映画祭における人材育成に期待すること
関口:『モーテル・アカシア』のキャスティングについて教えてください。エドウィン監督の『第三の変数』(『アジア三面鏡2018:Journey』(2018)の一篇)にも出演していたインドネシアの俳優、ニコラス・サプットゥラや、カンヌ映画祭監督週間で最高賞を受賞した『彷徨える河』(2015)にも主演したベルギーの俳優、ヤン・ベイヴートも起用されていますね。ブラッドリー・リュウ監督が、映画のなかに俳優をどう置こうと設計されているのかうかがいたいなと思います。
リュウ:主演のJC・サントスなどほかのキャストは決まっていたのですが、主役の敵役であるニコラスは最後にキャスティングしました。実はニコラスとは、プロデューサーのビアンカがベルリン映画祭で会っており、かねてより一緒に映画を作りたいと話していました。寒々とした地域を舞台にした映画なので、ストーリー上フィリピンの役者ではフィットしませんでした。ニコラスとSkypeで話をし、彼ならこの役を演じることができると確信しました。(JC・サントス演じる)JCとニコラス演じるドンは究極的には同じ。ある時点までは同じであり、ある時点から二人のそれぞれの父親に対する話が交錯し、別々の話になっていく。お互い置かれている社会状況も違うし、父との関係も異なりますが、JCとドンが向かい合せになるシーンは、鏡を見ているような状況だと私は理解しています。
関口:舞台はどこですか?
リュウ:ロケーション撮影はスロベニアで行いましたが、物語の設定としては東南アジアを植民地にしたアメリカを含むすべての欧米の国々をイメージしています。
関口:建物が地下に広がっているイメージなのは?
リュウ:地下の宇宙船というような感じです。プロダクション・デザイナーと長い議論を重ねて決めました。イメージの一つとしては、爆撃を防ぐボム・シェルターや、最近、富裕層の間で流行しているプライベート核シェルター。誰の目にも触れないなかで、移民を排除し、さらにヤバいことをしているという設定でイメージしました。
関口:両作とも、問題の核となる権力側は描かず、対極にある森や村で起こることを描くことで大きな問題をあぶりだしているのが共通していて面白いと思いました。直接敵が見えないからこそ、その大きさと不気味さを感じました。
アンギ・ヌン:独裁的な政権の下で生きるとは、ある意味そういうものなのかなと思います。直接的に政府などから罰を受けることはなくても、そういった空気のなかで生きていく。見えない敵を解明するのではなく、近隣の人たちの監視の目を気にして誇大妄想になり、本質を、本当の敵を見失っていくというか。
リュウ:とてつもなく大きな力、例えば独裁者、あるいは権力者といった「恐るべきもの」が、いかに社会をコントロールするかということなんです。そのコントロールの仕方は、恐怖支配。人々はどんどん「恐怖」に追従していく。何かされるのではないか、自分に何か悪いことが起こるのではないかという「恐怖」から自分を守るために、周囲を傷つける。そうなると独裁者は「誰かを殺せ」と私たちにナイフを渡す必要などないんです。疑心暗鬼になったお互いが、自らナイフを手にして、大切な人たちを傷つけていく。独裁者が物理的に遠いところに住んでいたとしても、彼の存在は身近なのです。彼が生み出した「恐怖」が、常に身近にあるから。私たちをコントロールするのは「恐怖」。敵を見せずに描いたのは、それを感じてもらいたいと思ったからです。
関口:お二人とも海外の映画祭や釜山のアジアン・フィルム・アカデミーなど人材育成プロジェクトに参加され、ファンドを受けたり、海外での映画製作の考え方やピッチなどを勉強する機会を経て、現在の活躍があると思います。未来を考えたとき、それらはどのような形であることを望まれますか?
アンギ・ヌン:カンヌ映画祭で東京国際映画祭(TIFF)のプログラマーにお会いして、私の新作を上映したいという話になったのですが、釜山国際映画祭で助成を受け、釜山での上映が決まっていたので叶いませんでした。映画祭から製作助成をもらうことは資金としても、完成作品を上映する機会の提供という意味でも重要です。上映する機会やインダストリーの人たちともつないでもらうことができる。そこへのアクセスが提供されるという意味でも重要だと思っています。
ついこの間、ジャカルタで元「トリノ・フィルム・ラボ」の人が主催するフィルム・ライティング・ラボ(脚本執筆のワークショップ)に参加しました。そういう場では、自分が煮詰まっている部分に別の人から新鮮なアイディアをもらうこともできます。時間を共有して議論するのは、とても素晴らしいこと。そういった、脚本を練っていくラボやプロデューサーを育てる場はとても有益だと思います。
リュウ:もちろんそれらもありますが、クリエイティブ・プロデューシング、製作者がどういうふうに既存の形ではない製作ができるか。僕はそういうワークショップがあったらいいなと思います。監督や脚本家を志望する人はとても多いし、そういう人を育てる場もあります。でもプロデューサーに対するそういう場は少ない。私たちの地域では「プロデューサー」とは、ただ資金調達をする人のように思われています。でもプロデューサーとは、監督とゼロから脚本を練り、映画を作り、完成させ、配給し、次にその監督が新作を作れるように後押しをしていく流れを二人三脚でやっていく存在だと思うんです。そんなプロデューサーを育てるような場所があったらいいと思います。
ヨーロピアン・オーディオ・ビジュアル*2 が主催するラボ「Ties That Bind」やタイで行われている「SEAFIC」では、そういったプロデューサーの養成みたいなこともやっているようです。プロデューサーには、監督がイメージする作品の質を高め、より良いものとして実現させるという重要な役割がある。理想は、国際的な映画製作の現場や映画祭のようなところで、経験を多く積んだ経験豊かなクリエイティブ・プロデューサーと、初めて長編映画を演出する監督、初めて映画脚本を書く脚本家、初めて映画をプロデュースする若手人材が組んで、一つの映画を進めるプロジェクトがあるといいと思います。
監督同士、脚本家同士が切磋琢磨したり、出会う場はありますが、そこにクリエイティブ・プロデューサーが加わることで、具体的なフィードバックやそのプロジェクトをどういうふうに国際的に通用させることができるかという視点を盛り込めるのではないか。クリエイティブ・プロデューサーの役割は、プロジェクトの全体を俯瞰して、それをより良いものにしていくこと。監督や脚本家には、個人的な想いがこめられているがゆえにちょっとした助言で傷ついたり、情熱的なプロジェクトを抱え込んでいる人もいます。そこに親のようにアドバイスしてくれるクリエイティブ・プロデューサーが加わることで、良い映画として完成させることができるのではないでしょうか。マーケットやピッチで、たくさんの良い企画を見かけますが、それらが完成するのはごく僅かですから。
*2 ヨーロピアン・オーディオ・ビジュアル・アントレプレナー(European Audiovisual Entrepreneurs(EAVE))は、1988年にEUが主体となって設立された、映像プロデューサーのための育成プログラム。
【2019年11月1日、六本木アカデミーヒルズにて】
インタビュアー:関口 裕子
1964年生まれ。「キネマ旬報」編集長、アメリカのエンタテインメント業界紙VARIETYの日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを経て、フリーランスに。執筆、編集、コンサルタントとして活動中。趣味は、歴史散歩。
編集・撮影:掛谷 泉(国際交流基金アジアセンター)
関連情報
『モーテル・アカシア』
『サイエンス・オブ・フィクションズ』