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『たったひとつの滝』 マニット/福富友子 訳

Short Story / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(カンボジア)

たったひとつの滝

白、白……

一面の白を、私は見つめている。ベッドから体を起こす前に、こうしているだけで1時間が過ぎる。毎朝のことだ。窓から差し込む光は私に生気をもたらそうとしているが、私の体はまだ起きたくないようだった。

目の前にある白は、私の部屋の壁と天井だ。今朝、私はベッドの上で体を伸ばし、いつものとおり天井を見ていた。活発で機転が利き、迅速に行動する人間だったはずの私が、ただ静かに眠り、ひっそりと時間を過ごし、寝転がって天井を眺め続けている。そんなことが新しい習慣になってしまった。変わったのは私だけではない。世界全体が一変したのだ。

新型コロナウイルスによる感染症が広がりだして、もう1年以上になる。そして今日は、2週間のロックダウンの最初の日だ。もう一度言いたい……

2週間のロックダウンだって!

感染が拡大するということにも、ロックダウンが起こるということにも、覚悟はできていなかった。私の周辺であらゆることが変化し始め、私も変わることを強いられた。予期せぬ変更というものが何より嫌いな人間なのに。詰まるところ、この捉えどころのない状況に合わせる以外、選択肢はなかったのだ。

私の名はコンキア、22才。自己啓発本の作家で、著書は読者と多方面の機関に評価されている。実際、おかしな話だ。何百万人もの人たちを元気づけてきたというのに、今や、自分を元気づける術さえ見つけられずにいるなんて。

この感染症が広がり出すと、またたく間に私の生活も変わってしまった。予定されていたことが次々と延期され、新刊は出版保留となった。別の本を書こうと思ったがアイディアが浮かばない。当然、収入も減るばかりだ。八方塞がりで、まるでいくら空気を入れ続けても割れずに、ひたすら大きく張り詰めていく風船のようだ。ロックダウンの知らせを聞いたとき、食料はいくらか調達した。日々の計画も立てた。本を読み、体を動かし、リラックスする、といったことだ。だがそのときが来てみると、どれもやらなかった。先の希望が見えず、何も手につかなくなってしまったのだ。手足を動かすことさえ億劫になる日もあった。世界全体が陥ったこの状況は、人を精神的にひどく追いつめる。

どこへでも自由に飛びまわっていたのに、ひとつの場所にじっと留まっているしかない。外出するにしても、マスクを着け、いつでも石鹸とアルコールで手を洗い衛生に気を遣う。ひっきりなしに消毒するせいで手はかさつき、皮膚がはがれているところさえある。おいしい食事が何より楽しみなのに、食べたいものは思いどおりに手に入らないし、食べ歩きにもそうそう行けない。おしゃれな服はあるけれど、どこにも着て行きようがない。何かしなくてはと思うものの、行動に移せない。ほかにいくつも挙げられるが、それらは慣れるのに少しばかり苦労する程度の些細な事柄だ。総じて言えば、社会の進歩によって私たちはどんなことでも容易にできるようになったが、進歩そのものが動きを失ったとき、私たちはその恩恵として得ていた自由までも失ったことに気づくのだ。

世界全体がこの災難に直面している。自分が直接トラブルに見舞われていなくても、気が滅入るばかりだ。人が集まり賑わっていた場所は静まり返り、日常的な人付き合いは以前に比べ格段に難しくなった。一方、新型コロナウイルス感染症に関して日々世界を巡る情報に、私たちは不安をかき立てられ、気の休まるときもない。

これが、私が毎朝天井を眺めている理由だった。つまり……

私は自分を見失い、人生の目的を失っていた。

その日のためだけにその日を過ごし、食事をし、寝転がって天井を見ているだけだ。温かな家庭がある人なら、私のように思い悩むことはなかったかも知れない。ロックダウンでもっとも面倒なのは、父と弟と顔をつきあわせなくてはならないということだった。

家族の中で私は長女で、たったひとりの娘だ。私たちは4人家族だった。母、父、私、それに16才になる弟だ。いつからか、私たちの関係はぎこちなくなっていた。母が亡くなり、そして父が……いや、父は母のように亡くなったのではない。単に、私たち3人が互いに相容れないだけだ。

