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コ・ジュヨン――韓国と日本の舞台芸術交流のキーパーソン、芸術とそうでないものの境に身を置くインディペンデント・プロデューサー

Interview / Asia Hundreds

アジア・ハンドレッズのロゴ
ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

芸術を支援する立場からプロデューサーへ

小倉由佳子(以下、小倉):私が初めてコさんと出会ったのは、セゾン文化財団のヴィジティング・フェロー*1 として森下スタジオに滞在されている時でした。2011年、この制度が始まった年だったと思います。

*1 セゾン文化財団が行う、現代演劇・舞踊の海外ネットワークの拡大、相互理解の促進を目的に、日本の現代演劇、舞踊の状況や背景、魅力等の研究を支援するプログラム。

コ・ジュヨン(以下、コ):そうです。私が二人目でした。一人目が、マックス=フィリップ・アッシェンブレンナーさんでした。

小倉:その時は、韓国芸術経営支援センター(Korea Arts Management Service)に所属していましたね。確かリサーチのテーマは「日本の舞台芸術においてのテンネン世代(2010年代)」。既に日本の演劇状況について詳しかったような気がしたのですが、どのようなことに興味を持ってリサーチに来られたのですか。

:その頃日本の演劇に詳しかったとは思いません。「テンネン世代」のリサーチを行いたいと思ったのは、2010年にナム・ジュン・パイク・アートセンターで小沢康夫さんがキム・ソンヒさんと行っていた、新しい世代の日本のパフォーマーたちを紹介する企画*2 で、「演劇」のようで「演劇」ではないかもしれない、韓国では絶対に「演劇」と呼ばないような作品を観ました。それらがとても面白く、いま何が日本で起こっているのかを知りたいと思ったからです。韓国の演劇のシーンとは全く違う形やコンセプトを持っている作品だったので、いろいろ観てみたいというのが一番大きかったです。

*2Out of Place, Out of Time, Out of Performance
contact Gonzo、真鍋大度、和田永、梅田哲也ら日本人アーティストを紹介。

小倉:2011年は、フェスティバル/トーキョーのF/T公募プログラムで、捩子ぴじんさんや村川拓也さんが上演されて、とても話題になりましたね。ここに参加していたアジアのアーティストがほかのフェスティバルに招へいされるなど、活動を広げている人たちが出始めた年ではないかと思います。

:今思えば、とてもいい時期に来たと思います。ナム・ジュン・パイク・アートセンターにはcontact Gonzoも呼ばれていました。人々がぶつかりあって争っているようなパフォーマンスで、初めて見たときはこのような表現があることにショックを受けました。とても良かったのですが。

小倉:リサーチはどうでしたか。自分自身の変化はありましたか。

:やはり予想した以上に面白いことがたくさん起きていました。滞在前は、自分が作品創作に入りたいと思ったことはありませんでした。自分に合っている作品をあまり見たことがなかったですし、企画から立ち上げようとまではいきませんでした。ですが、あのような実験的な舞台に関わりたい気持ちが湧いてきました。そして翌年には、ほかの事情もあり、会社を辞めました。

小倉:その後、韓国芸術経営支援センター(Korea Arts Management Service)を辞めて、芸術を支援する仕事からもっとアーティストと近い位置での仕事に方向転換されるきっかけに、この日本滞在がなったのかもしれないですね。

:その前からフェスティバル・ボム*3 の存在は私にとって大きかったのですが、ヨーロッパからの作品のほうが多かったので、自分とは距離感がありました。日本でもアーティストの動きがあり、実験的な作品が作られていることが分かり、もしかすると自分も関わることができるかもしれないという気持ちになりました。

*3 韓国で2007年より開催されている、ジャンルを横断した実験的な芸術表現・多元芸術を国内外に紹介する芸術祭。

インタビューに答えるコさんの写真

韓国と日本の舞台芸術交流のキーパーソンとして

小倉:コさんは今回のインタビューも日本語で行っていますが、とても日本語が堪能です。日本のアーティストが韓国へ行くときのコーディネート、翻訳、通訳、韓国のアーティストが日本に紹介されるときのキュレーション、翻訳、通訳などいろいろな形でお世話になっている人が多いのではないかと思います。日本と韓国の舞台芸術の架け橋的な存在です。セゾン文化財団のヴィジティング・フェローに来る前、日本に語学留学されていたのですよね?

