スティラット・スパパリンヤー――ドアをたたくこと

Interview / Asia Hundreds

「サンシャワー」展とチェンマイ

《おじいちゃんの水路は永遠に塞がれた》

藤岡:今回は「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」(主催:国立新美術館、森美術館、国際交流基金アジアセンター)のオープニングで東京に来られていますね。展示されているご自分の作品について教えてください。

ソム:「サンシャワー」展のキュレーターたちは、《おじいちゃんの水路は永遠に塞がれた》という2チャンネルビデオを使った私のインスタレーションを選びました。これはドイツ文化センターの支援を得て2012年に制作した作品です。東南アジアの川の風景に関するアート作品を求められたので、私はピン川を選びました。1958年以前、私の祖父母の時代まで、重要な交通手段として利用されていた歴史的に有名な川です。祖父母も川沿いに暮らし、川を行き来しました。祖父の一人は、この川でチーク材を運ぶ運輸会社で働いていました。その当時、タイ北部で大きな産業だったのです。森から木材を切り出し欧州に輸出するのに、ヨーロッパ人だと許諾を得なくてはいけなかった時代です。

藤岡:家具やベッド用の材木ですね。

ソム:象を使って川まで丸太を運び、川でバンコクまで運び、そこからヨーロッパへ木材を送り出したのです。この川を調査したのは、祖父がバンコクまでの長旅(1~2か月はかかったようです)で何を体験したのか、興味をもったからです。川下りの旅路ではいろいろな困難や事件があったはずです。昨今はそんな旅はありませんからね。

藤岡:移動はすべて水上だったのですね、ピン川からバンコクまで。

インタビューに答えるスティラット・スパパリンヤーさんの写真

ソム:チェンマイからバンコクまでは、チャオプラヤ川を航行したようです。でも私はこの事実を知るのが遅すぎました。50年前、川に大きなダムが建設され、航程が中断されてしまっていたのです。私はチェンマイからダムまで行ってみましたが、その時に初めて祖父の物語の本当の意味を知ったと言えるかもしれません。ダムの建設のせいで、祖父一家は住まいを山から移さざるを得なくなっていたのです。私はダムまで行ってみて、巨大な湖に沈められてしまった彼の故郷について想像をめぐらせてみました。川の風景が変化する様、そして環境に及ぼされる影響を知りたくて、私は旅を続けました。

藤岡:この作品はおじいさまの私生活にまつわるユニークな物語ですが、同時に歴史と社会問題にも関わってきます。こういう(異なる次元の問題を重ね合わせる)手法はアーティストとしてのあなたの代表的なアプローチと言えますか?

ソム:若い頃は、身近な些細なトピックにばかり目が行っていました。でも年齢を重ねるにつれ、この国や風景の変化に注目するようになりました。風景というのは私の作品作りの重要な要素です。風景から、大きな社会構造や変化を意識するようになり、その変化の理由も知ることになりました。そして理解を深めるには、政治を避けることはできません。

藤岡:なるほど。

手に入るツールで

ソム:リサーチは重要です。気になったトピックや主題を調査することで、新しい表現の模索が始まるのです。そして、手近な道具や機材を利用も重要なこと。ドイツから初めてタイに帰国したとき、自分の作品をきちんと展示したり、留学中に学んだことを継続する方法はありませんでした。インスタレーションをしようにも、プロジェクターを複数台そろえたり、いろいろなモニターを利用したり、コンピューターのアプリケーションも入手できません。メディア・アートを知る人はおらず、機材はありません。タイで使える道具は限られていましたので、別の手段を講じなくてはなりませんでした。もっと単純で、でもおもしろい手段です。

藤岡:手近なツールを使ったわけですね。

ソム:そう、そしてそういうものでもおもしろい作品が作れる、ということを示したのです。ツールが与えられるのを待つのではなく、手元にあるもので始めたかった。

藤岡:発展途上国のアーティストの持つ強みですね。道具がないときは柔軟に対応しブリコラージュする発想を持っていること。日本やドイツのアーティストはあなたから学べるでしょう。ドイツから帰国したとき、なぜバンコクを拠点に選ばなかったのですか?

