郷土芸能がもたらす未来への可能性 「三陸国際芸術祭&Sanriku-Asian Network Project」報告会レポート

Report / 三陸国際芸術祭&SAN Pro報告会

サンフェスがもたらす新たな視点

サンフェス 気仙大工伝承館の写真

第三部として行われたパネルディスカッションのテーマは、「東日本大震災から5年、文化芸術による復興からオリンピックへ」。ニッセイ基礎研究所の吉本光宏さんをモデレーターとして、「みんなのしるし合同会社」の前川十之朗さん、「文化芸術による復興推進コンソーシアム東京事務所」の桜井俊幸さん、「全日本郷土芸能協会」の小岩秀太郎さん、舞踊批評家で群馬県立女子大学の武藤大祐さん、そして「アーツカウンシル東京」の石綿祐子さんと、多彩なメンバーが結集。サンフェスを通じて期待される震災からの復興、郷土芸能の価値、そしてオリンピックへの可能性と話が展開してきました。

まず、コーディネーターとしてサンフェスに携わっている小岩さんは、郷土芸能の専門的な立場から、サンフェスの功績を語ります。

「郷土芸能は地域に密着したものなので、『芸術』という名称を使うことや、プロのダンサーたちが習いに来るといった発想はなかなか得られません。外の世界からの視点を導入することで、サンフェスは郷土芸能だけでは成し得なかった新たな視点を与えてくれました」

また、アジア各国を中心に、コンテンポラリーダンスを批評する武藤大祐さんは、初年度のフィナーレとして行われた『三陸・韓国・インドネシア 郷土芸能の競演』に度肝を抜かれたそうです。

「コンテンポラリーダンス的な発想で、韓国の農楽、バリのガムラン、東北の鹿子踊が、一斉にフィナーレで上演されました。それは、足し算をしたシンプルな発想ですが、そんなハチャメチャな発想は三陸の中だけでは起き得なかったはず。そこには、郷土芸能と、コンテンポラリーダンスとの化学反応が起きていたんです」

郷土芸能に、コンテンポラリーダンスという「外側」の視線を導入することで生み出される全く別の価値。それは、郷土芸能を活き活きと現代に提示します。しかし、世間的なイメージでは、先祖代々受け継がれてきた郷土芸能は、「変化」の波を嫌うものではないでしょうか? 岩手県の出身で、自らも行山流舞川鹿子躍の伝承者である小岩さんは、そんな固定観念をこのように覆します。

「郷土芸能が培ってきた『伝統』は変えてはいけないものではありません。郷土芸能は、ただ守るだけでなく、更新していくもの。臼澤鹿子踊も、継承者たちが楽しくやるためにどんどんと芸能を更新しているから、次の若い世代が『もっと更新してやろう』というモチベーションを保っているんです」

ただ守るだけではなく、更新しながら受け継いでいく。そんな視点で郷土芸能を捉えると、これまで郷土芸能に対して抱かれてきた「古いもの」「伝統に縛られたもの」というイメージは大きく変わります。「更新」というパワーをバネにしながら、郷土芸能は現代にまで継承されているのです。

5年を経た被災地の「疲れ」

集合写真

震災は、東北の地に甚大な被害をもたらしましたが、一方で、芸能を行う人々に対して変化も与えました。全国から東北に注目が集まるなか、この地で育まれてきた郷土芸能の魅力に多くの人が気づくようになります。小岩さんによれば、震災を受けた当初は、外部からの支援や注目を集めることで、自らを自覚する芸能や、数十年ぶりに復活を果たすような芸能も少なくありませんでした。

しかし、震災から5年が経過し、三陸の様子も大きく様変わりしていきます。復興の時間を積み重ねていく中、当初は勢いに満ちていた芸能にも、徐々に疲れの色が見えてくるようになりました。

「芸能が復活しても、続けるための人がいなかった、あるいは地域づくりが追いつかず、続けられないケースなども見られます。芸能に携わる人々は、これまで5年間、一生懸命活動をしてきました。今は、疲れている状態かもしれません」

また、前川十之朗さんは、2012年から三陸に住み、その変化を現地から見てきました。その目にも、やはり被災地の「疲れ」は、誤魔化しようのないものとして映り込んでいます。

「2011年~12年頃は、Iターン、Uターンした若者が、支援系NPOを立ち上げました。しかし、2014年ごろから、彼らは東京や仙台に戻るようになっていきます。陸前高田では、若い人々が去ってしまい、少し落ち込んでいるような状態なんです」

5年という月日は、震災の記憶を風化させるには充分な時間であり、人々の関心が、東北から徐々に薄れつつあることは否めません。しかし、文化芸術活動を通じて被災者の心の復興に寄り添ってきた桜井さんは、その経験から今こそ文化芸術による「心の復興」の必要性を力説します。

「阪神大震災の時にも、1年半を過ぎたらメディアやボランティアも寄り添う人は少なくなっていきます。昨年のデータによれば、福島では、震災で直接亡くなった人よりも、震災後に亡くなった人の数のほうが多くなっているんです。風化しつつある今だからこそ、被災者の心を支えてかなければなりません」

そして、そんな桜井さんの言葉に深くうなずきながら、佐東さんはサンフェスが果たす「これからの復興」を語りました。

「これまでの5年間は、いろいろな地域を知る準備期間だったと考えています。これから、陸前高田には10メートルの盛り土が行われ、新しい街が生み出されていく。そんな新たな街で、人と人をつなぐものとして芸能や芸術は役割を果たせるのではないでしょうか。今まで準備してきたことが、ようやくこれから発揮できると思っています」