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『「希望」をめぐる物語 ——新型コロナウイルス感染症(COVID-19)第二波のインドから——』 ニキル・サチャーン/足立享祐 訳

Essay / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(インド)

「希望」をめぐる物語 ——新型コロナウイルス感染症(COVID-19)第二波のインドから——

「希望」は呼吸することば、自ら生きていることばである。それは地上で最も強い力である。だからこそ私は希望について物語ることが好きなのだ。

希望について私の好きなエミリ・ディキンスンの詩を引用してみよう。

希望とは羽根をまとうもの ——

心の内のとまり木で ——

詞のない調べを歌い ——

決して —— 止むことはない ——

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)について語る時、希望という幸せな調べを歌うことは難しい。しかし、恐らくそれこそが希望の最も美しいところであろう。希望を持つことによって、時代の深い闇の中に光を見いだすことができるのだ。

2020年1月11日、中国で最初の新型コロナウイルスによる死亡者が報告された。この小篇を書いている時点(2021年9月現在)で、世界中の死亡者は450万人に上り、また2億1,600万人が感染していると報告されている。インドは最悪の被害を受けた国の一つで、公式の感染者数は3,270万人である。このうち44万人が亡くなってしまった。これは公式の数字であって、非公式の数字では死者は遙かに多く、その10倍とも20倍とも言われている。

インドにおける新型コロナウイルスの第二波において、大量の死者を出した主な原因は、深刻な酸素ボンベの不足であった。第二波では、医療用酸素の需要がかつてないほど急増した。国内の酸素需要は、第一波の際には3,095トンだったのに対して、第二波のピーク時には9,000トン近くに達した。そして当局はこの事態に備えていなかったのである。

インドがまさに呼吸困難であった時、国民が互いのために立ち上がり、友人や家族、さらには見知らぬ人をも助けた幾つかの話をここで伝えたい。

最初の話は、私が1986年に生まれたウッタル・プラデーシュ州ハミールプルという小さな町が舞台である。この小さな町はヤムナー川とベートワー川のサンガム(合流点)に位置している。私にとって思い出深いこの場所は、新型コロナウイルスの第二波の直撃を受け、深刻な酸素不足に陥ってしまった。しかしその時、何人かの善良な人々が助けに入ってくれたのである。

企業家 1ルピーでの酸素ボンベ充填
新型コロナウイルスの増加により、ウッタル・プラデーシュ州でも酸素ボンベは極端に不足していた。闇市場では酸素ボンベは5万ルピーから10万ルピーという高値で取り引きされていた。

ハミールプル県スメールプル工業地区のリムジム・イスパート社、マノージ・グプタ氏は新型コロナウイルス患者の治療のために、酸素ボンベの充填をわずか1ルピー(訳注:2021年11月15日現在、1インド・ルピーは約1.53円に相当)で行うことを決めた。

グプタ氏は自社の工場で1,000本以上の酸素ボンベを充填し、何百人もの患者の生命を救った。ジャーンスィー、バーンダー、ラリトプル、カーンプル、ウライーなど、近隣の街や県の人々が、1ルピーで酸素ボンベを充填するために彼の工場に駆け込んだのだ。

マノージ・グプタ氏は1年前、新型コロナウイルスの第一波で感染し、その痛みと同時に、呼吸困難の苦しみを知っていた。「同じような経験をしたからこそ、その苦難を自分のこととして理解しています。私の酸素工場は、1日1,000本の酸素ボンベを充填することができます。充填した酸素ボンベは全ての人に1ルピーで提供しています」とグプタ氏は言う。

彼は資金に恵まれたビジネスマンであると言う人もいるが、希望の旗手はそれに頼ることはない。純粋な意思の力こそが、彼らのような人々に対して国民を助けることができると信じさせるのだ。

実際、このパンデミックの間、WhatsApp、Facebook、TelegramといったSNSは非常に有用なツールとなった。数日の間に、これらのソーシャル・メディアでは何千ものグループができ、酸素ボンベの入手方法を尋ねると、数秒で何百もの返信がきたのである。

