女性ダンサーが語る、満員電車で培われた日本人の文化と個性 山田うん×北村明子対談

Interview

私たち日本人にとって、外国は「海の外」でまったく別の世界というイメージ。正確にはボーダーという概念がないと思うんです。でも、現実はそうじゃない。(山田)

―山田さんは、その会議でどういう話をされたんでしょうか。

山田:女性のアイデンティティーにまつわる話を期待されていたと思うんですけど、そもそも日本人には「アイデンティティー」という概念があまりないじゃないですか。その必要がないというか。ほとんどみんな先祖代々日本人で、閉ざされたカプセルみたいな島国だと思うんですね。だから、そういう私が女性とか男性とかいった「アイデンティティー」を語ること自体がなんだか不自然に感じるって話したら、まったく理解してもらえなかった(笑)。

―山田さんのソロ作品、『ディクテ』(2011年初演)では、いろんな文化やアイデンティティーの問題をテーマにされていましたよね。

山田:その会議でも『ディクテ』の一部を上演しました。『ディクテ』はアイデンティティー、ルーツ、ジェンダー、言語、身体について切り込んだ、実験的な叙情詩ですが、私は言葉ではなく徹底的に身体を使ったプレゼンをしました。私たち日本人は、外国のことを「海外」と呼びますよね。外国は「海の外」でまったく別の世界というイメージなので、正確にはボーダーという概念がないと思うんです。でも、現実はそうじゃないということを、いかに日本の人たちに伝えられるか、というのが『ディクテ』を作ったときの私の関心だったんです。

公演中の写真

山田うんソロダンス『ディクテ』(2013年、世田谷パブリックシアター)©Yoichi Tsukada

―会議での反応はいかがでしたか?

山田:みなさん関心を持ってくれましたが、「自分たちはここまで向き合わない」って言われましたね。当たり前のことなので(笑)。多文化主義の国では、他者と関わるときにはユーモアで乗り越えるか、差異に触れないか、そのどちらかが定番の対応になっているんです。十分、洗練されているんですね。

ダンスって本当は中性的なもの、性に縛られないものだと思うんです。男の人でも、女性のように手をヒラッとさせた動作をしたいときがあると思うんですよ。(山田)

―なるほど面白いですね。その会議の影響があったのかはわかりませんが、『ワン◆ピース』マレーシア版では、男性版(2014年初演)と女性版(2004年初演)の要素を足したと聞きました。これはどういう意図だったんですか。

山田:ダンサーにとって「女性的な動き」って、じつは自然なことで、ダンスって本当は性に縛られないものだと思うんです。男の人でも、女性のように手をヒラッとさせた動作をしたいときがあるはずだし、自然にやっているときもある。社会的地位とかイメージでかき消されているだけで。見た目の性ではなく、その人の持っているエネルギーがいかに中性的か、そこにダンサーの魅力を感じます。マレーシアの男性ダンサーもインド系・中国系・マレー系の伝統舞踊をたくさん身に付けていて、ものすごくしなやかに動けるので、男性版・女性版を混ぜた形が「自然」にできるなと思ったわけです。

公演中の写真
山田うん『ワン◆ピース』(マレーシアキャスト版) ©Simon & Riona, Photolink Enterprise.

北村:私もはじめて男性と一緒に作品を作ったのは大学卒業後だったんですが、どう扱っていいのかわからず、ギョッとした覚えがあります。でもいろんな可能性が見えて、いわゆるリフトとかの身体機能のみならず、「男性の身体が醸し出す、女性らしさ」のカッコよさを感じました。うんさんは「中性的」という表現でしたけど、私は、男性が色っぽく、女性っぽく見えるときのゾクゾク感と、男性がステージに立つことによって、女性ダンサーが雄々しく見えるという逆転現象が面白いなと思いましたね。

東京の人の多さとスペースの少なさを体験してもらえたら。狭いなかでもパワフルに、ポテンシャル高く立つというのはどういうことなのか。(山田)

―ここ数年、日本と他のアジアの国との文化交流は活発になっているように感じますが、ダンスを通して文化の違いを感じることはありますか? 『ワン◆ピース』(マレーシア版)では、マレーシアのダンサーたちが、規則に合わせて幾何学的に動くのがすごく大変だったと聞きましたが。

山田:もう最初から、絶対ストレスになるだろうと思っていましたね(笑)。だからまず日本人の身体感覚を体験してもらうために、東京に来てもらわないとダメだと思ったので、2週間の東京生活を味わってもらいながら稽古をはじめました。

集合写真1
東京に滞在したマレーシアのダンサーたち

集合写真2
東京に滞在したマレーシアのダンサーたち

―あえて満員電車に揺られてもらったり?

山田:もちろん(笑)。また、隣人との距離感や遠慮する感覚など、私たちの日常すべてに浸かってもらいました。東京の生活、この人の多さとスペースと時間の少なさを体験してもらえたら、そういう狭いなかでもパワフルに、ポテンシャル高く立つというのはどういうことなのかを考えてもらえたらと、意識して東京滞在の導線を企てました。そうやって日本の社会のなかに身を置くと、いろんなことをダンサーたちが自分で発見して、作品とつなげられるようになります。

―マレーシアのダンサーに教えることを通じて、自分のやっていることについて発見もあるでしょうね。

山田:ありますね。自分にとって大事なポイントをスルーされてはじめて、いやそこは絶対スルーできない、って気づくんです。たとえば作品のなかにお辞儀をする動きが出てくるんですけど、私たちはただ身体を曲げているんじゃなく、10度、20度、30度までの間でちょっとずつ目線を変えながら身体を傾けて、そのなかで気持ちも変化していきます。そういうことに気づきながら教えていきました。