これまでずっと、私はどんな困難からも目を背けずにきた。避けてきたことはひとつだけ……家族そろっての夕食、だ。この言葉を口にするだけでも落ち着かない。政府がロックダウンを宣言し国民に家から出ることを禁じた今、どうやってこの難題から逃げればいいのだろう。

壁掛け時計に目をやると、針が昼の12時を指していた。オーケー。きっかり1時間天井を眺めたところで昼食の時間になったわけだ。朝食と昼食は一緒ということにしよう。私は覚悟を決めてベッドから体を起こし、苦労して足を踏み出した。私の部屋は、手のつけようがないほど無秩序にものが散らかっているからだ。

食卓はしんとしていた。しんとしているのはテーブルではなく、そこにいる人間が押し黙っているということだが。弟は眼鏡を少しばかり上に押し上げ、分厚いレンズ越しにちらっと私を見た。弟の名はキリーという。

コツコツ。床を踏むハイヒールの音が、家の中に響いた。赤いワンピースにハイヒールという姿の初老の女性が、料理を盛った皿をいくつも手にして食卓に現れた。顔は厚塗りのファンデーションで覆われ、唇は赤く塗られている。そんなふうに着飾っても全然似合っていないな、と思った。

その人は私の父親だ。おわかりだろうか。赤い服にハイヒールのこの女性こそが、私の実の父親なのだ。

石鹸で念入りに手を洗い、私たちは食卓を囲んで座った。

「さあ、冷めないうちに食べて」

父の声ははずんでいて、子どもたちと一緒の食事を心から喜んでいるようだった。しかし、その声に明るく応じる声はなかった。私は黙ったまま料理の皿に目をやった。父の顔は見なかったが、父が私の顔色を窺っていることは痛いほどわかった。キリーは押し黙ったまま白飯をつついていた。父は、子どもたちの顔を困惑したように見つめ、それから大きくため息をつくと、ぎこちない笑みを作ってもう一度言った。

「食べなさい、あなたたち」

そう言うと父は、私とキリーの皿に料理を取り分けた。キリーは父に気を遣うように微笑み返し、ひとさじだけ口に押し込んだ。どうやら弟は、食卓についた私の不機嫌な顔を見て食欲を失ったようだった。起きてからまだ何も胃に入れていなかったので、私は仕方なく父が取り分けた卵焼きを皿の隅に押しやり、テーブルの真ん中に置かれた熱いスープの深皿にスプーンを伸ばした。ちょうどそのとき、父も同じ深皿からスープを掬おうと手を伸ばし、私たちのスプーンは深皿の真上でぶつかってしまった。互いに引っ込みがつかず、私は父の顔をちらりと見て、父も私の顔を見た。私は手を引っ込め、代わりに白飯を口に運んだ。

どうして一度の食事がこんなに苦痛なのだろう。私は、白飯を一口食べただけでスプーンを置き、部屋に戻ることにした。席を立つ前に一言だけ礼儀的に伝えた。

「ごちそうさま」

父は私の声を聞くなり立ち上がり、靴音を高く響かせ私のあとを追って部屋までついて来た。

「一緒に食事をするだけでもよほどつらいんだね?コンキア」

父は語気を強めて言い、私は向き直って醒めた目で父を見た。

「食事はつらくない。気持ちがついていけないだけよ」

私は抑揚をつけずに答えた。派手な化粧をした父の顔は怒りに満ち、そのためか厚く塗られたファンデーションが乾ききって今にもひび割れそうだった。干からびた地面に亀裂が入るみたいに。

「きっとつらいんでしょう。だから何年も私を避けてる。さあ、私のせいであなたがどんなつらい思いをしてきたのか話して。私は、あなたに何かお金を払ってくれと頼んだこともないし、体調がわるかったときに看病してと頼んだこともない。何が気に障ったのかわからない」

父の言葉を聞いていると、軽く笑いすらこみあげてきた。父は、自分が私に何をしたのかまるでわかっていない。私たち父子の関係について、どう説明すれば父に理解させられるだろう?