ソム:チェンマイと比べて当時のバンコクでは、アートは「保守的」でした。チェンマイではインスタレーション、パフォーマンス、コンセプチュアル・アートに対してオープンな姿勢を保つことが一般的。ちょうど欧州の学校を卒業して帰国した教授が多かったせいでしょうか。チェンマイ大学の美術学部は海外からやってきたあらゆる新しい試みを受け入れていました。分野や背景の異なる教授が集まっていたので、新しい実践に対してオープンだったのです。

藤岡:チェンマイは世界中から人が集っていて、バンコクよりも国際的だ、と聞いたことがあります。これはアート文化の土壌として助けになりますか?

ソム:首都でないことが、世界とのつながりを助長してくれたと思います。知識とネットワークを皆で分かち合おう、というムードがありました。また、チェンマイはゆったり、リラックスできる街で、私は自然の中にひとり身を置いたり、ゆっくり学びを深める時間がとれます。バンコクは学生として私が住みたい町ではありませんでした。当時はとても忙しく汚いところでした。

アジアン・カルチャー・ステーション(ACS)

チェンマイに文化空間を作る

藤岡:次にACS。これは、チェンマイ市内に作られた、公共に開かれた文化空間ですが、芸術文化のコラボレーション、特にタイと日本を含む他のアジア諸国との協働事業を支援しています。2016年8月にオープンしたばかりにも関わらず、既に多くのイベントを企画実施してきましたね。アーティストやキュレーターのミニトーク・シリーズ、映像祭、そしてアジアのアート・キュレーションについての大きなシンポジウムが開催されました。この機関の構想が国際交流基金アジアセンターから持ち上がったとき、当初どう思いました?

アジアン・カルチャー・ステーション入り口の写真
photography by Chaiyaporn Sodabunlu

ソム:驚きました。私たちはほんの小さなアーティスト集団でしたから。ちょうど、「町のため、社会のため、アート・シーン全体を強化する何か手を打つべきではないか。それはきっと自分たちのメリットになる」とチェンマイのアーティストたちに呼びかけ始めたころでした。何回か会合を持った程度で、何も動いていませんでしたけれど。2013年に、私たちがグループとして、あるフェスティバルに参加する、というプロジェクトが持ち上がりました。そこで「チェンマイ・アート・カンバセーション」と名乗って、組織を立ち上げたのです。当初、それほどプロジェクトが頻繁にあるわけではないから、一時的なものだと思っていました。
まずはチェンマイのアート・シーンの主要な人物とアートスペースのリストを作成しよう、と決めました。このデータベースを使って、チェンマイを訪れる人に向けて、アート・シーンを広報宣伝できると思ったのです。来訪者が、地域の仲間と知り合い、街のイベントを教えてもらっているうちに、次第に助け合う関係に発展するかもしれない。とても素朴な発想でした。実はチェンマイでアート・フェスティバルがやりたかったのです。そうすれば、アーティストたちは、いろいろな作業を経験できる。作品の制作だけでなく、マネージメントのようなことも、です。

藤岡:おもしろい発想ですね。アーティストの多くは自分の制作に専念していて、他人を助けることにあまり関心がないかと思います。

ソム:私の場合、あちこち旅する中、(文化をサポートする)とても良いシステムを運用している国を見てきました。そこで「私たちもやっては?」と思ったのです。チェンマイは芸術と芸術家の町で、アーティストが多いのに、シーン全体を良くしていくためのシステムはちゃんとしていない。作品づくりだけでは不十分で、マネージメント、企画書書きなど、カルチャー・シーンを支えるシステムを実現するためのさまざまな技能を培う必要がありました。

藤岡:大事ですね。

ソム:始めたら、おのずから活動が広がって、どんどんつながっていったのです。私たちを知る人の輪が広がり、支援してくれるようになり、ついにはチェンマイ中のアートスペースが大集結する初めてのミーティングを実現させました。この第一回目で、すべてのギャラリーとアーティストが、自分たちの活動についてプレゼンしました。私たちはチェンマイのアートマップを作ろうと提言し、提案や意見、支援の方策を募りました。第一号のチェンマイ・アートマップができるまで、だいぶ時間がかかりましたが、できてからは、つぎつぎに転がり始めました。
アートマップの発行記念に、ギャラリーナイトというイベントを企画しました。チェンマイのギャラリーを夜遅くまで開いてもらうという事業です。今年でギャラリーナイトは2周年を迎え、様子を見にチェンマイを訪れる人は増えています。その際、外から来た人が地元で会いたいという人に出会えるよう、間を取り持つようにしています。こういうことがコミュニティ全体にとってプラスとなりました。

