ASIA center | JAPAN FOUNDATION

国際交流基金アジアセンターは国の枠を超えて、
心と心がふれあう文化交流事業を行い、アジアの豊かな未来を創造します。

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国際フォーラム「Innovative City Forum 2018 アジアセンターセッション」開催レポート

Symposium / Innovative City Forum 2018 国際交流基金アジアセンターセッション

【食べる/Eat】トークセッション「古来の食から最先端の味覚までを探検」

ドゥアンチャイ・ロータナワニット(Duangjai Lorthanavanich)/タイ・タマサート大学ビジネススクール副学部長)
小倉ヒラク(Hiraku Ogura)/発酵デザイナー

発酵食品の種類のスライドの写真を説明する小倉氏の写真
Photo@Tatsuyuki Tayama

小倉ヒラク
目に見えない微生物の働きを可視化する

僕は、発酵デザイナーという肩書をもち、デザイナーのスキルを使って、目に見えない微生物の働きを可視化することをデザインの力で伝えています。とくに和食のシンボルは麹だと思っていて、僕はずっと麹の研究をしています。いろいろ調べていくと「麹はいろんな和食のスターターとなっている!」ことが分かるからです。

小倉ヒラク氏のスライド資料、発酵のボーダーラインの図
図1

世界の発酵はどこがボーダーライン?

実は、世界を発酵という点から見渡すと、西と東で文脈が違っていて、そのボーダーラインがどこにあるかというと、インドの西あたりです(図1)。インドのベンガル州・コルカタあたりからバングラデシュあたりでラインが引かれます。西側では「ヨーグルト・ナン・ワイン・ビール」などのヨーロッパ的な発酵食品になりますが、東側では「味噌・テンペ・紹興酒などのライスワイン」の東側となります。何が違うかといえば、「カビ」です。麹カビのように発酵するカビです。かれらがスターターとなることで、全然違う文化になります。

発酵文化のスターター

和食のスターターである麹は、お米に花が咲くと書きます。スライド(図2)のように、お米には花の胞子がブワァーッとつくんです。
和食でいうところの「お酒・お味噌・鰹節」など、同じ麹でもいろんなタイプがいます。麹から発酵文化とは何かを話すと、アニメにもあったように大豆・米・麦はいろいろと分解され、別の菌がバトンリレーをすることで、シンプルなものから複雑なものが出来ます。
僕は、「和食」とは日本が決して豊かなのではなく、日本の土地柄では食べられる物が限られていたリミット(制限)のある土地だからこそ、発酵文化が発展したのではないかと考えています。
昔は宗教的な問題で肉が食べられず、島国なので海を隔てた周囲からも食料調達が難しかったので、米や豆を発酵させることで食生活が多様に発達したと思っています。スライドにある、お味噌・お味噌汁・お米・豆腐・納豆・醤油などは、「大豆と米と麦」ばかりの発酵で作られたものだけで、毎日でも食べられるんですよ!
すべて制限の中からクリエイティビティが生まれたのだと思います。

小倉ヒラク氏のスライド資料、麹の花の写真
図2
小倉ヒラク氏のスライド資料、稲妻の書かれた徳利と畑の中の墓地の写真
図3

発酵と信仰

発酵文化は、僕たちの信仰にも影響を及ぼしています。それが表れている象徴として、稲妻の絵がある徳利(酒器)(図3)の存在はユニークです。雷が田んぼに落ちると、空気の中の窒素が土中に移動します。実は窒素は、植物にとって大事な栄養なので、稲妻がくると植物がよく育つと言われ、いいお米ができ、いいお酒ができるのを昔の人は知っていたんですね。農家は避雷針の代わりとして、お墓を田畑の中につくっていたところもあります。

小倉ヒラク氏のスライド資料、古代中国の漢字の図
図4
小倉ヒラク氏のスライド資料、歌いながら菌と米をかき混ぜる蔵人の写真
図5

文字にも発酵がかかわっていた!?