「父さんだって私の面倒を見ようとしたことなんてないじゃない。私は一生、自分の面倒は自分で見る。私がまだ小さいときに父さんと母さんは離婚した。母さんが私を連れて行ったときから、私は自分のことは自分でしてきたの。母さんが亡くなってからもずっとね。父さんがいま立っているこの家だって、私が買ったものよ。父さんが私にしたことと言えばひとつだけ……」

私は言葉を切った。父は黙り、落ち着かない様子で私が言葉を続けるのを待った。ふたりとも目に涙を溜めている。私たちは顔を合わせるたびに、ぎすぎすした言葉をぶつけ合ってばかりだ。いつの間にかキリーも来て、泣き出しそうな顔で父の後ろに立っていた。彼だってひどく傷ついている。私と父がいつも普通に会話をせず、怒鳴りあっているせいだ。初めて、この状況から目を背けるのをやめて心にわだかまっていることを父に話す気になった。私は、言葉を続けた。

「父さんが私にしたことは、口からでまかせの約束をしたということだけよ」

「何の約束?」

父のもどかしげな問いに、私の目から涙が一粒あふれ頬を伝った。私は堪えられなくなって父の体を押して部屋から追い出し、ドアを閉めて鍵をかけ、ひとりきり声を立てずに泣いた。こうなるから父と顔を合わせるのを避けてきたのだ。父は何もわかっていないし、覚えていない。父が常に考えているのは自分自身のことだけだ。やはり、この問題に向き合いたくはなかった。自分自身がこんな感情に煩わされることが心底、嫌だった。

家族そろっての初めての食事は、家ごと崩れそうな諍いになった。これが日に3度となれば、この家は大地に飲み込まれてしまうに違いない。

家から出られず食事も穏やかにとれないなら、これまで時間がなくて先延ばししていたことをしようと決めた。部屋を片付けよう。

一か所ずつ整理していくと、散らかり切っていた部屋は徐々にきれいになっていった。部屋がいくらか広く見えるようにワードローブを部屋の片方へずらすと、画用紙に描いた古い絵が現れた。子どもの頃に描いて、ずっと手元においていたのだった。壁に貼り、絵を隠すようにワードローブを置いていたので、この絵が身近なところにあることを忘れかけていた。私は手を伸ばして絵をはがし、やりきれない思いで見つめた。

その絵は、まだ幼かった私が弟と一生懸命に描いたものだ。家族4人でブースラー滝を訪れている光景。多種多様な新緑の木々に囲まれた滝のそばで、私たちは高みから勢いよく落ちてくる水を見上げている。母も父も、キリーと私も楽しそうに滝に向かって手を伸ばしている。

実際の暮らしと絵に描かれた暮らしがこんなにも違うなんて、誰が知っているだろう。

父が、私とキリーをブースラー滝に連れて行くと約束した日。そのときの父の言葉、父の身振りをはっきりと覚えている。私は10歳になったばかりだった。父は私とキリーに、明日はおまえたちをブースラー滝へ連れて行くよと言ったのだ。父は、その地の美しい自然を深く愛していた。だからこそ私にコンキア、弟にはキリーという名をつけたのだ。コンキアは河を流れる水、キリーは山という意味だ。父は自分の子どもふたりともに、自分がもっとも愛するものの名をつけたかったのだ。

翌日、私とキリーが着替えを済ませ部屋を出て両親の姿を探すと、言い争う声が聞こえてきた。父が母に話す言葉を耳にして、私とキリーは泣きそうになった……

父は女性になりたがっていた。

母はほとんど返事をせず、姿を見せると私の手を引いてキリーから引き離した。その日から何もかもが変わった。父と母は別れた。母は私を連れ、キリーは父と暮らすことになった。ごくまれに、私たちは集まった。私はそんなふうに家族が分かれて暮らすのは嫌だった。弟が恋しく、父が恋しく、毎夕の食卓での笑い声が恋しかった。

2年が過ぎた頃、父はもう一度、私とキリーをブースラー滝へ連れて行くと約束した。母もそれを了承した。私が記憶する限り、人生の中でその日ほど心を躍らせたことはない。私は身支度し、外へ出て父を待っていた。ところが何時間待っても父は私を迎えに来なかった。母は私を連れて家に入り、そして言った。父さんは重い病気でね、入院して療養することになったのよ、と。何日後かに、父は病気だったのではないと知った。よりによって父はその日を、性転換手術の日にしていたのだ。ブースラーの滝に行くと言った私との約束はすっかり忘れ去られていた。父親の約束というものは、子どもにとって何より価値のあるものなのに。壊れかけていた私たちの結びつきは、またも宙に浮いた約束によって砕け散った。