:そのさらに10年前です。

小倉:なぜ日本に留学しようと思ったのですか。

:私が大学生のときに、日本の文化をオフィシャルに見ることができるようになりました*4 。真っ先に入ってきたのは、村上春樹、村上龍、吉本ばなな(現:よしもとばなな)の小説でした。あとは北野武、岩井俊二の映画などが第一波で入ってきました。小説はもともと好きで、村上春樹の小説を読んだ時にとてもショックを受けました。自分が今まで読んできて好きだと思っていた小説とは全然違う書き方でした。私は学生運動の最後の世代になりますので、いまだに共同体が一番重要だという考えを持っていたと思いますが、彼の世界観では、共同体を構成する個人が一番大事という考え方でした。そのことが私に影響を与えて、自分が村上春樹の新作を日本語で一番初めに読みたい、さらにはそれを翻訳したい気持ちがあり日本に来ました。

*4 1998年の「日本文化開放」以前、韓国は日本の大衆文化流入に制限を設けていた。

小倉:コさんの周りの家族や友達は、日本に留学することに対して、どのような反応でしたか。

:もちろん過去の問題はありますが、それとは関係なく、日本と聞くだけで多くの人が反発することに私は反発したいと思い、日本に興味を持ち始めました。ただ、少なくとも私の周りには、日本に行くことに反対した人はいませんでした。最初のプランは、日本に半年行き、イギリスなどにも行きたいと思っていました。しかし半年では村上春樹を読むことが全然できず、3年に延びました。

小倉:野田秀樹さんが韓国の劇場と仕事をされる際には、コさんが通訳者ですね。

:野田さんとは全然面識はありませんでした。以前、野田さんの『THE BEE』のイギリスプロダクションの招へいの時、一緒に仕事をした明洞芸術劇場から声が掛かり、野田さんが1か月ほどソウルで韓国の俳優と稽古をする*5 ので、演出専属の通訳ができないかと依頼がありました。緊張しましたが、引き受けました。野田さんの通訳をすることは勉強になりました。
野田さんは普段の稽古と同じようにやりたいのだと思いますが、「通訳者の意見を入れるな」と。ほかの方の場合だと、自分の中で整理し、理解した言葉で伝えるのですが、野田さんの場合はまるで翻訳機になったようでした。入ってきた言葉をそのまま話します。

*5 東京芸術劇場×明洞芸術劇場 国際共同制作『半神』(2014年、共催:国際交流基金)

小倉:常に隣にいるのですね。野田さんが素敵なエピソードを話されていました。稽古中、野田さんがトイレに行きたくて場を離れたら、コさんがついてきたと。

:オープニングレセプションのスピーチで、いきなりそのようなことを話してくださりました。私がトイレまでついてきたので、このプロジェクトはいけると思ったそうです。通訳者としては、野田さんが一番記憶に残ります。そこでとても信頼をしていただき、その次の仕事も一緒に行いました。

小倉:最近翻訳されたものでは、いしいみちこ先生*6 の『高校生が生きやすくなるための演劇教育』がありますね。どういう経緯でこちらは翻訳されたのですか。

*6 追手門学院高等学校教諭(元福島県立いわき総合高等学校教諭)

:この2年ほど、私がプロデュースした作品を見て声をかけてくれる人の多くは、アートエデュケーションやヒーリングアートをフィールドとしている人たちでした。それはなぜかと聞くと、「あなたが作っている作品には自然とそのような効果を狙っているような気がする」と言われました。ただ作品のクリエーションをするつもりだったものが、教育的、治癒的な効果があると。私自身がアートエデュケーターとして何かするわけではありませんが、向かっている方向には確かにそのような要素があると、自分でもなるほどと思いました。
日本から紹介したいアートエデュケーションの事例はあるかと聞かれたときに、私は教育と創作、クリエーションが一緒になっているものに興味があったので、福島県立いわき総合高等学校のいしい先生(当時)にコンタクトを取り、韓国に招へいしてお話を聞きました。そこから翻訳に至りました。

小倉:最近の日本のアーティストやプロジェクトで、関心があるものはありますか。

:菅原直樹さんと、菅原さんの主宰するOiBokkeShiに関心があります。今年のTPAMフリンジ公演が楽しみです。やはり、普段創作しない人たちが舞台に立つ、自分の物語や歴史を持っている人が舞台に立って主人公になるという作品に、このところ興味が集中していて。まだ見たことがないのですが、新聞家(しんぶんか)も周りの評判を聞いて気になっています。

インタビューをする小倉氏の写真