いま映画界に起きている変化と、次世代について思うこと
松本:1987年にシンガポール国際映画祭が始まって以来、様々な形で映画に関わってこられて30年近くが経っていますが、その間に大きく変化したことは何でしょうか?
チア:これは以前から言っていることなのですが、大きな変化というのは、世代交代だと思います。私たちの世代が今、重要なポジションから去っていく時代に入ってきていて、この5年間くらいで若い世代が台頭してきています。
ただ私には、若い世代が、既にあるものを知らないまま、私たちが過去に学んだことを繰り返し学んでいるように見えます。おかしなことですね。
映画学校で教鞭を取っている友人たちは皆、“学生たちは映画を見るのが好きではない”と言います。歴史を教えるのは難しいことだとは思いますが、これはとても不思議なことです。なぜ、彼らは映画を見るのが好きではないのに映画を学ぼうとしているのか? ひょっとしたら、プログラマーの人たちも映画学生たちと同じように、映画を見るのがそれほど好きでないのか?と疑ってしまいます。
正直なところ、その状況に対して自分は何をすべきかということが私にはわかりません。現代は、様々な情報、メディアの選択肢、映像を見るプラットフォームなど、何もかもが多すぎます。誰もが全部をつかまえようと走り続けていて、自分が興味のある事柄に対して、知見を深めるための時間が足りないと感じている……そんな状況だと思います。それに対する有効な手立てが、私には見えません。
松本:映画学校の学生でも、自分の映画を見て欲しがる生徒は多くいますが、他者の作品を見る生徒は少ないですね。
私の場合は、映画を見て、その映画が素晴らしいので友人たちに伝えたいと思うんだけども、言葉ではうまく伝わらない。そこで、何人かを誘って映画に行って、みんなでその映画の話をする……そういうことが段々と広がっていって、今の仕事につながっていますね。
チア:それこそがやるべきことじゃないでしょうか。
松本:チアさんご自身は、仕事をやりながらプログラミングを独学で習得されていったということですが、若い世代の育成については何かお考えになっていますか?
チア:そうですね、自分がこれまでやってきた映画祭の仕事を通じて、若者を育成してきていると思っています。例えばインドネシアでは、ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭を共同創設して、現地のプログラマーたちと共に活動していますが、私の方法というのは、非介入的な手法と言えると思います。まず私が何本かの映画を推薦しますが、あとは彼らに選ばせるんです。
どの作品を選ぶかということについては、よっぽどおかしな判断をしそうな時には「ちょっともう1回考え直したら?」と言ったりもしますが、基本的には口を出さずに見守っています。
「こうしなさい」ということは言いたくないので、彼らの学びや、彼らが自らの考えに気付くための手助けをしていますが、介入しない、ということは非常に禅的な方法だと思います。
松本:確かに、映画をプログラミングする方法はひとつではなく、決まった型もない。映画との出会いからこそ、プログラミングは生まれるのでしょうね。しかもその映画は、一人ひとりの内部で再構築される。それが、各々のプログラミングに活かされていくのだと思います。
チア:映画を選ぶ人間として、衝撃的で忘れられない心の中のイメージがあるんです。タイタニックが沈没し、自分は生き残ってライフボートに乗っているという時に、周りの海の中にはたくさんの映画が浮かんでいて、どれを助けなければいけないのか……ということを突きつけられているシーンなのですが、一体私は誰を救えばいいのでしょうね。
松本:プログラマーとして数多くの仕事をなさってきた中で、特に記憶に残っていることはどのようなことですか?
チア:初期の頃、東南アジア映画のレトロスペクティブ企画をやっていた際に、よく上映作品の監督と一緒に映画館の会場に立って、果たして観客は来るだろうか……と心配しながら見守っていた記憶がとても強く残っています。当初はお客さんがなかなか来なくて。6年ぐらい経って、段々と観客もそうした企画を好むようになり、ようやく軌道に乗ってきたかなという感じがしたものです。観客が育つにはかなり時間がかかるんですね。
松本:そうですね、私も、観客が本当に集まらない企画はたくさんやっています。観客が1人という時も。
チア:敬礼します。
松本:彼は遠慮して、帰ろうと思ったらしいのです。そこで、彼を説得しました。途中で遅れてくる人もいるかもしれないから、って。でも結局遅れてくる人は1人もいなかった。だから、最後まで1人でした。
アジアの未来/映画の未来の行方
松本:最後に、アジアの未来や映画の未来についてお考えがあれば、お聞かせいただきたいです。
チア:アジアの未来は明るいと思いますが、同時に怖くもあります。なぜなら、アジア人の多くは、自らのアイデンティティをいまだに自覚していないのではないか……と思うからです。
例えば、アジアの映画業界の人たち、配給会社の人たちなどのマーケティングの考え方を見ると、まだアジアのマーケットに対する信頼がないから、すぐ欧米を向いてしまう。しかしながら、欧米のマーケットは自分たちが支配しているものではないので、思うように価格を設定したりすることができない。自国の人々に対する適正価格に落としこめない。そういうアンバランスな関係性だと感じます。
また、監督自身を見ても、「自分はアジア人の監督である」と言いながらも、欧米の映画祭から招待されれば、そちらに飛びついていくんです。「君の自尊心は一体どうしたんだ?アジアの映画祭は今、既に評価を得ているにもかかわらず、彼らを信用することはできないのか?」と問いたいですね。
1980年代にはアジアにはまだそれほど映画祭はありませんでしたが、今は素晴らしい映画祭が多く存在していますから、そろそろ私たちの立ち位置を見つめる時期に来たのではないか?と私は思います。
チア:先ほどの話に戻りますが、この仕事は育てることに時間がかかる業界ですよね。観客が少ないことに関しての不安は、本当に共感できます。
松本:確かにそうだと思います。
先日、ある日本人の映画監督と話をする機会があったんです。それまで一度も話したことはなかったのですが、1980年代に私のところでずいぶん映画を見ていました、と言われました。その時、すごく嬉しかったんです。やってきてよかった、と。最近一番嬉しかったのはそのことです。
チア:それが原動力ですよね。
松本:原動力です、本当に。
【2016年10月30日、国際交流基金アジアセンターにて】
聞き手:松本正道(まつもと・まさみち)
シネマテーク・ディレクター。1979年よりアテネ・フランセ文化センターのプログラムディレクターとして年間200本以上の世界の映画を上映。98年より映画美学校の共同代表。2009年から官民が協力して映画上映の場を確保するコミュニティシネマセンターの活動にも理事として携わっている。
写真:村田裕子、滝本亜魅子(国際交流基金アジアセンター)
構成:財徳薫子(国際交流基金アジアセンター)