インドにおけるフェミニズム書籍の著者と読者―ウルワシ・ブターリア

Report / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(インド)

1970年から80年代にかけて、インドにおける女性運動はダイナミックで活気があった。全国各地のさまざまなグループが、不平等、法制定における差別、結婚に関する権利、女性に対する暴力、健康問題、労働の権利、貧困、その他の多くの問題を取り上げていた。女性の抗議の話題がメディアでしばしば取り上げられ、公務員や州の役人は一日おきに数々の要求を聞かされ、街中にはスローガン、ポスター、歌が溢れていた。

私と同世代の女性たちがフェミニズム運動に参加するようになったのは、このような高揚した時代のことであった。私が大学生だった1960年代後半から70年代前半にかけ、周囲では女性の権利について盛んに議論され、誰もが抗議運動とデモに打ち込んでいた。大学卒業後、自然と私たちの生活は専従あるいはパートタイムのフェミニズム活動家としての活動が中心となり、仕事や家庭は二次的なものであった。

そうした活動に深く関われば関わるほど、自身が向き合っている問題、声を上げている問題についていかに無知であるかについて気がつき始めた。私たちは、事態がひどく悪化していたことを本能的には分かっていた。しかし、どうしてそんなに状況が悪化しているのか、どういった経緯でいま目の前で起こっている状態が惹起されたのか、またこうしたことをどうやって知らしめればよいのか、私たちは何もわからなかった。

当時、私は自分の活動と並行して、大学卒業後初めての仕事に就いたばかりであった。私は出版社で、毎日のように本に接していた。すぐに、私の周りにあるすべての本は男性が書いたものであり、また、大部分の本が男性についてのものであることに気づいた。どの本にも女性は取り上げられていなかった。ショックだった。私たちが自らの活動で扱っている問題について無知であるのは、そうした知識を得ることができないこと、例えば女性に対する暴力や女性の権利について教えてくれる本がないためだということに気づいた。では、女性がこのような状況に置かれているのはなぜか、どう理解すべきか?

少しずつ、私の心の中で1つの考えがまとまり始めた。つまり、女性に関する本や、女性が書いた本、女性が直面している問題に焦点を当てた本を作り、世に出すことである。でも、どうやって?私の雇用主たち―全員が比較的きちんとした男性―は、私がこうした提案をしても興味を示さなかった。それで、自分がやらなければならないとやっと決心したのである。

インドで初めてのフェミニズム系出版社、Kali for Womenはこのような衝動から生まれた。私の頭の中で考えが膨らんで形になったとき、同じ出版社で働く同僚が参加しても良いか尋ねてくれ、間もなく自分たちの出版社を設立することとなった。

そのころ、一般大衆は女性による著作やフェミニズム文学についてほとんど知らなかった。私たちが出版を開始し、本が市場に出回り始めると、少しずつ考えが受け入れられ、興味を持つ人が増えていった。だがそれは多くの場合、容易なことではなかった。「フェミニズム文学か。自分たちには関係ないな。それは女性だけのものだろう。」と言われもした。しかし、市場にはそうした抵抗を乗り越える力があった。大手の出版社は、私たちが新たな可能性を持つ市場を見出したということが分かると、こぞって参入し、女性が書いた本の出版を始めるようになったのだ。

現在、出版することと草稿を読むことは、インドにおける英語使用社会では非常に異なる(さらに、英語はインドで出版をする言語のうちの1つに過ぎず、他にも非常に多くの言語と、さまざまな市場や歴史がある)。今やあらゆる出版社が、女性の書いた本を出すことに関心を持ち、女性の作家には、かつて以上に幅広く多様な選択が用意されている。出版される数の点でも状況は変わり、女性が書いた数多くの本が出版されている。

しかし、これらの本は誰が読んでいるのだろう?これは、簡単に答えの出ない問題である。私たちがKali for Womenを設立した1980年代のような状況と比較すると、ずっと多くの本が市場に出回っていることは疑いがない。出版社がそうした本を出版し続ければ、一般大衆はきっと読んでいるのであろう。しかし、市場というのはそれほど単純なものではなく、読むという習慣に影響を与えるようなさまざまな発展が生じたのである。