その日以来、私は自分に言い聞かせた。何もかも元通りにはならないのだと。同時に、自分を鼓舞した。現実ではない幸せに浸っていてはだめ。

現実になる日の来ない約束……

父に父自身の夢があるなら、私にも私自身の夢があるべきだし、父が私を覚えていないなら、私も父を覚えている必要はない。

それから何年かして、母は病気で亡くなった。私は十分大人になっていたし、真っ当な収入のある職にもついていた。だから私は父を煩わせることなど考えず、独立したひとりの女性として暮らすことにした。疎遠になったのは私と父の関係だけではない。私と弟の関係も同様だった。

ある日、私は意を決して初めてブースラー滝を訪れた。その景勝地に到着するまでに7時間ばかりを要したが、私はひとりで、ようやく、望みだったブースラー滝にたどり着くことができた。

その滝は本当に美しかった。豊かな自然の眺めは、父が私と弟につけた名前のとおり、特別なものだった。私は立ちつくし、激しく落ちてくる水を見つめた。細かく砕ける水しぶきが、日差しで熱せられた体にかかる。それはひりつき乾いた肌をいくらか湿らせてくれたが、心の中の憤りまでは鎮めてくれなかった。

ひとりでここへ来ることにどんな意味があるだろう?

家族はいない、父もいない、母もいない。

あらゆることが妙にむなしく感じられた。

1枚の画用紙に描いた絵であれこれと昔のことを思い出してしまうなら、いつまでもこんな絵をとっておく必要はない。現実と折り合いをつけるだけで十分に過酷なロックダウンというときに、過去の不愉快な記憶を呼び起こすものまで持っていたくない。

私は画用紙をくしゃくしゃに丸めてごみ箱に投げ入れ、それからごみを入れた袋を裏庭に持って行って捨てた。その後でごみを捨てに来た父が、偶然その絵を拾ったことには気づかなかった。夜になり、飲み水を取ってこようと部屋を出たとき、裏庭においたテーブルで父がひとり、私が捨てた絵を見つめているのが目に入った。父がひどく悲しんでいることが見てとれた。そのとき、私と父の間の出来事がお互いを、そしてたったひとりの弟までつらい気持ちにさせてきたのだと理解できた。父が物思いに沈む姿に、私たちがわだかまりを抱えたままそれを解消できずにいたのは、互いに顔を合わそうとせず、話し合わず、歩み寄ろうとしなかったためだと気づいた。今、家の中に留まるしかなく逃げ場を失くしたことで、私たちはそれぞれの不安に立ち向かう機会を得たのだ。

翌朝、私は寝ぼけ眼のまま起き上がり、部屋を出ようとした。喉が渇いて水が飲みたかった。ドアを開くとキリーが微笑んで立っていた。いつからそこにいたのだろう。私は何も言わずに彼の顔を見返したが、内心、聞きたいことはたくさんあった。キリーはさっと私の手をつかみ、裏庭へ向かった。

裏庭につくと、葉のよく茂った木陰に父が立っているのが見えた。鮮やかな黄色のワンピースを着て、肩にかかる長い髪をきれいにまとめている。父とキリーが何を考えて、いつもと違う穏やかさで私を見ているのかわからなかった。そのとき、庭の片隅にちょっとした大きさの池が作られているのが目に入った。それだけでなく、小さな石や大きな石がかなりの高さまで積み重ねられ、上から水が流れ落ちている。小さな噴水からは水しぶきが上がり、私の体に降りかかる。それは……

手作りの滝だった。

私は、目を逸らさずに滝を見つめた。にわかに、温かいものが心の中に湧きあがってきた。父は一晩かけて、私のためにこれを作ったのだろうか?

