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メイスク・タウリシア&高崎 郁子――日本とインドネシアの映画交流[上映篇]

Interview / 第29回東京国際映画祭

インディペンデント映画の配給プラットフォーム「コレクティフ」

村田:今回の上映作品の許諾を得るにあたって大活躍したコレクティフ[Kolektif]について教えていただけますか。

メイスク:コレクティフは、私が2013年に始めたインドネシアのインディペンデント映画の配給プラットフォームです。私は長年、プロデューサーとして映画を作り、個人としてもいろいろ上映活動をしてきました。私がプロデュースしたエドウィン*5 の『動物園からのポストカード』(2012)公開時にインドネシア国内10都市で自主上映をしようとしたとき、問題にぶつかりました。各都市の上映コミュニティには、機材面でも知識面でも、上映会の運営に十分なノウハウが備わっていなかったのです。私たちの映画はインディペンデントなのでシネコンを使わず、それぞれの上映コミュニティにイベントを任せたいのですが、各都市できちんと上映できない状況に自分の映画で直面したわけなんですね。
そこで、コレクティフという考え方を持ちました。映画制作者の多くはジャカルタやジョグジャカルタを拠点にしていますが、地方都市で上映する人たちには、彼らとのネットワークがありません。通常、友人の友人の友人というような関係のつながりで上映したい作品に到達するわけです。そこで、映画業界にいる私が間に入ることによって、上映者と映画制作者を直結させることができたらと思ったんです。

*5 1978年インドネシア・スラバヤ生まれの映画監督。主な短編作品は『ゆっくりな朝食』(2003)、『木の娘・カラ』(2005)、『傷にまつわる話』(2007)、『舟の上、だれかの妻、だれかの夫』(2013)。長編作品は『空を飛びたい盲目のブタ』(2008)、インドネシア映画で初めてベルリン国際映画祭コンペ部門にノミネートされた『動物園からのポストカード』(2012)。

映画のスチル画像
動物園からのポストカード/Postcards From the Zoo(2012年/インドネシア)

メイスク:コレクティフは、インディペンデントの映画人との間を取り持ち、権利を交渉することができます。そんなわけで、未来に向けて映画を上映する制度を設立し作り上げていくために、そして各コミュニティが自立していくために、何か仕組みが必要ではないかと思うようになりました。最初の2013年は自分のプロデュース作品だけでしたが、2014年には友人たちの作品も扱うようになり、現在に至る配給網が機能しています。

インドネシアでは、インディペンデント映画はノンコマーシャル映画だと言われます。非商業、つまり無料上映なんだという誤解があるのです。私はこの考え方に同意しかねます。
私が最初にプロデュースした『空を飛びたい盲目のブタ』(2008)も、そういうものだと言われあちこちで無料上映しましたが、『動物園からのポストカード』から、無料上映していたら自分たちは生き残ることができないのではという危機感を持ち始めました。
そこで、「映画は有料である」という考え方を、コレクティフという配給組織の中でひとつのミッションとして立ち上げました。上映で得た収益は、上映コミュニティの上映者、映画制作者、配給プラットフォームのコレクティフが共同でシェアする、そういう仕組みを作らなければと考えるようになったんです。初めは抵抗に遭いましたが、今では周囲も慣れてくれて、コミュニティの小規模な上映であってもだんだんチケットを売ることが前提になってきました。これは、私たちコレクティフのゴールのひとつと思ってきたことなので、とても嬉しいことです。
上映会を実施するには、経費なしに企画はできません。例えばアテネ・フランセ文化センターよりもずっと小さい会場で定員が15人から20人だったとしても、それは単に人数の問題ではなく、ひとつの考え方の問題ではないかと思います。維持可能な上映制度を構想するのであれば、金銭の流れを考えないわけにはいかないと思うんです。

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キノサウルス看板写真
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キノサウルスのラボ・ラバラバの一角

キノサウルス:ジャカルタのミニシアターならぬ「マイクロシアター」

村田:キノサウルスについてもお話いただけますか。

メイスク:私とエドウィンは、長年一緒に仕事をしてきましたが、昔から自分たちの上映スペースがあったらいいねという話をしていました。キノサウルスは2015年12月にジャカルタでオープンしたのですが、きっかけはエドウィンがスペースを見つけてきてくれたことでした。その頃、ラボ・ラバラバ(Lab Laba Laba)*6 が活動拠点としていたPFNの施設が閉鎖され、新たな場所を探していたんです。新しいスペースはラボ・ラバラバだけでは費用が賄えないので、収益を上げて家賃を払い続けるための構想、つまりマネジメントの発想が必要となり、複合的な空間を作ることにしました。キノサウルスはアートスペースになっていて、ワークショップを行う活動スペース、カフェ、上映スペースがあり、そしてラボ・ラバラバがあります。空間をいかにデザインして維持可能な経営ができるかというチャレンジに対して、自分たちのスペースを自力でマネジメントし、お金を回していく発想から生まれたのがキノサウルスなんです。

*6 アーカイブのフィルム・フッテージの調査や、フィルム現像を用いたアート作品の製作などを行うグループ。Labはラボ(現像所)、Laba Labaはクモの意。メンバーは、エドウィンやメイスク、リスキー・ラズアルディなど。山形国際ドキュメンタリー映画祭2015では、西村写真館を会場にLab Laba Labaのインスタレーションを展示した。

村田:キノサウルスの客層を教えて下さい。

メイスク:作品によって様々ですが、若い方が多いです。高校生よりも大学生、それから仕事を始めたばかりの24・25歳ぐらいが中心です。海外での居住経験がある方々もいらっしゃいます。外国に普通にあるようなアート系の娯楽がインドネシアには今までなかったので、そういうものを求める方々です。あとは、インドネシア映画を観たい外国人が来てくれています。全般的に、インディペンデント映画を好む客層ですね。

インタビューに答えるメイスクさんの写真

コレクティフとキノサウルスの関係性

村田:コレクティフとキノサウルスでは、どのように運営を分けているのでしょうか。組織としては分かれていますよね。

メイスク:キノサウルスとコレクティフは基本的には別ものです。キノサウルスの上映プログラムはキノサウルスが担当していて、コレクティフはそれを支える側に回っています。上映作品の権利をコレクティフがクリアするというような形で、キノサウルスを後方支援しているんですね。
キノサウルスは上映スペースなので、コレクティフのように「インディペンデントのインドネシア映画」というコンセプトで貫くわけにはいかず、もっとバラエティが必要になります。毎月私とエドウィンが顔を合わせて、思いつく限りの切り口―監督、映画祭、ドキュメンタリーといったあらゆるテーマ―で、多様な映画をどのように上映していくか、ブレインストーミングしています。上映に関しては潤沢な予算があるわけではないので、上映料が免除される作品も候補に入れて、資金とアイデアを組み合わせながら考えています。また、各国の大使館や文化センターがジャカルタにあるので、そういう機関や団体がどういう作品を持っているか情報を集め、それをもとにプログラムを組み立てるようにしています。

インタビューに答えるメイスクさんと高崎さんの写真

それに加えて、私たち映画人は海外に赴く機会が多いのでいろんな人脈もできます。外国の映画人から映画を借りる、あるいはフィリップ・チア*7 のような映画プログラマーがもつアジア映画振興機構(Network for the Promotion of Asia Pacific Cinema[NETPAC])※英語サイトのネットワークを借り、知恵をもらってプログラムに生かすこともあります。

*7 映画評論家、プログラマー。ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭(JAFF)、ユーラシア国際映画祭、上海国際映画祭のプログラム編成コンサルタントやハノイ国際映画祭アドバイザーを務める。