サン・ソクセライ――「ひとりじゃない」女性にエールを送るカンボジアのラップ・ソング

Interview / Asia Hundreds

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ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

ヒップホップとの出会い

本間順子(以下、本間):私は2020年4月から大学院でカンボジアの伝統的な詩と現代のカンボジア語ラップとの関係について研究を始めます。セライさんがカンボジアで女性ラッパーとしてどのようにヒップホップという表現を磨いてきたのかについて、今回私がお話を伺えることは大変有難い機会であると思っています。さらに、ソーシャル・メディアで配信されていた「ポスト・ラップニュース」や現在取り組まれている企画等についてもお聞きできたらと思います。まず、あなたのご出身地について、そしてどのようにしてヒップホップに興味を持ったのか聞かせて下さい。

サン・ソクセライ(以下、セライ):私はカンボジアの首都プノンペン出身です。プノンペンには、子供たちに無償で教育と芸術を学ぶ機会を提供する、タイニー・トゥーンズ*1 という団体があります。学びたいという意欲があるすべての子どもが、自分たちの未来を築くことができるようにと、KK(ケイ・ケイ)[トゥイ・ソビル]さん*2 によって創設された非営利団体であり、カンボジア初の、最高のブレイクダンス・スクールです。私は当初、ブレイクダンスを習いたいという友だちの付き添いで、タイニー・トゥーンズを訪れました。実際に行ってみたら「何て素晴らしいところなんだろう!私も何か、やってみるしかない!」と思って、ブレイクダンスを始めました。タイニー・トゥーンズを訪れるまでは、何が自分の才能かなんて、自分ではわかっていませんでした。

サン・ソクセライさんの写真

その後スタジオでの楽曲作りや、DJ、フリースタイルも学びました。私が21~22歳の頃だったかな。当時カンボジアの音楽は、海外の楽曲をコピーしたものが多かったのですが、タイニー・トゥーンズには何でも「オリジナルを作ろう」というルールがありました。でも、そもそも私はラップが何であるのかを知らなかったので、まずはカンボジアやアメリカのヒップホップの映像を観てインスピレーションをもらいました。「自分もこんな風にできるかな?」というところからオリジナルのラップを書き始め、夢中になっていきました。

*1 学校に通えない、また非行やドラッグに陥りやすい環境にあるストリートチルドレンが、貧しくても教育を受ける機会や子どもとしての時間を享受できるように、2005年に創設された慈善団体。ブレイクダンスの他、カンボジア語、英語、コンピューター、グラフィティ、DJ、ラップ・ミュージックなどを教え、公教育への復帰や高等教育への進学を後押している。次世代を育成する教員や、国内外で活躍するブレイクダンサー、ヒップホップアーティストを多く輩出している。

*2 カンボジア内戦によって、タイにある難民キャンプで生まれ、その後アメリカ、ロサンゼルスで育ったKKは、ギャングの一員となり、それまで訪れたことのなかった両親の祖国カンボジアへ強制送還された。カンボジア系アメリカ人であるKKがアメリカでブレイクダンサーであったと聞きつけた子どもたちが門戸を叩き、タイニー・トゥーンズのスクールが生まれた。
https://www.tinytoones.org/

本間:あなたがラップを始めた時、ご両親はどんな反応を?

セライ:私は大学で経営学を専攻していたのですが、当時まだ在学中だった私に対し、家族は誰もサポートをしてくれませんでした。特に私の父は、ダンスやラップは役に立たないもので、学業に専念して欲しいと考えていたんです。これが変わったのは、私がカンボジアの大手モバイル通信会社のテレビCMで、モバイルネットワークで組織された20~30人くらいのパフォーマーがフラッシュモブダンスをするという企画に、メインアーティストとして出演することになった時のことです。CM出演について事前に父に説明をしに行ったのですが、その際マネージャーが、私がタイニー・トゥーンズでファンドレイジングイベントを企画し、奨学金を得た話をしたところ、父は私を誇りに思ってくれたようで、活動を了承してくれました。当時このCMは有名になり、私の活動に対する家族や友達の見方が少し変わりました。家族がサポートしてくれないものを学ぶのは楽なことではありません。それでも私は、ひたすら自分ができることを続けてきたんです。

サン・ソクセライさんとインタビュアー本間氏の写真

本間:ラップの表現技法を磨いていく中で、あなたには女性ラッパーとしてその在り方を導いてくれるようなロールモデルやメンターはいましたか?

セライ:当時私が影響を受けていたラッパーの中には、女性ラッパーはいませんでした。ラップソングを作るうえでは、男性ですが、カンボジア出身のアーティストであるKhmer1Jivit(クマエ・ムオイ・チーヴィット)のパワフルさや、彼がリリックにどんな意味を持たせているかということに感銘を受け、インスピレーションを得ています。彼のラップはスピードが速いのですが、何を意味しているのか理解できるんです。伝えたいことの意味をみんなに理解してもらえるよう、はっきり聴き取れるようにラップをすることの大切さを、彼から学びました。

本間:あなたはどういった時にリリックを書くインスピレーションを得るのでしょう?どのように音楽で表現したいストーリーに出会うのですか?