この画像(図4)は、酉という字で、古代中国の文字です。一番古い発酵をあらわす漢字です。この形をたどっていくと、甕を土中に埋めるのですが、東アジアのスピリチュアリティの中では「蘇り」を指します。この甕の中に、穀物を入れてお酒にすると美味しくなります。また、人を入れてお葬式をすると、翌年に故人が鳥になって帰ってくると言われ、帰ってくる魂が鳥として蘇ります。この文字は、酉であり、帰ってくる魂でもあります。そこに発酵も関わっています。

微生物の為に歌う唄。菌と対話するセンスを僕たちは持っていた

この動画(図5)では、微生物たちの為に唄を歌っています。そうして野生の菌を呼び込んでいます。昔は時計がなかったので、こうやって歌いながら時間を計っていて、菌とお米の様子を見ています。今日は菌が元気がないから7番まで歌おうかとか、今日は元気だから2番だけでいいやとか調節しています。だから、菌と対話するセンスって、日本人の僕たちは古くから持っていたんですね。

発酵文化のルーツは、日本各地にある

発酵文化は日本各地にあるのですが、みんな知らないんです。そのルーツをもう一度見直してみよう!と食べたり飲んだりして見直してみると、その地元の人達に、すごく元気が湧いてくるようです。これは近代化で失われたローカリティ(地元性)の再発見でもあるし、微生物を起点にしたイノベーションじゃないかと僕は思っています。日本の発酵文化は、めちゃくちゃ元気です! すごく格好いい人たちがいっぱいいて、発酵ってすごく面白い! 伝統は死んでいなくて、盛り上がっています。それが日本の発酵文化の面白いところだと思っています。

トークセッション中の小倉氏の写真2
対談中のドゥアンチャイ氏と小倉氏の写真

Photo@Tatsuyuki Tayama

「食べる」セッションの対談では、ドゥアンチャイ氏より、タイのコミュニティビジネスでの取り組みとして、伝統食や調味料など、そのブランドの良さを抽出し、今の時代にも受け入れられるように伝えていくことが、コミュニティを育てていくことにも繋がるとの紹介がありました。小倉氏からは、日本でも若手の料理研究家が、小さなコミュニティだけで流通していた伝統食などをアーカイヴし、新しいレシピを開発し若い人向けの食にも取り入れているとの話しがありました。伝統食である「発酵食」を、最先端のカルチャーとして発信し活性化している事例が多く、発酵文化の最前線を語っていただきました。今後も、クリエイティヴな手法でビジネスよりコミュニティを育ていきたいと今後の抱負も寄せられた対談でした。

【眠る/Sleep】トークセッション「古今東西、眠りの不思議を掘り起こす」

重田眞義(Masayoshi Shigeta)/京都大学アフリカ地域研究資料センター長
ポポ・ダネス(Popo Danes)/インドネシア・建築家

スライドを背にトークセッションを始める重田氏とポポ・ダネス氏の写真 スライドには「眠いですか?」とかかれている。
Photo@Tatsuyuki Tayama

重田眞義
ところ違えば、異なる眠り

私は、アフリカのエチオピアで30年あまり地域研究をやってきました。地域研究ではまず現地に行って、その地の暮らしを学びます。暮らしていると、様々なカルチャーショックがあるのですが、なかでも眠りに関する多くのカルチャーショックがありました。

エチオピアの村に滞在していた際に、私がコーヒーの木の下で眠そうにしていると、子どもたちがどこからか観察していて「重田ギンギンだ!」と小声で言いクスクス笑う声が聞こえるんですね。「ギンギン」とは、現地の言葉(アリ語)で、「うつらうつらする」という意味ですが、「私はあわてて、居眠りなんかしてないぞ!」という振りをする訳ですね。まあ、教授会なんかでは慣れている技ですが……。

エチオピアの社会通念では、大人が昼間にうつらうつらするなんて、ありえないこととされています。エチオピアのアリの村の子どもたちを日本の満員電車に乗せたら、かなりカルチャーショックを受けると思います。大勢の大人がそろって「ギンギン」している訳ですからね、居眠りに関してだけみても、そういう社会的な違いがありますね。