藤岡:いい種まきをしましたね。いろいろな方向に枝葉が伸びているようですし、アートに携わる人の社会的ステータスをあげることになったのでは? アートが経済や生活に貢献し、都市の価値をあげることができるということですね。

ソム:少しずつ、そのことに気づく人も出てきたようですが、即効力はありません。カフェやホテルの経営者の間でアートマップは好評ですが。

藤岡:そしてACSが、あなたたちの活動の本拠地となったのですね?

ソム:初めて、自分たちのスペースを持てました。しかも、ACSを通して、今度は東南アジアと日本に自分たちのミッションを拡張できるようになりました。それまではチェンマイだけに焦点を当てた地元支援にとどまっていました。個人的には、バンコクに頼らないで他都市とネットワークを構築したい、と常々考えていたので、この展開をとても嬉しく思います。自分たちでネットワークを広げ、芸術文化を通して成長することが現実にできます。打ってつけの状況です。

藤岡:年間の事業数や来場者数はどのぐらいですか?

ソム:まだオープンから9か月しかたっていません(2017年7月インタビュー当時)。当初は知名度がなく、来場者数は少なかったです。でもハイシーズンには、訪問者が増えて、私たちの存在が認識されました。アートマップを使ってやってくる人もたくさんいます。チェンマイについて、もっと知りたいという人たちがおしゃべりに訪れるのです。

藤岡:来訪者はアートのプロフェッショナルですか? それともアート好きの観光客ですか?

チェンマイのふれあいの場の写真
photography by Peasadet Compiranont

ソム:一般の人もいますが、アート・プロジェクトや教育プロジェクトを始めようとしている、たとえば若い学生と何かしようとしている人たちもいます。リサーチに来る人もいますので、その場合は(目的に沿えそうな)他の人に紹介してあげます。

藤岡:素晴らしいですね。あのような公共空間はめったにありません。

ソム:その他、幅広くコミュニティにアクセスを広げられるよう、多様なイベントを企画しようとしています。例えば、あなたの持ってきたドキュメンタリー映画の上映会はヴィジュアル・アート作品でありながら、歴史にも関係していました。別の時、ミャンマーのシャン州から絵画をやっている王子を招いて講演してもらいました。絵画の好きな人は楽しめましたし、大学研究者やシャン王朝の歴史に興味ある人も楽しめました。

藤岡:ええ、私の上映会には建築家、ア―ティスト、ホテルを経営している映画監督、通りがかりのバックパッカー、地元に住んでいる西欧人などが来てくれました。観客層の幅がとても広かったのが、印象的でした。

ソム:昔の東京の街並みを見ることができて、啓発されたとの声が多かったですね。これまで見たことがなかった、と。

藤岡:私がACSを訪れたとき、アート展もやっていましたね。

ソム:常に展示があるわけではなく、ときおりです。最初の頃は、アーティストにスペースを提供して、試しに使ってみてもらい、小さな展示空間の可能性を発見してもらおうとしました。でもここはきちんとしたギャラリーではありません。ときどき上映会などのイベントを開催しますが、基本はオフィスなんです。

藤岡:これまでで最も成功したイベントは? 成功の指標はどう測りますか?

ソム:個人的なベストは、第1回ニンマン映画祭2017(NIFF2017)*1 です。参加者数とメディア露出数で成功しました。学生、外国人駐在員、一般人などさまざまな観客から良いフィードバックをもらったので、その反応を記録しておいた方がいいのでは、と最近思い始めています。東南アジアや日本には、互いの知らない細やかなストーリーがたくさんあります。映画はその国の思いも寄らない現実を映し出してくれます。映画祭を通してたくさんのことが伝わりました。さらに映像作家やキュレーターとのパネルディスカッションで、観客はメディアの作られ方にまで理解が深まりました。

*1 第1回ニンマン映画祭2017(NIFF2017)は「ロスト&ファウンド:文化、精神、場、表現の自由」をテーマに開催。

第1回ニンマン映画祭2017の写真
photo credit by Ded Chongmankong