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Visual Documentary Project 2019 上映・トークイベント開催レポート

Report / Visual Documentary Project 2019

女性カップルの目を通してタイ南部の実情を語る『叫ぶヤギ』

監督:タンサカ・パンシッティウォラクン、出演:アンティチャー・セーンチャイ(タイ)

ドキュメンタリー作品『叫ぶヤギ』 一場面の画像
『叫ぶヤギ』2018 (C)sleep of reason films
トークセッションで語る監督と出演者の写真
右:アンティチャー・セーンチャイ氏
左:タンサカ・パンシッティウォラクン氏

次に、『叫ぶヤギ』の監督のタンサカ・パンシッティウォラクン氏と、本作品出演者のアンティチャー・セーンチャイ氏が登壇した。監督は「私は南タイのパダンベザール出身なのですが、今回の撮影現場からは車で30分くらいの場所にも関わらず行ったことがなかったんです。以前は政治に全く興味がなかったのですが、東南アジアの研究者ベネディクト・アンダーソン先生に出会って初めて意識しました。以前先生に『なぜ君は南タイをテーマにした作品を撮らないんだ』と言われたのですが、先生が亡くなったという知らせを聞いて初めて訪れました。」と映画作りのきっかけを語った。また、セーンチャイ氏は「内容について話をするのは難しいのですが、見るたびに心が震えます。実際に起こったことなのですが、タイでは真実を語ることができません。今回皆さんにご覧いただいていろんな国の方にタイの問題を理解してもらったことが嬉しいです。」と語った。

山本博之准教授による解説

ベネディクト・アンダーソンは東南アジアの政治と文化に関する著名な研究者で、研究の幅は非常に広いのですが、私なりにぎゅっとまとめると、人々の自己解放と自立をどう達成するかを考え続けた人です。それぞれの人が自分の持ち場で自己解放のために努力すれば、皆争うことなく連帯して自立と自己解放が成し遂げられるはずです。ところが、国の中心に一つの大きな権力があって、人びとが力を得るために中心に向かおうと競争すると争いが生じます。かなり大雑把なまとめですが、これがアンダーソンの学説の肝の部分です。それに照らしてこの作品を観ると、中心にバンコクがあって、それ以外の地方にもタイ人が多い地域と国境に近くて外国人や違う宗教の人が多い地域があって、同心円上に力関係があるという世界になっています。中心により近い人は、同心円の自分たちより外側で問題があると感じると、その問題の原因を力ずくで排除してもよいと考えます。排除してしまえば社会はよりよくなるという考え方は、同心円の中心に向かおうとする考え方と裏表の関係にあります。これに対して、同心円の中心から逃げて別のところに行こうとしたのがこの作品の主人公の二人です。ただし、別のところに行くことで力関係から解放されたのかというと、そうでもないようです。タイ南部もひとつの社会で、そこでもイスラム教の男性が中心になり力関係で同心円の場を作っているからです。ではどうすればいいのか。アンダーソンの議論は、人はそれぞれ自分の持ち場で努力すれば、皆争うことなく連帯して自立と自己解放が成し遂げられるというものでした。二人の最後の会話にみられるように、他の人がどう思おうと、私たちはここでやれることをやっていく、というのが二人の答えなのだろうと思いました。

フィリピン・ダバオ市の夜市で起こった爆弾事件の生存者を取材した『あの夜』

監督:ジェレミー・ルーク・ボラタグ、ラインプロデューサー:アルン・シン(フィリピン)

ドキュメンタリー作品『あの夜』 一場面の画像
『あの夜』Katong Gabii (C)2018
トークセッションで語る監督とラインプロデューサーの写真
右:アルン・シン氏
左:ジェレミー・ルーク・ボラタグ氏

2016年にフィリピンのダバオ市の夜市で起こった爆弾事件の二人の生存者の、その後の生活を取材した作品『あの夜』が上映され、監督のジェレミー・ルーク・ボラタグ氏と、ラインプロデューサーのアルン・シン氏が登壇。ボラタグ監督は二人のその後として、「ドライバーをやっていたデニスはその後も仕事を続け比較的良い生活を続けています。ファティマは他に選択肢がなかったため、爆発の起きた夜市でその後も仕事を続けていましたが、去年、街の清掃職員になるという機会を得て、それからは清掃の仕事もはじめています。」と近況を語った。また今回の作品について「フィリピンには多くの問題があり、本当に氷山の一角しか表すことができなかったと思っています。作品の中で二人が対麻薬戦争について言及していましたが、いずれも何千人もの犠牲者をもたらしています。この作品は2017年に撮影しましたが、その後2019年までに多くの人権侵害がありました。他にも地政学的な緊迫感の高まり、あるいは宗教的な対立、その他領土争いなどもあり、フィリピンでは今事態が非常に深刻になっています。だからこそ私は映画を作り続けたいと思っています。映画というツールを使って声なき人々になんとか声を与え聞かせるべき物語を広めていきたいと思います。」と話した。

