ語で、お金がある、という意味で、プスギハンは悪霊を使ってお金をもうけるという民間信仰ですが、それをやると本人も健康を害するとされます。重要なのは、誰かが急に金持ちになると、周りがそうささやくという点です。日本の民俗社会でも、江戸時代の中期とかで、急にお金持ちになると、あいつらはオサキ*4 とか犬神といった動物霊を使って金を儲けたんだろう、とささやかれる。それがいつの間にか『犬神家の一族』になってしまいましたが(笑)。『サタンジャワ』を初めてご覧になったとき、まずどんな印象でしたか?

*4日本の民俗社会にみられる霊的動物の一つ。持ち主に富をもたらすとされる。

森永:初めに見たとき、僕はもともと映画を勉強していた側の人間なので、映画的にこの作品をどういうふうに作ったのかという所に興味がありました。割とシーンとシーンがつながらない所であったり、ナラティブなフローがどこかで崩れていったりとかするのを映し出したり、サタンの動きとかも、普通だったら編集がつながらないものが強引につながってしまう。そういう所にこの映画のテーマが自然に入っていたのが、まず初めの印象でした。

福島:話としては、まず植民地時代の話が出てきて、それから男女の階級格差の恋愛話になって、それから男がプスギハンに頼って富を得るという話になるのですが、最初のシーンは何だったのでしょうか。

森永:それはいまだに僕も(笑)あの子どもが誰なのかも分からないです。僕はあのシーンを見た時に、あれは1920年代の無声映画へのオマージュだと思いました。影の使い方が表現主義の使い方なので、そこにオマージュしてプロローグを被せたのではないかと。

福島:冒頭のシーンは子どもが何かやって、それがサタンの母体みたいになったと。という事はサタンの母体は植民地主義なのだ、みたいな印象を受けますね。

森永:今、言われて、確かにそうかもしれないと思いました。あの映画の最後で、サタンが女性と交わり、仮面をかんざしで刺します。でも、そのサタンが死んだのか死んでないのか、あえて答えを出さない終わり方をしているというのは、今の意見を踏まえて考えてみると、さらに不思議な面白さが湧いてきます。

福島:あの最後のシーンは確かに微妙ですよね。サタン/プスギハンをやっつけたのか、残ってしまったのか。

森永:そうなんです。最後のシーンで女性の主人公がサタンの首を絞めるような動きをします。初めそこに、首の骨がバキっと折れる音を入れてみたのですが、全然合わないのです。これは多分そういう意図ではなかったのかなと思ったり(笑)。

福島:プロレスになってしまわないか(笑)。

森永:そう(笑)。

アジアハンドレッズのインタビュー中の森永氏の写真

欲望の記号

福島:先程クバティナンの話をしましたが、瞑想したり心を清めたりという事がその目標だとすると、『サタンジャワ』の世界は、あまりそういう感じはなく、全体的に欲望まみれの感じが強くないですか。

森永:映画の中でいったら、ドラマとして表してない部分があるのかもしれないです。例えば煙という記号がもしかしたら瞑想とか、そういう意味で使われているかもしれない。

福島:心を鎮めていく傾向を煙で。

森永:煙で補うとか。

福島:補って、でも本体は欲望丸出しみたいな(笑)。

森永:ガリンさんは西洋美術的なこともやっているから、恐らく象徴的な記号を使って、クジャウエン的な何かを、ある意味重厚的にメタファとして取り扱っているのかなと思う部分があります。

福島:実際、話が記号的ですよね。サタンは欲望そのもので、植民地時代にオランダから始まり、インドネシア近代化を進めるにつれ、その欲望は加速化する。だからこの続きは『ウォール街』の貪欲な主人公のゴードン・ゲッコー*5 みたいな、とか。

*5 オリバー・ストーン監督の『ウォール街』(1987)に登場する貪欲な投資家の名前。マイケル・ダグラスが演じている。

森永:それはすごく面白いです。例えば、先ほどの煙もそうですが、鏡なんかもそうじゃないですか。自分を映し出して自分は何者かと。自分自身を見つけていきながら思っていた欲望が後半になるにつれて爆発していくというお話の流れというのを、今、伺ったことを思い出しながら振り返ったら、確かにそう感じます。

福島:プスギハンって、ブド・イジォっていう緑の化け物とか、トゥユルという座敷わらしのような霊、蛙や亀のプスギハンもいますが、『サタンジャワ』で面白いのは、カンダン・ブブラ*6 という霊を主題にした点ですね。カンダンは家、ブブラは壊すとか建て替えですから、あえて訳せば「リノベーション蓄財霊」(笑)。常に新築してなければいけない。建築理論の「メタボリズム」じゃないですけど、渋谷なんかいつも工事中ですし、あれ?これもプスギハンじゃないかと。

*6 プスギハンの一種。持ち主は家の改築を迫られる。本文参照。

森永:先ほど伺った、プスギハンは周りのひそひそ話でもある、という点ですが、これってもしかしたら僕達含め、この映画、この映像を見ている観客の事なのかもしれないですよね。

福島:この映画のサタンを我々自身が支えていると。

森永:そう。という拡大解釈を。

福島:『リング』みたいに。このビデオを我々も……。

森永:(笑)

福島:そして、その悪霊がどんどん皆に広がっていくみたいな……(笑)。

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