「ボーッと生きてんじゃねえよ!」の英訳テロップ

「イマこそ、全ての日本国民に問いたい!」のナレーションから始まる『チコちゃんに叱られる!』*1 という番組がありますが、「なぜ人間は眠らないといけないのか?」という問いに、あの番組的に答えるとしたら「大脳を休めるため」となりますね。単純に言うと医学・生物学的には人は「寝ないと死んじゃう」からです。劇作家であるシェクスピアが「生きるべきか、死ぬべきか」と言ってますが、あれ本当は「眠るべきか、眠らざるべきか」と言い換えた方がいいくらいなのです。それぐらい眠るということは生存の為に大切なのですね。チコちゃんの番組で、「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と叱られますが、英訳では「Don't sleep through your life! 」となっています。これほど日本人は眠っちゃいかんと思っているのか?という象徴的な訳語ですね。あの番組をみる方の中には、奥さん以外にも叱られたい世のお父さん方も多いのではないでしょうか。(会場・笑)

*1 NHK総合テレビで放送されているクイズバラエティ番組。(2018年12月現在)

アフリカで居眠りをした私が笑われたというのは、公共の場で眠りが許されるか・許されないか、という社会的な許容度の問題だと思います。お父さんサラリーマンが電車の中で立ちながら眠っているこの(スクリーンに映し出された)写真に象徴されていますが、眠ることは起きて働くことに従属しています。私たちの社会生活での価値観は、残念ながら起きている方にだけ重きを置かれているようです。私たちは、そろそろ、このような睡眠観を変えていかないとなりませんね。寸暇を惜しんで働き、無理やり眠りを切り詰めたり、短時間の深い眠りや効率の良い眠りを追い求め、寸暇を惜しんで「なんかいい話が聞けるかもしれない」と、このような場へ来てみたりする訳ですね。(会場・笑)

睡眠を文化としてとらえ、睡眠と覚醒が重なりあう領域を大切にしよう

私たちはそろそろ「Sleep or wake-up?/眠るべきか、起きるべきか?」という二項対立の睡眠観から脱出していくべきかもしれません。もちろん私たちは、覚醒している間にしかできないことがあるので、そっちのほうに重きをおく訳ですが、このような昼間に起きていることが中心の覚醒中心主義に対し、眠りの時間に重心を移した睡眠中心主義みたいな考え方を提唱できればと思います。皆さんも、一度、考え直してみられてはどうでしょう? つまり、覚醒中心主義からの脱出です! 睡眠と覚醒の双方が重なりあっている領域をも大切にしよう。眠っても覚めても睡眠文化ということですね。

まとめます。覚醒文化だけを尊重するのではなく、睡眠を文化としてとらえ、睡眠と覚醒が重なりあう領域を大切にしようという考え方をすすめることが、究極的にはよい眠りを考えることになると思います。科学と文化の二項対立ではなく、それぞれ相互の関係性が問題です。一言でいうと、眠りの多様性がですね。眠ることを様々な角度からとらえて、眠りのくびきから解き放ち、自由で豊かな幸せの眠りを創造していきましょう。「To our rich and creative sleep/豊かな眠りの創造へ」むけて「新しい眠りに目を覚ませ!」というと、「やっぱり寝てたんかぁ?」とつっこまれそうですが、これが今日の私からのメッセージでした。

