アーティスト=アクティヴィスト?
藤原:おふたりが具体的に取り組んでいる政治的・社会的なテーマはありますか?
サマンサ:私はLGBTに関心を持っています。フィリピンでは男女平等はもうかなり進んでいますが、LGBTの問題についてはまだ教会によってコントロールされていると感じます。けれども教会に従う必要はありませんし、「ゲイの人々は悪だ」と彼らが言ったとしても信じる必要はないのです。
私の最新の映画では、撮影クルーは全員が女性かLGBTコミュニティのメンバーでした。例えば街に出て、のぼりや横断幕を掲げて「みんな、私たちを受け入れて!」と叫んだとしても、それは社会を説得しようとする私の自由な選択肢であって、問題ありませんよね? 同じように、女性やLGBTを普通の人間として描いたその映画を人々に観てもらえれば、たとえメッセージが挑発的であっても、それが許容しうるものであることを示せると思うんです。
セノ:私は6年前から、ジョグジャカルタのボロブドゥール遺跡で小さなフェスティバル(Borobudur Writers and Cultural Festival(インドネシア語))をやっています。そこでは宗教間の対話や寛容をテーマに、いろいろな背景を持った人たちを招いてディスカッションしてもらうんです。今年は真言宗のお坊さんもひとり呼ぶ予定ですよ。このフェスティバルは私にとって雑誌『テンポ』とは別の、もっと個人的な場になっています。
藤原:おふたりとも明瞭なテーマがあるんですね。日本では1970年代以降、芸術が政治や社会から切り離されてしまったようにも思います。それがここ数年になってようやく、両者が良くも悪くも結びつくようになったと感じますし、だからこそ海を超えてアーティスト同士が対話できる可能性も生まれつつあるのだと思いますが……。
おふたりは、アーティスト(芸術家)がアクティビスト(活動家)に近づいていくことについては、どのような認識をお持ちですか?
セノ:去年、『テンポ』は、若手映画監督に最高監督賞を授賞したんです。なぜかというと彼は、スハルト大統領の時代に反体制的な詩を書いたことで誘拐されて、今も見つかっていない詩人についての映画を撮ったんですね。スハルトの政権時代のことを「Orde Baru(オルデバル)」と呼びますが、その時代のことを勇敢に取り上げたということで授賞しました。
もちろん、アーティストはあくまでもアーティストですし、アクティビストとは確かに距離があります。けれども、アーティストが社会的活動に対して批評したり、新しい風を送り込んだりすることは重要だと思うのです。
サマンサ:そう思います。アーティストはいつでも社会の映し鏡であると感じます。その映し方については、2通りに見ることができるでしょう。ひとつは、今社会で起きていることをダイレクトに反映するやり方で、そこにはどちらかというとアクティヴィズムが入ってきます。社会に問題があればあるほど、芸術はもっと激しくなるでしょう。しかしもうひとつ、もっとパーソナルな形で理想的な世界を映し出すやり方もあります。
フィリピンでは、映画は両方の役割を果たしていると私は感じます。アンダーグラウンドな芸術ほど、悪いものも含めて全部を映しています。それは社会に対する批判ということですね。一方、メインストリームの芸術はというと、植民地的に植え付けられた感覚に基づいて理想を描いたり、現実逃避という形で反映されています。
いずれにしても、そうですね……アーティストはアクティビストになれると思います。しかし魔術師のようになって、悪い現実をすべて隠してしまったり、理想的な社会を描くことだってできるのです。
他の国での事情を参照すると、例えばカンボジアでは、歌うことが禁じられたプロテストソングのパフォーマンスがあります。そのように、日本のように安定した国と比べて、政局があまり安定していない国の芸術はより情勢に反応するということがあるでしょう。安定した国では、アーティストたちはよりパーソナルになります。自己にまつわる要素が大きいのです。例えば先日フランスのパフォーマンスを観ましたが、それはカンボジアのプロテストソングとは全く異なるものでした。それは依然として社会を反映していますし、重要性が低いというわけではありません。ただ違うというだけですし、それも一種のアクティビズムではないでしょうか。
藤原:今のお話で、アーティストが理想の姿を描くことについては、サマンサさんは肯定的に捉えていますか? それとも批判的に?
