東京にあるダンスの可能性 shoji×石井達朗対談

Interview / DANCE DANCE ASIA

ストリートカルチャーは成熟していないぶん、新しい流行が生まれ、どんどんスタイルや価値観が変化していくことに魅力がある。(shoji)

―石井さんは、舞踏やコンテンポラリーダンスを中心に、世界各国の多様なダンスを研究されていらっしゃいますが、それらとshojiさんが活躍されているストリートダンスは、同じダンスでも領域がまったく違いますよね。

石井:劇場中心のダンスの世界にいると、なかなかストリートダンスの実態を知る機会がなかったんですが、今回「DANCE DANCE ASIA―Crossing the Movements」、「Shibuya StreetDance Week」の『A Frame』を集中して観て、驚きの連続でした。コンテンポラリーダンスが遠ざけてきたエンターテインメント性や、近年ないがしろにされがちだったテクニックにも焦点が当てられ、新しい大きなダンスの流れを作ろうとしている。ストリートダンスは、個人のテクニックを競うバトルの印象が強かったんですが、たとえばs**t kingzのパフォーマンスは、緻密なチームワークで動きのハーモニーを作り出し、構成にも緩急をつけていて、これまでと違うストリートダンスの魅力を感じました。

公演の様子の写真

「DANCE DANCE ASIA―Crossing the Movements」 東京公演 s**t kingz
©Tadamasa Iguchi / DANCE DANCE ASIA

shoji:ありがとうございます。たしかにストリートダンスにはバトルの文化が基本にあって、動き自体もリズム重視のものが多く、全体の世界観を表現する作品はあまりありませんでした。ただ昔に比べると、テクニックの競い合いから表現の模索へと流れは大きく変化しています。アメリカのダンスコンテンストでも、「反戦」「あるカフェの1日」といったテーマやメッセージ性を持った作品が非常に多いです。

石井:ストリートダンスが、ヒップホップの音楽でテクニックを競うだけでなく、さまざまなサウンドを使い、より明確な作品としての方向性を意識しはじめたことは新鮮です。アメリカのストリートから生まれたヒップホップカルチャーには、もともと政治や社会への不満や告発を表現するというメッセージ性もあったわけですよね。じつは日本のコンテンポラリーダンスも、海外のシーンから見るとコンセプトの弱さを指摘されることが多いんです。作り手を見ていても、自分の作品を作るチャンスを与えられたのはいいけれど、ポップカルチャーの表層で遊んでいるだけにとどまるものも多く、その表層にオリジナルな創造性が加味されないと、限界を感じることがあります。

shoji:ぼくが最初に「ストリートダンスでも人に伝わる作品を作れるんだ」と知って衝撃を受けたのは10年前、大学4年のころなんですが、ストリートカルチャーは深い歴史がなくて成熟しきっていないぶん、若手がシーンを引っぱっていくことが多いんです。新しい流行が生まれ、どんどんスタイルや価値観が変化していくことにも魅力がある。たった一人のダンサーの登場で一気にゴロッとシーン変わって、それが世界的なうねりにつながっていくのを感じられるのが楽しいんです。

インタビュー中の写真

左から:shoji、石井達朗

石井:ストリートダンサーは、ふだんの稽古やバトルなどを通してそれぞれ自分のスタイルやテクニックを作り上げていて、いわば一国一城の主でもあると思うのですが、チームで1つの作品を作る場合、意見は一致するものなんですか?

shoji:ここ数年、ストリートダンス界でもチームで作った作品を見せる傾向が強くなってきて、コラボレーションもわりと気軽にあちこちで行われているんです。s**t kingzも、数あるコラボレーションを通して、一緒にやっていく仲間としてお互いに感じるものがあり、この四人でなにか新しいことをしたいと思ってスタートしました。

石井:ソロよりチームワークを見せるダンスといえば、土方巽の『禁色』(1959)に端を発する「舞踏(butoh)」は、1980年代に複数のダンサーによる独特の動きの連係を展開して世界に衝撃を与えました。当初のおどろおどろしく屈折した作風から、30数年かけて類のない方法論を確立させてきたんですね。その代表に山海塾と大駱駝艦があります。他方、大野一雄や笠井叡のようにソロで即興性を見せる舞踏家もたくさん出てきています。

shoji:ぼくらがアメリカの大会で入賞(ダンスコンテスト「BODY ROCK」で2年連続優勝)したときも、特に高く評価されたのは少人数で表現する作品全体の構成でした。アメリカのダンサーの感性や曲の解釈とは違う、日本人らしい感覚や、緻密さ、丁寧さが評価されたみたいです。言葉の壁を逆手にとって、独自の作品を見せようとしたことが新鮮だったのではないでしょうか。