山本博之准教授による解説

ドゥテルテ大統領就任以前のダバオ市は非常に治安の悪い場所でした。夜に人々が市内を出歩いて買い物ができるほどになったという意味で、治安を回復させたドゥテルテ大統領の成功物語の基盤は夜市にありました。また、夜市には、店舗が不要のため元手がない人でも商売をはじめることができて、やる気があれば次のステップに進む機会が得られる場所でもありました。この事件では15名が犠牲となり、その多くがマッサージ師でした。腕一つで仕事を始めて自分たちの生活を作り上げようとしていた人たちですが、よりによってそこを襲った悲劇でした。この作品では誰がどういう目的で爆弾を仕掛けたのかは語っていません。最初の作品のときにお話ししたように、白黒をつけるのではなく被害者に寄り添うアプローチだと言えます。作品に出てくる二人の犠牲者は、性別や宗教などが対照的でよく考えて選ばれています。二人の対比でジャスティスというテーマにからめて興味深いのは、この事件の間接的な背景の一つであるドゥテルテ大統領の対麻薬戦争の、力で排除すれば問題は解決するという政策に対して、二人の意見が異なっていることです。ファティマさんは法によって裁くべきであると言います。犯罪者を排除すればいいということだけでなく、イスラム教徒が多く住みファティマさんの親戚もいる地域で、イスラム教の名前を掲げた過激派が政府を襲撃したことに対して政府が掃討作戦を起こしたことについても、ファティマさんは間違っていると語りました。それに対して、率直に言ってよくわからないのがデニスさんです。デニスさんは、多少の犠牲があろうとも問題を力ずくで排除することが社会をよくするというドゥテルテ大統領の政策を言葉のうえでは支持しています。この言葉をどう飲み込めばよいのでしょうか。自分の家族が犠牲になってもなぜ剛腕政策を支持するのか。そのヒントは、彼が言っていた「アジアの手本になりたい」という気持ちなのかもしれません。

障がいを持つカレン族の女性のレイプ事件について取り上げた『物言うポテト』

監督:セインリャントゥン、プロデューサー:ピョーゲー(ミャンマー)

ドキュメンタリー作品『物言うポテト』 一場面の画像
『物言うポテト』2016
トークセッションで語る監督とプロデューサーの写真
右:ピョーゲー氏
左:セインリャントゥン氏

本作はポテトと呼ばれる障がいを持つカレン族の女性のレイプ事件を取り上げた作品。今回初めての試みとして設けられた賞「リティ・パン監督スペシャルメンション」を受賞。作品上映後に監督のセインリャントゥン氏とプロデューサーのピョーゲー氏が登壇した。セインリャントゥン監督は、「映画祭で上映されるまでの間、この事件は下級審の裁判で4回も敗訴していましたが、上映したことで再び審査をするようにという声が高まり最終的に再審で勝訴しました。映画を通じて勝訴することができたのです。2016年以降様々な国際映画祭で上映されていますが、特徴的なことは、国内でも上映され議論する場になっているところです。その時はポテトやポテトの父を呼んで一緒に議論してもらうこともあります。現在ポテトの父は村のリーダー的な役割を担っており、またポテトは映画祭で得た資金を元に自ら商売をし、家を建てて農業をできるような状況になっています。」と語った。ピョーゲー氏は、制作プロセスとして「撮影する前にカレン民族と女性の権利推進団体と何度も議論を重ね、障がいのある女性の権利についても話し合いました。議論を通じてポテトの家族から撮影許可を得る必要があるということを学び、何年もかけて関係性を築いたうえで撮影許可を得ました。この問題は村を二分するような非常に繊細な問題でしたので、撮影中も私たちはその村に滞在することはできず、村から20分程かかる場所にある小屋に宿泊しました。そんな大変な思いをしながら制作した本作を見ていただけて嬉しく思います。」と語った。

山本博之准教授による解説

ミャンマーでは、刑法376条のレイプに関する罪で有罪になった場合、事件が起こった2014年の段階では最高10年の禁固刑でした。2019年の法改正で刑が重くなり、被害者が12歳以上の場合は最長20年の禁固刑、12歳未満の場合は終身刑になったそうです。この作品の事件の加害者男性側は、ポテトと結婚するつもりで合意の上で性行為に及んだけれど、結婚するのをやめたので婚約不履行であってレイプではないと主張しています。もし刑法417条の詐欺罪で有罪になった場合、最長で禁固1年ということでずいぶん刑の重さが違います。主人公ポテトは女性であり、少数民族であり、また貧困でもあり、更に障がいを持っているため、色々な意味で弱い立場が重なっています。裁判の行方だけを見るならば、この作品の上映も助けになって、ポテトは勝訴することができました。しかし、彼女が弱い立場にいる問題が解決したわけではありません。このことは、個人としてポテトにどう関わるかだけでなく、社会の中の弱い立場の人たちに社会としてどのように向き合って問題を解決するかということです。この作品はポテトを勝訴に導く手助けになりましたが、社会の問題を解決するために映像はどのような関わり方ができるのでしょうか。