サマンサ:どちらとも言えます。アーティストが理想の形を描いたとしても、オーディエンスの反応は様々ですから。観客が描写されたイメージを現実だと洗脳され、何もできなくさせられることもある。それは悪いケースです。しかし別の形で理想を示せば、観客はもっと能動的にもなれるでしょう。
フランスの哲学者ジャック・ラカンは、理想的なイメージとは、決して実現しない自己の写し鏡だ、という趣旨を語っていました。私たちは生涯、鏡の中のイメージを実現しようと繰り返し挑戦しますが、そこにたどり着くことはない。けれどもそれが理想に向けたステップとして、何度も何度も挑戦する方向へと観客を動かすのであれば、それは悪いことではないと思います。
ジャンルの壁と、批評を可能にする土壌について
藤原:フィリピンとインドネシアでは、演劇とダンスの境界はきっぱり分かれていますか? 日本では既存の演劇やダンスの枠に収まらない活動をしているアーティストがじわじわと増えているように感じますが、彼らの越境的・逸脱的な動きを、演劇やダンスを専門とする批評家が追いきるのはちょっと難しいとも感じるんですよね。
セノ:インドネシアでは基本的に分かれていますが、一部の演劇には要素としてダンスを取り入れているものもあります。そして、演劇や美術など様々な要素を含んだクロスボーダーな芸術は、特に若い人たちの中からたくさん生まれてきていますね。もちろん批評家もそういうアーティストたちに注目していますし、ちゃんとカバーもしています。新しいものにも対応はできていると思います。
批評家やジャーナリストでは、ジャカルタ・アーツ・カウンシルのヘリー・ミナルティのようにダンスを専門とする人もいますが、演劇、ダンス、美術等にまたがって書く人もたくさんいますよ。
藤原:ヘリーはTPAM2017で『パフォーマンスの百科事典』という、言葉を辞書のように編纂する作品に出演していましたよね。ジャンルにこだわらずに越境したり、時には作り手にもなったり批評家やキュレーターにもなるという柔軟さは、彼女にもあるということですよね。
サマンサ:フィリピンではいわゆる「ショー」という考え方をしますね。観客は無意識のうちに、演劇のショーにはダンスが含まれていると思うし、ダンスのショーには演劇が含まれていると思うでしょう。
批評家については、演劇やダンスの批評で食べていけるほど充分な数のショーが創作されているわけではありません。今はオンラインのプラットフォームがフィリピンの演劇のために開かれていますが、ウェブはまだまだメインではありません。趣味的であったり、補佐的なものに甘んじていますね。
フィリピンで、批評家が成功して生き延びられるような文化がもっとあればいいのにと願っていますが、今のところ、それが何かはわかりません。CNNフィリピンですら、芸術について書ける人材をなかなか見つけることができません。フィリピン人たちが、ネガティブな話をするのが好きではないからなのか……。とにかく批評を可能にする文化が欠けているんですね。書きたいこと、話したいことがあっても、自分の名前を署名して書くということはなかなかないのです。あるのは、どこで上演されたとか、俳優がどうだったとか、そういう紹介記事ばかり。でも私は、自分が何を思ったか、踏み込んで書きたいと思っています。
藤原:フィリピン人の精神性が批評に向いてないかもしれない、というのは興味深い話ですね。私自身は批評は必要だと考えているのですが、ただ、「批評」というモード自体が西洋近代的な産物かもしれないという、その可能性も否定しきれないとも思います。
サマンサ:特に舞台芸術は、スクリーンではなく目の前で起こるものですから、そのせいか観客が個人的(パーソナル)なものだと感じやすいのかもしれません。実際、映画評論家はたくさんいるんですよ。それは、監督や出演俳優がどうせ記事を読まないだろうと踏んで、距離をとって書くことができるからです。でも舞台芸術は、目の前にいますからね。楽屋裏で個人的にパフォーマンスについて言いたいことを言ったとしても、それがテレビで放送されたり書かれたりすることはありません。あくまでも個人的なこと、だと思われているからです。
でもカルナバルのような前衛的なフェスティバルでは、パフォーマンスごとに観客からの批評的なコメントを求めていますよね。
藤原:そうですね。カルナバルでは常に批評的な会話をしているような気がします……。大雑把な話になってしまいますが、インドネシア人の精神性と批評との相性はどうですか?
セノ:それは、批評家のキャラクターにもよりますかね。非常に大胆に言いたいことを言う人もいるし、私のようにとても慎重な人もいますから(笑)。
誰に言葉を届けるか?
