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行間を読む―ヴェーンカテーシュ・M・スワーミー/スワティ・ロエ

Report / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(インド)

インドにおける児童文学は良い方向に向かっている。児童文学は子どもたちの手の中にあり、より多くの子どもと家族が一緒に読書をするほど、コロナ後の先行きは明るくなる。

「人間らしい生活を送るための、生きる権利と表現の自由の行使は、本なくして、その完全な意味をなし得ない」

先月(2021年9月)、プネーに拠点を置く団体が、ボンベイ高等裁判所にて、上述の主張に基づき、エッセンシャルサービス・メンテナンス法(ESMA)に基づく必須のサービスの中に書籍販売を含めるよう嘆願を行った。この団体はマラーティー語の書籍を発行する複数の出版社から構成される団体で、南部のケララ州の政府がパンデミック中、本の販売を必須のサービスであると率先して宣言していた例にならうよう要請していた。

コロナ禍が想像を絶する惨事をもたらしたとき、各家庭にはさらなる困難が静かに迫っていた。窮屈な自宅で過ごすことを強いられた子どもたちは、精神的に辛い時間を過ごすこととなった。友達とも会えず、遊ぶこともできず、出かけることもできない。そして、唯一子どもたちに残されたのが、その目的が教育であれ娯楽であれ、さまざまなサイズの「画面」であった。人間の目や脳が耐えうるスクリーンの視聴時間は限られている。このことは、さまざまな形態や問題となって現れた。

親たちはこのような状況にどのように対応したのか。そして何よりも、子どもたち自身はどのように対処したのだろうか。

2020年3月半ばのパンデミックとそれに続くロックダウンが始まった頃から、デジタル形式による読み聞かせ、ワークショップ、読書についてのセッションなどが数か月間にわたって盛んに開かれた。しかし、やがてオンライン授業が自然と優先され、スクリーンの見過ぎによる眼精疲労が子どもたちを襲うようになり、初期の頃の熱は冷めていった。

誰もが新たな日常への対応を迫られていた。人との接触がない世界。地元の図書館であれ、学校の図書館であれ、本屋や図書館へ行くことは論外であった。生活が停止したとき、年齢や貧富の差に関係なく、多くの人たちが癒しを求めて読書に走った。二輪車に載せられた移動図書館が出稼ぎ労働者の子どもたちの元へと本を運び、本屋が読者の求める本を届けようと努力を惜しまず、親は子どもに絵本を読み聞かせ、あるいはパンデミックをものともせず子どもたちが恵まれない子どものために図書館を運営する。本好きな人たちや本屋が底力を発揮し、心温まる話が次々と聞かれるようになった。

自ら進んで、何時間も続けて次から次に本を読む自分の子どもたちを見て、我々の友人たちは驚いていた。そうした子どもたちの多くは、パンデミック以前はほとんど読書をしていなかった。我々が話を聞いた書店の店主は、自宅から出られない、あるいは自宅を出たがらない顧客に本を届けるために、ロックダウン中、スタッフ用に「外出許可」パスを取得したときの経緯を話してくれた。

読書は、あらゆる対処法に勝るとも劣らない対処療法となった。ストレスの大きい場面や時間を過ごし、不安や予測できない状況に直面した子どもたちは、読書に頼ることでその苦難に対応しようとした。憂鬱な気持ちを一掃するのに、子ども向けの本ほど有効なものはない。それは、大人も同様である。読書療法は、困難な状況に対処する確実な方法として認められてきた。1997年の論文『A Parent’s Guide to Helping Children: Using Bibliotherapy at Home(親が子どもを手助けするための手引き:自宅で読書療法を活用する)』の中で、コネチカット大学のメアリー・リッツァは次のように述べている。「読書療法が有効なのは、子どもが自身の問題から一歩下がって客観的な視点から体験できるようになるためである。自分の感情を探るための安全な空間を子どもたちに提供することができる。そして、ストレスを抱える子どもに対処しなければならない大人にとっては、センシティブなテーマを切り出す上で子どもたちへの脅威とならないような方法を提供してくれる。また、読書療法は会話のきっかけとなるものであり、会話を終わらせるものではないということを記憶に留めていてほしい。読書療法はコミュニケーションを始めるために用いられるべきものなのである。自身の意図を子どもに理解してもらおうと期待して子どもに本を手渡すことは、その手助けとはならない。つながりが必要であり、オープンな表現が行われるべきである」