もう一つ別の話をしよう。

オートリクシャー(三輪タクシー)運転手 無料の病院搬送
新型コロナウイルスの増加に暗雲が立ちこめる中、ビハール州ラーンチーで一人の三輪タクシー運転手が、率先して無料で患者を病院に搬送することを決めたことが、医療緊急事態に直面している人々の希望の光となって現れた。2021年4月から5月にかけて、病院に行く必要がある人々にとって、救急車を呼ぶことが非常に困難になっていた。

三輪タクシー運転手であるラヴィ・アッグラワール氏は人々に無料乗車を提供することを決めた。この時、他のほとんどの運転手は感染を恐れて、乗客を病院に搬送することを嫌がったり、拒否したりしていたのだ。

アッグラワール氏はインタビューで、4月15日からこのサービスを実施していると語った。

「ある女性がラージェーンドラ大学病院に行く必要があったのですが、感染を恐れてどの運転手も彼女を連れて行きませんでした。彼女はいくらでも支払う用意がありました。私は彼女を連れて行くことを申し出て、外傷救急センターの近くで彼女を下ろしたのです。彼女が新型コロナウイルスの患者であるかどうかはわかりませんでした。私は彼女が提示したお金を受け取ることを断りました。帰り際に、彼女のように新型コロナウイルスを恐れて搬送を拒否される人が大勢いることに気がついたのです」。

感動的な話ではないだろうか。日々の賃金や食べ物を得ることにも苦労する、まさにピラミッドの最底辺にいる人が、スーパーヒーローとして登場したのだ。そして彼と同様に困った人を平然と助ける者たちが大勢現れたのである。

さらにもう一つ、私を感激させたお気に入りの話がある。

友人を救うため1,400 kmの道程を駆けつけた男性
新型コロナウイルスに感染した友人の家族からのSOSを受けた38歳の教師、デーヴェーンドラ氏という人物がいる。彼は友人の生命を救うため、ジャールカンド州ボーカーローからウッタル・プラデーシュ州ノーイダーまで、三つの州を越えて酸素ボンベを運んだのだ。

ボーカーローで酸素ボンベを調達するのは容易ではなかった。デーヴェーンドラ氏は鉄鋼で知られるボーカーロー市内の幾つかの酸素工場や業者を訪ねたが、いずれも空のボンベを用意して充填してもらう必要があるということだった。そして彼はそれを持っていなかった。最後の手段として、彼は工業地区にあるジャールカンド製鉄社の酸素工場担当者に連絡を取った。その結果、保証金を支払うことで、充填された酸素ボンベを提供してくれることになった。

デーヴェーンドラ氏は日曜日午後1時30分に、車に酸素ボンベを積み、24時間で1,400 kmの道程を移動し、デリーのIT企業に勤める友人、ランジャン・アッグラワール氏の下に辿り着いたのである。

エッセイの挿絵、人々が助け合う画像
イラスト:サミア・シン

官僚の中にも見本となる人々がいた。ある人は新型コロナウイルスとの戦いのためのモデルを確立するのに貢献し、またある人は酸素工場の建設に尽力したのだ。

ナンドゥルバール県長官 独自に液体酸素工場を設置
昨年の新型コロナウイルス発生以前、マハーラーシュトラ州ナンドゥルバール県の少数民族居住地区では、液体酸素プラントやタンクが一つもなかった。症例が着実に減少していた2020年9月、県長官であるラージェンドラ・バールド博士は、県立病院に850万ルピーで液体酸素工場を設立した。今年1月から2月にかけて、さらに二つのプラントを設置したことで、県の酸素工場の供給能力は、1分あたり2,400リットルまで増加した。

