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多和田葉子×プラープダー・ユン――Between Language and Culture(言葉と文化のはざまで)

Symposium / Asia Hundreds

文化、言葉、そして政治

ティティラット:多和田さんと日本の読者との関係はどうでしょう?遠く離れたドイツに拠点を置きながらも日本語で書かれていますし、多和田さんが現代の日本社会をうまく描写されていることに日本の読者は感銘を受けているとのレビューも目にしました。多和田さんが日本に住んでいないなんて信じられない、との声も聞かれます。

多和田:日本に住み続けていたら、日本のことを深く知ろうとは思わなかったかもしれませんね。でも遠く離れて暮らしているからこそ、いつも日本のことを考えています。憧れのような気持ちで。

シンポジウムの写真 4

プラープダー:そうだと思います。社会・政治情勢が動いている時はなおのこと。 それに外国にいるほうが、必要な情報をもっと簡単に入手できると思います。

多和田:ええ。福島原発事故の例をみても、ドイツの新聞はこの件を多く報じていました。日本やアメリカでは得られない情報もありましたね。

プラープダー:当時の日本では検閲があったのでしょうか?

多和田:直接ではないにせよ、それに近いことがありました。日本のリベラル系の新聞は、記事の内容に細心の注意を払っていました。彼らは批判的な姿勢を維持したくても、小さな過ちを犯すだけで保守勢力から激しく攻撃されることになります。それで最終的には、あまり多くのことを書けなくなってしまいました。

ティティラット:それについては激しい議論が起こったのですか?

多和田:いえ。検閲だけが理由ではありませんが、日本ではその話をすること自体、気の滅入ることでした。日本人はこういったことをあまり議論しません。反対にドイツの人々は、いつでも積極的に議論しますし、批判することをためらいません。

ティティラット:日本では、友人とも気軽に話せないことがたくさんあるからかもしれませんね。ドイツやヨーロッパでは、こうした問題についてもオープンに語り合います。日本の人たちが率直な意見を口にしないのは、先に述べられていた言語的特徴の影響が原因だと思いますか?

多和田:もっと文化的なものだと思います。ドイツでは、何かを批判的に議論することをとてもポジティブなことと考えます。しかし日本では、何かを批判する、例えばその対象が政府などであれば、敵意に満ちた危険人物とみなされてしまいます。だからこそ、日本語で誰かを批判することは快く思われません。タイではいかがですか?

プラープダー:日本とかなり似ていますね。タイの文化においても、センシティブな話題はいくつかあります。それでもタイを出てしまえば、そういった話題を気にせず話す人もいます。それは言葉の問題ではなく、安全だからだと思いますね。その状況から身体的に距離を置くことで、より安心して議論し、本心をさらけ出せるのではないでしょうか。

ティティラット:ある意味、デリケートで扱いにくい話題について話すなら、同じ問題を取り上げている文学作品や映画を通じて比較したり、表現したりするほうが簡単です。

プラープダー:ええ。そこでユニバーサルな役割を果たすのがアートだと思います。ハリウッド映画に社会や政治を批判するシーンがあっても、普通はそのまま上映されるはずです。しかしタイ映画に同じシーンがあれば、その部分はおそらくカットされるでしょう。つまり、外国製であることは、ある種の特権です。それは文学でも同じです。『献灯使』には権力国家と民主主義について語った部分があって、それは登場人物の意見として強い言葉で書かれています。仮にタイ語で同じことを書けば、その作家は意見が対立する人々に攻撃されるでしょう。しかし、私が多和田葉子の作品を翻訳したものだと言えば、誰も気にしなくなります。そういった意味で、私は多和田さんを盾にして自分を表現できるのです。政治と言えば、一人の作家として、政治について特定の見解を持つべきだと思いますか? ご自身の作品には、政治的な要素を含む責任があるとお考えでしょうか?

多和田:政治に興味はないのですが、ただ無視するわけにはいきません。私が小説を書く時、政治について考えることはほとんどありませんが、私も絶対に看過できない、人間としてすごく大事なこともあります。たまに新聞のエッセイを頼まれると、日本政府への批判ではないのですが、何をするにも別の方法があることを日本の読者に知ってもらいたくて、ドイツではこんなことが起こっていますという話をよく書きますね。

言葉と文化の間

多和田:ドイツ語で書く時、すべてをドイツ語で考えたり、一部をドイツ語、一部を日本語で考えたりすることがあります。つまり日本人の思考に基づいたドイツ語ですね。これは他の文化が混ざったドイツ語の変化型です。その一方で、ドイツ語で書くようになってから私の日本語も変わりました。完成した作品は日本人が日本語で書いたものであっても、他の言語を体得した人間というフィルターを通っているわけで、私が書く日本語はもう一つの言葉(ドイツ語)がブレンドされたものになっています。混合言語になるんです。

ティティラット:確かに言葉は混合できます。書く形式はまったく同じではないかもしれませんが、構造と単語の組み合わせ方には異なる言語を統合したことが反映されるものです。例えば、私は英語を習い始めた後、英語とタイ語では体系や構造がまったく違うからこそ、タイ語を違った形で理解するようになりました。

プラープダー:私も言語は混ざり合うものだと思います。純粋にたった一つの文化から生まれる言語があるとは思いません。言語は常に混ざり合い、他の文化や言語の影響を受け合っています。タイ語はバリ語、サンスクリット語が集約されたものという意見がありますし、英語のルーツはラテン語などです。日本語も同じで、中国語と関連性がありますよね。文化とは、異なる歴史的コンテクスト、文化的コンテクストの混合物なのです。言葉は時間をかけて進化します。そして使われ、別の言葉に翻訳されるにつれて、異なる文化に影響されていくものなのです。

シンポジウムの写真 5

【2019年3月30日 クイーン・シリキット・ナショナル・コンベンション・センター(バンコク)にて】


写真:ティーラパン・ゴージナン