藤原:おふたりとも他者に情報や言葉を伝えるのがお仕事ですが、誰に届けたいと考えていますか? というのは今、トランプ大統領の誕生や、ブレグジット(イギリスのEU離脱)、移民排斥の声の高まりなど、ポピュリストと呼ばれるような人たちの扇動的な発言がかなりの影響力を持ってしまっている。そうした状況下で、アートのファンとか、政治的な意識がもともと高い人に向けて作品をつくったり批評を書いたりするだけでいいのでしょうか。すでにリベラルな思想を持つ人たちに向けて呼びかけるだけでは、もう限界があるように私個人は感じているんです。
セノ:『テンポ』の読者は中産階級の人たちで、彼らは政治はもちろん、移民やLGBTの問題にも興味を持っています。私はそういった人たちに向けて書いています。しかしもっと若いオンラインの読者もどんどん増えています。彼らはネットサーフィンをしてもっとたくさん情報に触れることができるでしょう。デジタル版の『テンポ』には読者が自分の意見を書き込めるようにもなっています。
サマンサ:私も同じ読者層ですね。つまり基本的に中産階級で教養があり、インターネットにアクセスできる人たちに向けて書いています。ご質問では、すでに知っている人たちに向けて書くのは疑問だ、と仰っていましたが、CNNフィリピンでは、異議を唱える声を読者に届けることが大切だといつも考えています。例えばドゥテルテ大統領について、だいたい8年間の私たちの読者層をみると、そのほとんどが彼のしていることに反対しています。そこで私たちは、ヒトラー・ユーゲントにそっくりの「ドゥテルテ・ユース」と呼ばれる人たちにインタビューをして、なぜそれに関わったのか、その理由を尋ねてウェブサイトに発表しました。なぜなら、読者がすでに他の特定の政治的信念を持っていたとして、その世界観に自分自身を限定し、他の陣営の考え方を理解しようとしないのであれば、状況は何も変わらないと私たちは信じていますから。だからこそ、私たちは常にバランスをとるようにしていて、ものごとの両面を発表するんです。もし、すでに自分の心を決めていたとしても、少なくとも他の人の動機について知ろうとするのは大事ですから。ただ、ご質問の内容はとても複雑です。なぜならそれこそが問題だからです。どうやって、例えばLGBTのコミュニティについて確かなメッセージを発し、人々のマインドを変えられるか……。私が思うにそれは、物事の様々な側面を見せ、情報にバイアスがかかっていないことを示し、あらゆるものに対してオープンな状態で判断してもらうということです。それが人々のマインドを書き換えたり世界観を変えたりするための唯一の方法だと私は思います。しかしそれは難しいことですし、芸術や文章が世界を変えるというのも理想的な見解にすぎないかもしれません。私たちは皆、そのことを考えているわけですが、それが本当に可能かどうかは、私にもあなたにもまだわかりませんよね。
藤原:最後に、舞台芸術のジャーナリズムについての課題があれば、お聞かせください。
サマンサ:私個人の課題は、フィリピンにおいて、芸術を大切にしたり、芸術についての文章を読んだりする人をどうやって見つけるかです。殺人、貧困、深刻な渋滞など、社会に大きな問題が起きている時、芸術は二の次とされがちです。ですがそれは一方では、芸術は重要であると人々に伝えて納得してもらうための、チャレンジでもあるでしょうね。
セノ:私が特に興味があるのは、国家間のコラボレーションです。鈴木忠志さんとインドネシアのアーティストたちのコラボレーションのように、ひとつの舞台を作り上げていくプロセスによって互いを理解する。それがひとつの大きな目標です。
このTPAMのように、各国で起こっている新しい舞台芸術の発展を直接見ることができるのはとても良い機会だと思います。各国のアーティストと直接知り合ってコラボレーションするきっかけにもなります。特にアジアにフォーカスを置いていることも素晴らしいと思っています。
藤原:アジア各国の舞台芸術のネットワークは近年急速に発展しつつありますが、まだまだお互いのことを知りませんし、だからこそメディアやジャーナリズムには、情報の橋渡しをしていく役割が求められるのだと思います。少しずつでも、積み重ねていきたいですね。今日は貴重なお話を有難うございました。
【2017年2月14日、横浜・象の鼻テラスにて】
参考情報
サマンサ・リー ツイッターアカウント: @givemesam
インタビュアー:藤原 ちから(ふじわら・ちから)
1977年高知市生まれ、現在は横浜と京都を主な拠点とする。批評家、BricolaQ主宰。徳永京子と共著『演劇最強論』(飛鳥新社)のほかウェブサイト「演劇最強論-ing」を共同運営。NHK横浜「横浜サウンド☆クルーズ」で現代演劇コーナーを担当。本牧アートプロジェクト2015プログラムディレクター、APAFアートキャンプ2015キャプテンなど、しばしばキュレーター、メンター、ドラマトゥルクとしても活動する。アーティストとしては都市の深層や人の移動に関心を持ち、遊歩型ツアープロジェクト『演劇クエスト』を、横浜、城崎、マニラ、デュッセルドルフ、安山など各地で創作するほか、新プロジェクト『港の女』をマニラのKARNABALフェスティバル2017で上演。2017年度よりセゾン文化財団シニア・フェロー。
通訳:深瀬 千絵(日―インドネシア)、福岡 里砂(日―英)
写真:鈴木 穣蔵