「深刻な酸素需要が起こると確信していた。従って、症例が少なく、また時間的な余裕があった期間に、我々は毎分600リットルの供給能力を持つプラントを設置したのだ」。

マハーラーシュトラ州を第二波が襲った際、少数民族居住地区では、24時間で1,200件もの症例が報告された。現在、彼の積極的な努力によって、県内の酸素供給能力は、毎分1,800リットルであり、民間の酸素供給会社、ならびに社内設備を持つ企業を加えると、供給能力は合計毎分3,000リットルに上る。それぞれの酸素プラントの建設費用は850万ルピーである。

「我々は県の開発基金と州の災害救援基金を活用した。なぜなら重要なのは酸素不足で一人も死なせないことであるからだ」と彼は言った。

今回のパンデミックの間、多くのコミュニティも名乗りを上げた。特にインドのスィック教徒(シク教徒)は、宗教やカースト、性別によらない相互扶助で知られている。

スィック教において「ランガル」とは寺院に設けられる共同食堂を意味する。そこでは、信条、肌の色、カースト、ジェンダー、経済状態、あるいは民族に関係なく、誰でも無償で、あらゆる食事が提供される。人々は床に座り、食事を共にする。その食堂は、コミュニティのボランティアによって維持・管理されている。

スィック教寺院で感染者のための「酸素のランガル(共同食堂)」始まる
それはこれまでにないユニークな取り組みであった。酸素ボンベや酸素濃縮器を求めるSOSやメッセージがソーシャル・メディアで溢れる中、ウッタル・プラデーシュ州ガーズィヤーバード県インディラープラムにあるスリー・グルー・スィング・サバー寺院ではNGOのカールサー・ヘルプ・インターナショナルと共に、このユニークな共同食堂を開設した。そこでは新型コロナウイルスの患者に対して、病院のベッドが見つかるまで、あるいは酸素飽和レベルが低下した患者を自宅隔離するまで、施設内で酸素を供給したのだ。

またボランティアたちは、酸素ボンベを予約するための特設電話番号を開設した。このような共同食堂や、ボランティアによる慈善食堂のルーツはインドの伝統、あるいはこの国の宗教において古くから見られる。スィック教の伝統は先に述べたとおりだが、ヒンドゥー教においてもそのような歴史が存在する。4世紀初頭から6世紀後半のグプタ朝では、為政者たちは「ダルマ・シャーラー(今日のダラムシャーラー)」と呼ばれる宿坊・救貧院の設立に努めていた。そこでは旅行者や貧しい人々に対して無償で食事が提供されていたのである。

件のスィック教寺院の酸素の共同食堂は、約1,000名の命を救い、それに刺激された他の寺院も同様の共同食堂を開設した。時を置かずして、同様の例が数多く現れたのだ。

思いやり、希望、共感、そして愛の物語は数え切れないほどである。このパンデミックという最も困難な時代において、お互いのために立ち上がる国民を私は見てきた。

ムンバイ出身、31歳のシャーナワーズ氏の場合、220万ルピーもする自らのフォード社製SUVを売却し、酸素ボンベを必要とする人々のための資金を集めた。彼は160本の酸素ボンベを手に入れ、人々を助ける活動を始めた。

ハイダラーバード出身、22歳のラワーリー・ティッカー氏の場合、妊娠9か月の妊婦のため、2時間以上かけて献血に駆けつけた。

感染症の流行は、ある人々には最良のものをもたらした。この「ソーシャル・ディスタンス」の時代、人々は互いにより近づいたのだ。医療従事者は病を得た人々のケアのために時間を割いていた。また患者が安心できるよう、オンラインで看護する手段を増やした。教師や学校は生徒が学習を続けられるよう、迅速に授業をオンライン化した。

世界、あるいは国内を見渡せば、医療緊急事態に優しさと希望を持って対応した人々の例をいたるところで見いだすことができる。

そう我々は共に、コミュニティへの奉仕という素晴らしい行いを行っている。

それはとても力強いことではないだろうか。

まさに希望とは呼吸することば、自ら生きていることばである。そしてそれは地上で最も強い力なのだ。