何か言おうとしたが言葉にならなかった。黙ってゆっくりと池に近づき、足を入れた。静かに腰を下ろし、水の流れてくる石に背中を預けた。体が少しずつ湿ってきて、ついにはびしょぬれになった。父とキリーは小さく微笑みながら、まだ不安そうに私を見ていた。私は気持ちを落ち着かせると、顔を上げた。胸に淀んでいた苛立ちが解放され、水に流れて消えていく。と、そのとき積まれた石の上にちらりと給水パイプの蛇口が見えて、思わずふき出してしまった。父が作った滝は、どこにでもある給水パイプでできているのだ。それなのに、なぜこれほど幸せな気分になるのだろう?かつてひとりでブースラー滝へ行ったときよりもずっと、心が満たされている。この喜びは、長い間心の中に不安を抱えていた分、なお強く感じられるのだろう。涙があふれ、手作りの滝と競うように流れる。私は膝を立てて座ったまま、給水パイプから細く流れてくる滝の中で泣き顔を洗った。

ヒックヒックと泣きじゃくる私の声に、父と弟が慌てたように駆け寄ってきて私の両側に座った。父は私を引き寄せしっかりと抱きしめた。

「父さんがわるかった」

父はすすり泣きしながら言った。弟もそばへ来て、父と私を強く抱きしめた。

「これまで見た中でいちばんひどい滝ね」

私は泣きながら文句を言った。

「ロックダウンの最中に父さんがコンキアのためにできることは、こんな滝しかなくて」

そんな父の言い訳に私と弟は笑い声をあげたが、もっとおかしいのは父の顔だった。

「お化粧が台無しじゃない」

私は泣き笑いで言い、手で父の顔をぬぐった。父は小さく頭を振ると笑って答えた。

「どうってことない。コンキアがこんな父さんを嫌わないでいてくれるなら」

私も言葉を返した。

「父さんが性別を変えたからって嫌いになったことなんかない。私が怒っていたのは、父さんが約束を守らなかったから……でも、もういい。父さんはこうして私を滝に連れて来てくれたし、もう怒ったりしていない」

私の願いは、父が自分の言葉に責任を持ってくれることだけだった。父が私とした約束が、果たされないまま時の流れにまかせて忘れ去られるのが嫌だった。父親の約束というのは、子どもにとって何にも代えがたく大切なものなのだから!

私たち親子の関係に行き違いが生じてから何年も経ってしまったけれど、それも今日で終わりそうだ。世界中がこの攻撃的な感染症と闘う中で、誰しもがきっと身体的な、あるいは精神的な問題にぶつかり戸惑っている。どこへも逃げられない状況になって初めて、私たちはこれまで目を背けてきた問題にけりをつける心構えができる。そのためにどこかへ行く必要はない。社会が正常に機能するまで待たないと幸せになれないなどということはない。幸せは私たちの心の中にある。どこにいても、誰といても、すべての人が享受できるものなのだ。

思い通りにならない中で私たちが学ぶべきは、慣れ、受け入れていくことだ。出歩くことが好きで、仕事でも多忙を極めていた私は、自由に動けない状態に適応することを学んだ。嘆いたり不平を言ったりするのではなく、これが私たちの新しい暮らしなのだと受け入れることを学んだ。長く相容れることのなかった父や弟との暮らしにも慣れていくのだ。それぞれの間に存在する問題を見極め、互いに自分の非を認め、そして前へ進もう。

新型コロナウイルスによる危機的状況の中で生活を変えることは、自分を見つめなおすことでもある。私たちは、食べること、遊ぶこと、仕事上の関わり、そして生活スタイルのほぼすべてを変えねばならなかった。父に正面から向き合うことを避けられなかったように、私はこうした状況に対処していかなくてはならない。それが、今の私たちにとって何より大事なことだ。

私は、新たな自分自身を見つけた。

ロックダウンという事態が、自分を知る機会になるとは思いもしなかった。自分の過ちを認められるようになったし、自分を過去に閉じ込めておく必要もなくなった。私にもささやかながら温かな家庭があり、これまで思い込んでいたようなひとりぼっちではないのだ。

冷たい水を肌に感じながら、ふと気づいたことがある。ブースラー滝は最高に美しいけれど、そこにはこの手作りの滝のような深い意味は存在しない。家族の姿があってこその滝が、私の求めていた、たったひとつの滝なのだから。