セライ:例えば私のラップの中で、デビュー前から人気のあった「ポンルー 」(The Light、光)という歌がありますが、この歌のリリックはある女の子との出会いから生まれました。以前、私がタイニー・トゥーンズのブレイクダンスグループとして『ローイ・プラムブオン』(Loy9:15歳から24歳のすごい若者たち)という若者向けテレビ番組に出演した時、その番組を観てくれた女の子から、SNSでメッセージを貰ったんです。その子はK-POPダンスをスーパースターのように踊れるけれど、周りに話を聴いてくれる人が誰一人いなかったことでストレスを抱え、自殺を考えていました。私は何度も止めようしました。そして段々と、私が彼女の両親のように彼女を愛するべきだと思うようになりました。それで、彼女のモチベーションとなるように、もっと強くなれるようにと願って、誕生日のお祝いとして「ポンルー」を作ったんです。嬉しいことに、この歌を聴いて、まるで抱えていた石を取り出したように気持ちが軽くなり、心を開くことが出来たそうです。それ以来、彼女はもう自殺について考えることはなくなりました。

同じように辛い人生を抱えていた友だちやファンも、「この歌を作ってくれてありがとう」とメッセージを送ってきてくれて、最高に誇らしかったです。彼らは今も私のサポーターです。その後、サバーイという会社が「ポンルー」のミュージックビデオを制作してくれて、私は女性ラッパーとして正式にデビューしました。みんなを勇気付けられるように私の気持ちを全力投球したラップと、そのリリックの意味やライムが、多くの人々の心を動かしたのではないかと思います。

本間:これはラップソングを通した大きなエンパワーメントになっていますね!

ラップだからこそ伝えられること

本間:次に、カンボジアの主要な英字紙『プノンペン・ポスト』のカンボジア語版『ポスト・クメール』のフェイスブックページで配信されていたユニークな「ポスト・ラップニュース」*3 について聞かせて下さい。

*3 新聞離れしている若者を引きつけるために、『プノンペン・ポスト』紙がラップニュースを2017年3月27日から2017年9月18日まで配信。

セライ:『プノンペン・ポスト』紙が映像を制作し、私たちが音楽を担当しています。ターゲットは新聞を読みたくない、ニュースに全く興味がないという若者たちです。『プノンペン・ポスト』紙によって選ばれた人気のあるニュースを、記事を読まなくても楽しくさらっと理解できるようにラップに落とし込みました。新聞を読むことには興味のない若者も、関心を持ってくれました。

インタビューに答えるサン・ソクセライさんの写真

ラップニュースの音楽はビートメーカーのVoch Beatz(ヴォッチ・ビーツ)*4 がプロデュースをしていて、Voch自身もMCを務めました。とてもクリエイティブな作り方だったのでとても楽しくて、私自身もこのプログラムが大好きでした。でも実際、制作は楽じゃなかったんですよ(笑)。毎週水曜日にニュースを受け取り、木曜日にラップを書き、全ての文言をチェックして、必要があればニュース向けに修正してもらい、金曜日にボーカルのレコーディング。土曜日に撮影、日曜日に編集、そして月曜日に配信です。ニュースをラップにすることは簡単ではないです。余裕のないスケジュールの中で、Vochと力を合わせてやり遂げました。

*4 ビートメーカーで、MC。カンボジアのポップソングで人気の歌手Preap Sovath(プリアプ・ソワット)やTep Boprek(テープ・ボープルック)に楽曲提供している。

本間:それはかなりタイトなスケジュールでしたね!もう少しあなたの楽曲について伺いたいのですが、あなたがリリックを書く時、出身地のコミュニティを語ることや、ファンから共感を得ることをどのように意識していますか?

セライ:カンボジアではいつも私たちの国について、また、カンボジアのすべての人々にとって意味のあるものについて、ラップしています。私の楽曲の中にVoch Beatzをフィーチャーした、カンボジアについて歌う「Cambodia」という楽曲があって、そのミュージックビデオの中では、カンボジアの伝統武術ボカタオの闘いのシーンを取り入れています。帰国後に出演予定の日本カンボジア絆フェスティバル*5 のコンサートでは、タイニー・トゥーンズのブレイクダンサーたちと一緒に出演するのですが、カンボジアの文化とヒップホップが結びつくように、このステージでもボカタオのパフォーマンスをしてもらう予定です。

また、私はラップを作るとき、カンボジアの女性を代表してリリックを書いています。女性の権利を守る団体と一緒に、女性への暴力防止のための歌も多く作ってきました。まるで19世紀のような考え方で女性の行いが否定されているようでは、どうしてジェンダー平等なんて言えるでしょうか? 私たち女性が意見しても、聞いてもらえないかもしれないことでも、歌にすれば多くの人は音楽を聴き、歌詞に耳を傾けてくれます。

*5 両国の伝統文化、現代文化を紹介し、交流を促進するため、在カンボジア日本国大使館、カンボジア日本人材開発センター、国際交流基金アジアセンターの共催により行われるフェスティバル。2012年から毎年プノンペンにて開催されている。

本間:あなたが武術をたしなんでいるという「サバーイ・ニュース」の記事を読みましたが、それはボカタオのことですか?

セライ:いえ、ボカタオは習っていません。私は幼い頃から武術を学びたかったのですが、父からいつもダメだと言われ続けていたんです(笑)。私はとてもとても礼儀正しくて、時にもじもじするような子どもだったんです。

サン・ソクセライさんとインタビュアー本間氏の写真

本間:本当ですか?

セライ:そうだったんです!ある日、私は同級生の女の子からいじめられて、お金を奪われて。それでも父は武術を習うことを決して許してくれませんでした。そこで、テコンドーの先生をしている兄に頼んで少し教えてもらいました。兄は私に「強くなったよ、自信を持って。もう怖くないよ。」と言ってくれました。そして、またお金を奪われそうになった時、ようやく私も声を上げることができました。それ以来、私は誰も恐れなくなりました。私はいじめに遭った人に自分の経験を伝えようと努めています。残念なことに父はすでに他界しましたが、父が亡くなった後で、カンボジアから世界中にファイターを送り出しているボクシングジムでカンボジア式ボクシングのトレーニングを受け、もっと強くなりました。