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シンポジウム「三陸国際芸術祭の歩みと未来」/響きあうアジア2019 開催レポート

Symposium / 響きあうアジア2019

主催者挨拶

柄 博子(国際交流基金理事)
中村 一郎(三陸国際芸術推進委員会委員長、三陸鉄道株式会社社長)

中村一郎三陸国際芸術推進委員会委員長の写真

(以下は中村氏の挨拶概要)
昨年11月に三陸国際芸術推進委員会が発足した。今年3月には宮古~釜石間、JRの方から三陸鉄道に移管を受け、これまで2つに分かれていた三陸鉄道が晴れて一本につながった。三陸の地域をしっかり鉄道を媒介にしながらつなげていきたいという思いと、三陸地域だけではなく、日本国内、さらには海外の皆様もまた、三陸の地域としっかりつなげるような役割を果たしていきたいという思いを持っている。
今年は3月以降、多くの皆様に三陸の方にお越しいただき、また三陸鉄道にも乗車いただいている。秋にはラグビーワールドカップも釜石の鵜住居地区で開催予定。こういった流れをしっかりとこれからにつなげていきたい。そういった意味で三陸国際芸術祭も、これからの三陸の復興を考える意味でも、非常に大きな役割があるのではないかと思っている。ぜひとも皆様のまたお力をいただきながら、三陸国際芸術祭を今後ともしっかりと三陸の復興につないでいけるように頑張ってまいりますので、ご支援ご協力をいただければと思う。

基調講演「三陸・国際・芸術祭の未来」

戸田 公明(大船渡市長)

