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ベンガル地域の読書文化に関する考察―アンジュム・カティヤール

Report / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(インド)

1月最後の週、コルカタでは、世界でも稀なブック・イベントのひとつが開催される。コルカタ・ブックフェアとして知られるコルカタ・ボイメラ(Kolkata Boi Mela)が、街中の愛書家たちに門戸を開くときである。何十年にもわたりアジア最大のブックフェアと称されてきたこの行事は、世界全体でも、代理店への販売を目的としないブックフェアとしては最大級かもしれない。この間、控え目に言っても200万人以上の人々が訪れていると言われている。

年に一度、インド全土から集まる出版社が実施するこの本の宴には、本好きが大勢押し寄せる。その雰囲気は刺激的だ。ストリートマーケット兼、催事会場兼、知的・文化的ハブを想像してみて欲しい。美術学生や若手の画家たちが自身の作品を展示し、即興でスケッチや似顔絵を描く。ブース利用料が支払えない小規模の独立出版社や雑誌社は、ビニールシートを地面に広げて、自身の最新刊を展示する。拡声器からは音楽が流れ、祭りの雰囲気を盛り上げる。有名な作家たちの元にはサインやトークショー目当てにファンが群がり、週末には、パネルディスカッションや対話、文化行事などの興味深い企画が開催される。

おじいちゃん、おばあちゃんから幼い子どもまで、家族全員が1日がかりでこの行事に参加し、広大な色とりどりの屋外会場で涼しい冬の天気を満喫する。人気出版社のパビリオンの入り口には、長蛇の列が続く。10日間の会期中、出版社や書店が軒を連ねるなかで屋台も活況を呈し、バイヤーや立ち読み客たちの休憩所として賑わう。10日間にわたって普段書店では見かけないような書籍を持ち込み、各社が総力を挙げるなか、待望の本を購入しようと貴重なお金を貯めてきた老若男女が、本の袋を片手に歩きまわる。

その名を冠したバス停さえも見所となるボイメラの伝統は、この街の読書文化を象徴している。ボイメラは、街の産物であると言う人もいるかもしれない。訪れる人のなかには、一般の中流階級の男女や子どもたちだけでなく、インド文学界の大物もいる。作家、知識人、芸術家たちは、ここでは有名人と化す。アバンギャルドの小さな雑誌社や独立出版社から大規模な多国籍出版社まで、誰もが同様に楽しむことのできるインクルーシブな空間なのだ。

この書籍と読書の大規模な祭典が、西ベンガルの首都コルカタで開催されるのは、実に感慨深い。なぜなら、かつてカルカッタと呼ばれていたこの街は、イギリス統治下のインドにおける主要都市であったからだ。西洋から現代の変革の風を真っ先に受けた地であり、女子校や女子大学を含む世俗的な公教育に焦点を当てるなど、長きにわたって国際的で先進的な思考が普及してきた。布教者たちは、貧困層や下層カーストの人々に読み書きを学ぶよう促し、上層カーストや上層階級の枠を超えて識字を広めていった。19世紀に始まったベンガルルネッサンスにより、西洋の影響を大いに受け、平等主義や進歩的な思想を表現する学問、創作、ジャーナリズム、哲学や社会論が盛んに取り入れられた。都市化の進展で加速した社会変革と、強固な中流階級の出現は、急速な識字の普及へとつながった。英語、ベンガル語、ヒンディー語、ウルドゥー語など、都市で普及している言語による新聞やジャーナルが広く出版され、読者を獲得した。現地の印刷・製本業が成長したことで手頃な出版物が普及し、公共図書館では、読者が購入できないような本を提供できるようになった。国内で最も歴史ある大学のひとつであるコルカタ大学は、その学問的評価が高く、ロナルド・ロス、ラビンドラナート・タゴール、C・V・ラーマン、アマルティア・セン、アビジット・バナジーという5名のノーベル賞受賞者を輩出した輝かしい功績がある。

ベンガル語で教育はポラ・ショナ(pora shona)と言うが、教育は成功への近道として高く評価されてきており、その強い信念は今も変わっていない。そして、教育と本とは必然的に密接に関連するもので、この社会において読書は人々にとっての希望となっている。

しかし、この地方にはずっと古い時代から口承文化が存在し、詩、歌詞、演劇などの、言葉によって編まれる豊かな伝統があることを忘れてはならない。田舎の聴衆の多くは読み書きもできなかったが、洗練され、ニュアンスのある言葉のパフォーマンスを理解できなかったわけではない。例えば、コビ・ガーン(Kobigaan)やコビ・ロライ(Kobilorai)と呼ばれる口承文芸は、詩人たちが韻を踏む詩で競い合い、より良いものを詠うことで相手を打ち負かす、複雑で進化した文芸パフォーマンスであった。ジャットラ(Jatra)は、現代にも通ずるような歴史や神話を題材に、テキストを多用した演劇を上演する移動演劇の一形態だ。これらは農村で人気のあった、巡回型で言語ベースの娯楽形態の一例であり、草の根レベルでさえも、物語、アイデア、言葉への関心が高かったことを示すものである。