トークセッション中の重田氏の写真
対談中の重田氏とポポ・ダネス氏

Photo@Tatsuyuki Tayama

「眠る」セッションの対談では、「設計をされるとき、眠ることについて何を一番に重きをおきますか?」との問いが重田氏よりポポ氏に投げ掛けられ、ポポ氏からは「インドネシアのバリ島では自然とのつながりが大切で、風を取り込む大きなバルコニー、樹、自然な匂い、鳥の声、それら自然の環境をデザインしています」と返答がありました。また重田氏より、眠りに関して国際的なアンケートをとったところ、「国でも違うと思いますが、文化の相違が眠りにもあります。ひとりで食べるのを孤食といいますが、眠りも同じです。これまでと異なり、人々との交流、人と人の近さは、睡眠におけるライフスタイルにも変化の兆しがあります。アジアの国々には人々の関係に重きが置かれており、それはアフリカも似ています。反対に、日本では夫婦同室なのにベッドは別々な方が増えています」との話しが紹介されました。ポポ氏からは、バリ島のリゾートホテルでは、既にキングサイズのベッドが用意されているにも関わらず、多くの日本人宿泊客から、「もうひとつベッドが欲しい」と言われて驚くとのエピソードが披露されました。眠りに関する古今東西の文化や変化などが紹介され、会場は度々、笑いに包まれました。

【住まう/LIVE】トークセッション「人とのつながりを育む 居場所の未来」

チャットポン・チューンルディモン(Chatpong Chuenrudeemol)/建築家
土谷貞雄(Sadao Tsuchiya)/暮らし研究家

スライドを説明するトークセッション中の土谷氏の写真 スライドはいろいろな統計のグラフ
Photo@Tatsuyuki Tayama

土谷貞雄
無印良品の家から始まる、人々の暮らしを作る器を売る

アジアに行き続けて10年近くになります。2004年から無印良品というところで家を作ることになりました。なんとかいい品質の家を作ろうとして画策していましたが、実は販売の当初、なかなか売れませんでした。そこで、無印良品の中に「ライフスタイル・ラボ」や「みんなで考える住まいのかたち」「くらしの良品研究所」をつくりました。そこから、人々がどうやって暮らしているのか、「家」ってことより、「家を売る」ことを考えて、人々の暮らしを作る器を売るのだという考えに行き着き、その中のコンテンツは何だろう、人々はどうやって暮らしているのだろう?と深く考えるようになりました。そこで、アンケートをとり、リサーチを集め、朝起きてから眠るまでの1日の行動を調べました。

暮らしの平均値を探るのではなく極みを探る

暮らしの中で沢山の調査をしていると、他にもわかってきます。特に面白いのは、両極のキワにあるものです。調査では、靴を1人で200足持つ人もいれば、4人家族で数足しか持たない人もいます。平均していくと1人大体12足とかの数値は出るわけです。でも、平均値をとっても面白くないんですよ。究極のキワにこそ面白さが潜んでいます。この手法を使って調べていくと、暮らしの平均値ではなく、キワやマージナルというべき、極端な境に何かあるぞ!と考え、2年前から暮らしの研究家として、真ん中の平均値を探るのではなく、「キワを探る」取り組みを始めました。

未来にどう暮らす?

住宅は社会環境の反映や技術の繁栄があるわけです。様々なものが交差点になっていきます。もうひとつのライフワークとして、2010年から「HOUSE VISION/ハウスビジョン」を始めました。1つの企業と建築家とを組み合わせ、10年後のVisionをみせることをアジア7ヶ国でやっています。中国はもの凄いスピードで発展するなかで、ベースには「幸せとは何か?」があるけれど、暮らしというのはプロトタイプにならないんですね。あるデータで、2050年の暮らしは今とどう違うかを比較すると、日本ではほぼ全ての世帯が1人か2人暮らしになっていきます。ここから導きだされることとして、未来を想定した時には、「家族」というのを考えざるを得ません。日本は2011年の震災で、1人になっても個々人でも繋がっていくということを経験しました。このまま進むと、未来には1人で暮らす人が世界中にいて、それぞれがどうやって繋がっていくか、「家」という単位を超えて重要なテーマです。

「家」が家族を中心にする器だけじゃなくなる?