第1に、書店の浮き沈みである。90年代後半、多くの書店チェーンが地下鉄の駅や、ショッピングモールに出店し始め、急成長が期待された。しかしそうした成長は実現せず、不動産価格が急騰するといくつかのチェーンは閉店した。ただ、生き残ったチェーン店もあり、本はさらに身近な存在となった。

第2に、オンライン販売の参入である。インド最大のオンライン販売会社の1つであるFlipkartは、書籍販売を中心に事業をスタートさせた。これにより、書店に行くことができない人や書店が近くにない人、店に行くための時間を費やしたくない人たちが本を購入できるような機会が広がった。Flipkartには、他の小さなオンラインプラットフォームが加わり、その後は多くの国同様にAmazonが参入した。

第3に、インターネットの発達とその普及である。現在、インターネットに接続できるインド人は、全人口の約13~15%に過ぎない。これは割合としては少ない数字かも知れないが、人数として見るとかなり多い。本の販売にインターネットは必ずしも貢献したわけではない(実際、インターネットはしばしば著作権侵害や本の無料配布を助長し、出版社にとって悩みの種となっている)が、本の普及と流通を促進し、FacebookInstagramおよびTwitterで話題になったり議論されたりすることで本の販促に新たな可能性を広げていることは確かである。

インドでフェミニズム運動を成功に導いた要因の1つは、学術機関にフェミニズムと女性学研究が取り入れられたことである。研究分野としては控えめにスタートしたものの、女性学(現在では、ジェンダー学と言われることもある)は大きく発展を遂げ、多くのコースで必修科目となっている。これにより、あらゆるジェンダーの学生がフェミニズムの歴史とフェミニストによる視点に興味を持ち、フェミニズム文学を読むことに対する関心を高めることにつながった。

こうしたことは、私たちが女性運動の戦いに勝利し、女性による書籍が主流となったことを意味するのか?そうではない。まだやるべきことは多く残されている。何年にもわたって、数多くの本が女性によって書かれ、フェミニズム文学と定義されるものは増えているものの、まだインドの女性の多様性とさまざまな現実が明らかになっているとはいえない。最初期に出版された本は、都会的で教養のある、読み書きのできる女性によって書かれていた。初期の段階では、例えば北東地域やカシミールといった周辺の地域や言語集団、そしてなにより、低カースト、少数派の宗教、「部族」や民族といった主流ではない、取り残された女性の声に耳を傾けることは困難であった。

このような地域や属性の女性の声を注目すべき題材として選んで紹介することは、それが利益にならないということがわかった上で、独立した若い出版社によって行われるようになった。独立系の政治的に熱意のある出版社にとっては、主要な動機は利益を上げることではない。彼らは、今日ビブリオ・ダイバーシティ(Biblio-diversity)として定義される、真に多様な出版と読書の文化を創造し、構築することを重視しているのである。

こうした動きは、近年、アイデンティティ・ポリティクス(identity politics)や気候変動、環境、政治参加、人権といった大きな政治的問題を見過ごせないような文化の中で育った若い読者、とりわけ都会に暮らす者たちから多大な支持を得てきた。こうした、より広く大きな現実の中で、これまで聞き落されてきた小さな声が集まり、力を持つようになっている。

こうした興味深い展開が、感染拡大と厳しいロックダウンによって経済的苦痛、失業、必需品と日用品の値上がりを生み出す社会において不均衡が悪化した時から約2年経ったいま生じているというのは皮肉なことである。書くことと読むこと、そして女性が書いた本を広める文化は、こうした最近の事象に呑み込まれることなく存続するだろうか?このことは、私たちが未来に向かって進んでいく際の大きな問いである。疲弊した市場は回復するだろうか?読書の習慣を失った人々は、立ち直り、再び読書に興味を持つようになるだろうか?こうした問いこそ、現在の私たちが抱えている課題である。


ウルワシ・ブターリア
フリーの編集者、著作家。インド初のフェミニズム系出版社Kali for Womenの共同創設者であり、現在は、同社の流れを汲むZubaan社のトップを務める。40年近くにわたって、ジェンダーと女性のさまざまな問題に関するインド人女性の活動と著作、出版に幅広く携わってきた。著作『沈黙の向こう側』(明石書店、2002年)では、2001年にOral History Book Association賞、日経アジア賞文化部門を受賞。インド政府から贈られるパドマシュリー勲章など多数の受賞歴を持つ。デリー在住。