現代のベンガルにおいて、このようなユニークな読書文化の形跡とは何であろうか。45年以上の歴史を持ち、毎年開催されるコルカタ・ブックフェアという最もわかりやすい事例については先に言及したが、ほかにもいくつか存在する。

例えば、「カレッジ通り」の本屋だ。カレッジ通りには、由緒あるコルカタ大学のほかにも複数の一流大学が軒を連ね、学生の活動の中心となっている。ベンガル語でボイ・パラ(Boi Para)として知られるこの歴史的な通りは、その両側に本屋がずらりと並んでいる。ありとあらゆる分野の古本の山のなかに掘り出し物が眠っているかもしれないと考えると、愛書家にはたまらない場所である。全国最大級の古本市場として有名だ。しかも、客は付近の大学に通う学生だけでなく、あらゆる年齢や職業の人々であり、珍しい本の初版や再版に巡り合うことを期待する常連もいる。

また、ベンガル独特の現象として、毎年発行されるプジョ・ションカ(Pujo shankho)という出版物がある。この待望の「年鑑」は一家全員が待ち望み、本は手から手へと渡っていく。エッセイ、物語、詩、アーティストによるイラストなどが詰まったこの出版物は、毎年秋の大祭ドゥルガー・プージャ(Durga Puja)の時期に登場する。ベンガル人作家なら誰でも、このプジョ・ションカに掲載する最新作品の執筆に精を出す。すでに定着した伝統であることから、依頼を受けないのは冒とくととられてしまうほどである。大量に印刷され、その人気の証としてたくさんの広告が掲載されるこの特別号は、発売後瞬く間に売り切れてしまう。

またベンガルにも、独立よりはるか前に始まったリトル・マガジン(Little Magazine*というサブカルチャー ——運動と言ったほうがいいかもしれない——が存在する。リトル・マガジンとは一般的に、独立系の政治・文芸・文化出版を指す。資源、時間、労力を自らの大儀のために一時的に集結させる、情熱的な愛好家団体が小規模に行う「愛の」事業である。冊子は安価で製作・販売されるため、新しい執筆が促され、ベンガルの活気ある読書文化の維持に貢献する、読書、執筆、批評、そして探求のエコシステムの一部となっている。

* 文学、美術、政治理論などの分野で独自の新しい立場を主張するために出版される非営利の小雑誌。

ベンガルならどこででも行われているアッダー(adda)は、世界中のどこにも見られない集会の仕組みであり、本や読書とは切り離せない存在である。アッダーとは、おおまかに言うと、特別な議題があるわけではなく、自由な対話のために人々が集まる仕組みである。それは議論的、論証的、批評的、創造的であり、ときにパフォーマンスを伴うこともある。お茶、タバコ、簡単なお菓子代を除き、お金はほとんどかからない。ただし、アルコールにより白熱するアッダーも少なくない。アッダーは、道端のお茶屋や飲食店で行われる。例えば、カレッジ通りにある有名な「コーヒー・ハウス」は、人々の記憶に残る刺激的な文学談義が交わされるアッダーで知られており、もはや都市伝説の地位を築いている。流行歌や詩にもなっている場所だ。アッダーは、近所の玄関先や誰かの自宅など、時間に余裕があり、伝えたい意見がある2人以上の人間が集まる場所ならどこででも始まり得る。アッダーは、読書の習慣と同じように、知的好奇心やアイデアに対する情熱を言葉で表す表現形態なのである。

ベンガルにおける読書文化の「象徴」を概観して明確にわかることは、読書文化は階級を超えたものであり、特権階級やエリート層に限られたものではないということである。書籍や文献は、女性はもちろん一般の人々の手が届かないような象牙の塔に隔離されているわけではない。「ベンガルで石を投げれば詩人にあたる」という有名なジョークがある。全ての一般論と同じように、これも真実に基づいているのだ。読書をする若者が減少傾向にあるという最悪な声を尻目に、ベンガルにおける本と読書に対する愛は、ほかの芸術に対する愛と同様、健在である。本に対する興味が失われつつある世界において、これは読書文化の最後の砦のひとつとなるのかもしれない。そんな気がしてならない。


アンジュム・カティヤール
編集者、ライター、翻訳者および批評家として数十年にわたり芸術出版に携わる。演劇に関する著書に、『Habib Tanvir : Towards an Inclusive Theatre (ハビブ・タンヴィル:インクルーシブな演劇に向けて)』、『Sacred to Profane: Writings on Worship and Performance (インド礼拝パフォーマンス論集)』など。Apeejay Kolkata Literary Festivaのディレクターを8年間務め、現在は「SantiniketanNEW~芸術と発想の祭典~)」のキュレーターを務めている。詩人としても活躍。