アジアは急成長しています。人が千人いたら、千人分の暮らしがあり、国や世代などでもまた変わります。理想的である暮らしは何か? みんなが違う。違いをどう理解していくか。皆が同じ方向になっていかないことがわかったこの10年です。急成長する東南アジアとかつての日本があり、経済成長の後ろには、日本と同じような社会的な課題がやってくることが予想されます。経済発展の中で失われてきたハピネス。つまり、経済優先の為に環境を破壊し失ってきたものや旧来のコミュニティなど、なくしてきたものを目の当たりにします。でも、その人たちに向けて環境を大切にしよう、エネルギー、食料の問題を考えようと言っても、今まさに経済を豊かにしようと動いている人達にとっては、そこに耳を傾けるのは厳しいです。

ちょっとここで、日本の状況を振り返ります。2009年に日本の人口はピークとなりました。今後は老齢化が進み、ほとんどが1人暮らしになります。2050年の日本は65歳以上の人が40%になり、世帯平均は1.1人。人口は8千万人です。家族を包む器が「家」だったとするならば、未来を想定したときに「家」が家族を中心にするものではなく、家族と暮らす場所ではなくなることが予想されます。

これまでの地縁・血縁社会から核家族化社会へ、核家族化社会から個人化への変化がどうなるか、僕としては一方方向にしか進まないのではなく、いろんな要素がスパイラル状になって入り組んでいくのではないかと考えています。同じことが、テクノロジーでもいえると思います。もっと便利な世の中になっていくのか。それよりも、ハイテクなことをしてスローなことをしていくのではないか。時代はスパイラル状に進化していくのではないか。自分たちがいったん捨ててしま った合理性をもう一回取り戻していくような気がしてなりません。しかも、それはかつてと同じではなく、ある意味、ハイテクを経験した後に、テクノロジーを使ってそこに辿り着くのかもしれません。日本では経済優先で発展してきた反省も含め「環境」「経済」「社会」をどう一致させるかが課題となっています。アジア各地では、まだ意識には至っていない部分もあるでしょう。しかし、そこを見据えて寄り添いながら、一緒に考え続けることの中に幸せをつかむヒントがあるように思います。

アジアで発見して未来へ繋げていく

幸せな未来は、自分の目の前に「こうだ!」とある訳ではなくて、幸せ像を考え続けていくと、特別なことではなく、日常的で小さなことを丁寧に見つめなおしていくことで見えてくるように思います。ラグジュアリー(贅沢)な豊かさを求めているのではなくて、毎日の暮らしの中で、どんな幸せを盛り込んでいけるか、そういう気づきをもらいに僕はアジアに行き続けています。アジアに行くとそこに未来像があるということではなく、アジアでそのヒントを発見して、そこから我々の未来を考え直していくことができるんじゃないかと思っています。「幸せとは何か?」という答えにはなっていませんが、「幸せとは何かを考えること」が何かをお話しました。ありがとうございました。

対談中の土谷氏とチャットポン氏の写真1
対談中の土谷氏とチャットポン氏の写真2

Photo@Tatsuyuki Tayama

「住まう」対談セッションでは、チャットポン氏から「アメリカで西洋の建築を学びタイに戻ってきてみると、メディアでは百年前の寺院とか遺跡とか木造寺院建築ばかりが並び、現在のタイを伝える情報がありませんでした。皆、世界のトレンドは何かと海外ばかりを見ていました。だからこそ自分が興味深いと思う、現在のタイ建築をみましょう!との提案も込めて、タイの今を紹介する『バンコク・バスターズ(バンコク・ならず者)ツアー』というサイトをつくりました」と、登壇で披露したプロジェクトの背景にある動機を話してくださいました。

土谷氏からは、「アジアのいろんな国に行って、大きなヒントをもらっています。成長しているから、社会の課題が沢山みつかります。
ICFの前半2 日間は『ハイテク』を中心としたトークですが、アジアから考える3 日目のこのセッションは『暮らし像』を、どう分析していくかにポイントがあります。10 年前だったらハイテクの方が大切でしたが、今はこの暮らし方自体を理解することが本当に重要になってきたと思います。この先、10 年を考えたとき、この『暮らし像』については、これから考えなければいけないことが沢山あります。ぜひ、若い建築家には新しい『暮らし像』を作っていってもらいたいですね」と総括がありました。