基調講演「三陸・国際・芸術祭の未来」の写真

三陸国際芸術祭の発祥のまちとしてこのようなシンポジウムが開催されることを嬉しく思う。
三陸地域は、山と海に囲まれ、豊かな自然環境が育まれている。多彩な芸能や風習が伝承されており、食文化や方言も土地によってそれぞれ異なる。三陸では、縄文時代の昔から、人々は海の恵みを受けて生活を営んできた。この海の恵みはやがては全国へ、そして世界へと流通していった。三陸ならではの資源を求め、古来より多くの人が行き交う地域でもあった。三陸には古いものを大切に守り伝えるとともに、新しいものを積極的に受け入れる気風が受け継がれているように思う。
大船渡市は三陸海岸の中ほどに位置し、人口はおよそ3万6,000人で、水産業の大変盛んなまち。民俗芸能としては、剣舞、鹿踊り、虎舞、獅子舞、田植踊、七福神、権現様、法印神楽などが伝わっている。風俗慣習として、昨年11月にユネスコ無形文化遺産に登録された、吉浜のスネカなどがある。
三陸国際芸術祭は2014年にはじまった。東日本大震災からちょうど3年後であり、大船渡市においても復興事業がピークを迎えたころであった。発端となったのは2013年にNPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワークが企画した、「習いに行くぜ!東北へ!!」であった。この企画は国内外のアーティストや一般の参加者を募り、三陸の民俗芸能を習いに行くというもので、各分野のアーティストが次々と被災地を訪問する中で、今必要なのは被災者自身が主役となる取り組みなのではないか、という佐東代表の思いがあった。その時にめばえた、民俗芸能を通じた国際交流の取り組みを、さらに推し進めたのが三陸国際芸術祭であった。地元の民俗芸能団体や一般市民と、海外の民俗芸能、各分野で活躍するアーティストたちが講演やワークショップを通じて交流をする一大イベント。全国の方々からすると、津波に襲われた被災地の悲惨な映像がまだまだ記憶に新しかったころだったと思う。そのような中で三陸の豊かな伝統文化、復興に取り組む市民の情熱を、観客やアーティストの方々に感じ取っていただけたことは幸せなことだった。 また、三陸国際芸術祭と連動しておこなわれているイベントとして、三陸港まつりがある。三陸町越喜来地区で伝統的に行われてきた祭りであり、一度も絶やすことなく続けられてきた。現在も三陸国際芸術祭では重要な役割を果たしている。
三陸国際芸術祭においては、これまでに韓国、香港、インドネシア、マレーシア、カンボジアなどから素晴らしいアーティストが招かれた。また第一線で活躍されているダンサーやミュージシャン、演出家、美術家などの方々も大船渡を訪れた。2015年にはかつて芸能が迫害をうけたカンボジアの団体や、2004年のスマトラ島沖地震で甚大な被害を受けたインドネシア・アチェの団体も招かれた。芸能活動を支援するとともに、津波災害の記憶を通じた、普及啓発活動に取り組んでいるアチェの団体も参加し、防災についての貴重な情報もかわされた。
また、2016年には民家や商店の前で芸能を披露する「にわかり」にならい、街中でアーティストと市民が交流した。三陸国際芸術祭は開催地である大船渡にとって刺激的な経験であった。遠い日本の地で誇りを持って郷土の伝統文化を体現する外国のアーティストの姿は、市民に大きな感動を呼び起こした。また彼らは郷土の民俗芸能が、実は世界中の人々を感動させるような魅力をもちうるものではないかという可能性に気づかせてもくれた。三陸国際芸術祭は郷土への誇りを呼び覚まし、生まれ変わったまちに命を吹き込むイベントでもあった。地域の人々が守りついだ民族芸能が復興した市街地を舞台に再び脚光を浴びたのである。
2017年には大船渡地区の中核を担う商業施設としてオープンしたキャッセン大船渡、2018年には完成した大船渡市防災観光交流センター(おおふなぽーと)、それぞれ三陸国際芸術祭の会場として活用され、郷土の民俗芸能が華々しく披露された。また、これらのステージは海外から招かれた芸能の舞台ともなった。三陸国際芸術祭は大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、住田町などの三陸南部を中心となった初回と比べ、より広域で行われるようになり2017年には八戸市が、2019年には宮古市が主要な会場として加わった。2018年には三陸国際芸術推進委員会が設立され、官民連携して取り組んでいく骨組みが完成した。三陸国際芸術祭は名実ともに三陸の一大イベントとして成長してきたのである。
東日本大震災では市内17件の民俗芸能で道具類や練習場所などの被害があり、その担い手の中にも津波の犠牲となった方々がいた。そのような中、大船渡の民俗芸能は全国から温かい支援を受けつつ、震災の直後から再開を目指して取り組んできた。この場を借り、市民を代表し、深く感謝申し上げる。
民俗芸能は演じ手だけでなく、指導役や調整役などの裏方も含め、様々な世代の方々が様々な形で関わり、地域ぐるみで伝承されてきている。長い歴史の中で民俗芸能は世代間の交流を育み、郷土への愛着を培ってきた。震災後については、芸能を通じた強固な絆が苦境を乗り越える原動力の一つとなった。三陸の人々にとって民俗芸能は何よりも身近で、かけがえのない文化遺産なのである。
一方、他地域の方々の目に、三陸地域の文化遺産はどのように映ってきただろうか。2012年ロンドンで開催されたテムズフェスティバルでは、岩手県、宮城県に所在する複数の団体からなる、奥州金津流獅子躍が招かれた。近年、三陸の文化遺産は国内外で高い評価を受けている。被災地として注目を浴びることの多かった三陸が、今度は文化の面で脚光をあびる時代が到来しつつある。
三陸の文化が持つ魅力と豊かさとは何か。それはそれぞれの地域に活力のあるコミュニティが営まれていること、歴史と伝統が大切に受け継がれていること、そしてこの2つの間には生きている関係が感じ取れることではないかと思う。
伝統文化をオープンにしていくことで、何が起こるか。世界の人々が文化の多様なあり方、人類の創造性の素晴らしさを感じ取り、お互いに尊敬の念を抱くような未来をもたらしてくれるかもしれない。この一例ともいえる取り組みが三陸国際芸術祭でもある。その土台には民俗芸能とともに、私たちが受け継いでいる古いものを大切に守り伝えるとともに、新しいものを積極的に受け入れる気風がある。三陸と国際という当初は目新しく感じられた組み合わせも、実は必然的な出会いであったことが、この芸術祭の成功によって力強く証明されているように思う。これからも豊かな伝統と創造性が互いに出会い、新たな文化を創出する場として、三陸の地が一層大きな役割を果たしていくことを心より期待している。