この論文が発表されてから四半世紀近く、新型コロナウイルス感染症が未曽有の大惨事を引き起こしている現在だからこそ、このことは一層の真実味を帯びていると感じられる。

2020年の暗い日々に対処する方法として生まれた読書の習慣は、今でも親子たちの中に根付いている。我々が訪れたある本屋では、(それまでリモートで知り合ってさえいなかった)親子を集めてフロアに座ってもらい、本の楽しさを語ってもらう機会を提供していた。子どもたちにとって、何か月も隔離が続いた後に、読書を通じて他の子どもたちと対面することは、想像を絶する魅力的な出来事だった。当初のためらいはいつの間にか消え去り、子どもたちは久しぶりに会う友達のように仲良くなっていた。

では、今後は何が待ち受けているのか?

各都市の移動制限が解除されるにつれ、多くの本屋では、児童書の売り上げが前月比プラスになった。親たちは、読み聞かせや読書を通じた対面での交流を楽しみにしている。もはや外出は制限されていない。対面での子ども向けの文学祭や書籍関連のイベントは、慎重を期して再開されつつある。世界規模では、フランクフルト・ブックフェア(Frankfurt Book Fair)が2021年後半の開始日をすでに発表済みである。(2021年10月現在)

デリーでは、Bookaroo児童文学フェスティバル(Bookaroo Children’s Literature Festival)が、2021年11月最後の週末に次回開催を予定している。さらに、ニューデリー・ワールド・ブックフェア(New Delhi World Book Fair)は、2022年にも開催予定であることを発表済みだ。本屋や図書館もまた、訪れる子どもたちと同じ熱量をもって再開し始めている。このような進展は、パンデミック中に灯された火がさらに明るく燃え続けることを約束するものである。

このような読者はいったい何を読んでいるのか?

これまでの20か月間、希望に関する面白い本が数多く登場している。思い浮かぶのは、『A Bend in Time(時間の曲がり)』(パンデミックにどう対応したかについて質疑応答形式で子どもたちが書いた本)やラスキン・ボンド(Ruskin Bond)の短編物語集『It’s a Wonderful World(素晴らしき世界)』で、作中には著者自身のロックダウン時の経験が記されている。パロ・アーナンド(Paro Anand)の『Unmasked(マスクを外す)』は、パンデミック期間中の絶望、勇気、そして希望についての物語集である。あらゆる人を対象に本が出版された。子どもだけでなく、大人が楽しめる作品も、だ。K.サチダーナンダン(K Satchidanandan)とニシ・チャーウラー(Nishi Chawla)編集の『Singing in the Dark(暗闇で歌う)』のために100人以上の詩人が集まり、パンデミックに関する詩のアンソロジーが編纂された。

幼児や乳児たちを対象とした本も例外ではなかった。複数の出版社が、0~4歳児向けの絵本を出版した。その中には、楽しい詩を通して手洗いやソーシャルディスタンスに関する情報を伝える『What is a Virus?(ウィルスってなあに?)』や『Washy Wash and other Healthy Habits(お手々を洗う子、元気な子)』などがある。それから、『Smiley Eyes, Smiley Faces(ニコニコおめめとニコニコ笑顔)』も出版された。同書は、インタラクティブな方法でマスクを着用する大切さについて教える本である。

『Letters from Lockdown(ロックダウンの街からの手紙)』では、ロックダウン中の有名人の体験、対処法、活動について詳しく紹介されている。しかし、各家庭で読まれていたのはロックダウンに限った内容の本だけではなかった。隔離開始後、子どもたちは実にさまざまな本を読んできた。少なくとも都市部の家庭では、自宅でより多くの時間を過ごすようになり、そこに読書に励んだ親がいたことで、次の段階にステップアップしていった子どもたちもいた。学校という選択肢が奪われたことで、恵まれない家庭の子どもたちは、読書をあきらめるしかない場合もあったが、多くの公共図書館では、さまざまな手段を使って子どもたちの読書に対する支援が行われた。

不要なマントを脱いでいくかのようにかび臭さとさび臭さがそぎ落とされていく中で、児童文学と読書の未来は、今まで以上に力強く、活発なものになっていくだろう。


ヴェーンカテーシュ・M・スワーミー/スワティ・ロエ
デリーのBookaroo児童文学フェスティバル(Bookaroo Children’s Literature Festival)のフェスティバル・ディレクター。