「ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。
マレーシアにおける舞台芸術シーンの最新動向
―ファイブ・アーツ・センター創設30周年おめでとうございます。大阪市立大学都市研究プラザが主催する「アジア・アート・マネジメント会議in大阪2009」で初めてファイブ・アーツ・センターのお話を伺ったときに25周年と発表しておられましたので、もうあれから5年が経ったということですね。
マーク:ありがとうございます。早いですね、もう5年も経ちましたか。
―あの時は、コレクティブメンバーのリュウ・チーション(Lew Chee Seong)さんに、ファイブ・アーツ・センターの「アーティスト・コレクティブ」というユニークな運営形態とその活動内容、とりわけ若手アーティストたちによって行われた『エマージェンシー・フェスティバル』について伺い、大きな衝撃を受けました。そこでその数カ月後に私はクアラルンプールを訪問し、創設メンバーのひとりであるマリオン・ドゥ・クルーズ(Marion D’Cruz)*1 さんとあなたに直接お話を伺う機会を得ました。
マーク:そうでしたね。翌2010年に今度は私が日本に招へいいただき、アサヒ・アートスクエアを会場にアートNPOリンクが企画するアートマネジメント講座*2で話をする機会をいただきました。
*1 国際交流基金プレゼンターインタビュー(2005年7月6日)
マリオン・ドゥ・クルーズ
http://www.performingarts.jp/J/pre_interview/0505/1.html
*2 アサヒ・アート・フェスティバル2010 AAF学校「思考の平行感覚」
http://arts-npo.org/aafschool2010.html
インタビューの詳細は、「アートNPOデータバンク2010」(PDF)で読むことができる。
http://arts-npo.org/artnpodatabank.html
―講座では、ファイブ・アーツ・センターの組織運営と、マークさんご自身のアートワークについて伺うことができました。また2014年は、同じく「アジア・アート・マネジメント会議inクアラルンプール2014」の一環として、大阪市内で「現在のマレーシアにおけるアートシーン」について講演いただきました。政治や貧困、都市開発といった社会問題に真っ向から対峙するアーティストたちの奮闘ぶりをうかがい知ることができました。これまでに何度かマレーシアを訪問するなかで個人的に印象深く残っているのは、アートと社会運動がしっかりとつながっている姿です。
今日は、お二人に30周年を迎えたファイブ・アーツ・センターの、現在から未来に向けた話を伺いたいと思っています。はじめに、マレーシアにおける舞台芸術をめぐるここ数年の環境の変化について、お二人それぞれの視点からお聞かせいただけますか?
マーク:ここ5年間の一番の大きな変化は、北マレーシアのペナン島で開催されている「ジョージタウン・フェスティバル」などに代表されるような、大型のアートフェスティバルが各地で開催されはじめていることです。 フェスティバルという形態が、人を集め地域に注目を向けさせることに効果があると知られるようになり、アート活動が活発化し、資金が回るようになってきました。
ただ、昨今のフェスティバルブームの一方で、フェスティバルとは何か、どのような意義があるのか、また、お客さんを増やすことの意味はなにかといった、批評的な議論が不足していると感じています。アートにできることを問うことは、観客の捉え方に加え、都市や場所に対してフェスティバルがどのように貢献できるのかを捉え直す機会をもたらすともいえるでしょう。
端的にまとめれば、マレーシアの舞台芸術の現状は、制作される作品がいままでになく増え、アートの消費がかなり増えているけれど、それに対する批評的議論が足りていないという状況です。
ジューン:2013年に、政府の芸術助成金が増額しました。いままでになく芸術文化に着目したもので、いくつかのカンパニーが助成を受けました。助成金の構成もとてもよくデザインされており、舞台制作に対する助成はもちろんのこと、ライターに対する助成や、人材育成のためのメンターシップの助成も設けられていました。 ただそれは、1年しか続かなかったんです…。
そんなこともあって、「アーツカウンシル」を立ち上げた方がいいのではないかという議論が起こり、その可能性について検討する委員会が発足しました。個人的には、アーツカウンシルという仕組みがマレーシアの芸術文化の発展に寄与するかどうかはわかりかねています。というのも、これまでのマレーシアの芸術支援は、ほとんどの資金が企業から提供されていて、公的な助成金があったとしても、とても小さなものでした。いままでのスポンサーは、自分たちがつくる作品の内容に影響を及ぼすようなことはなく、私たちファイブ・アーツ・センターにとって、とても都合がよかったんです。
―マレーシアは国より民間の芸術支援のほうが盛んなのですね。
ジューン:はい、そうなのです。それにも関連しますが、もうひとつ大きな影響力のある動きがあります。それは、マレーシア最大規模の民間上場企業のひとつであるサイム・ダービー社が運営する「サイム・ダービー・ファンデーション」(YSD)(Sime Darby Foundation)という助成財団です。YSDは、「教育」「環境問題」「コミュニティ&ヘルス」「ユース&スポーツ」「芸術・文化」の5分野を助成しているのですが、他の企業に対してもっと芸術を支援するよう働きかけています。なかでも注目すべきは、「カンパニーの組織運営に直接関わりうる支援を」と他企業にも提案している点で、これから数年の間に新しい展開をもたらすのではないかと期待を寄せています。これが実現すれば、私たち芸術関係者にとって大きな恩恵をもたらし得ると思います。この動きに関連して2014年11月、日本から企業メセナ協議会専務理事の加藤種男さんと事務局長の萩原康子さんが招へいされ、で「Building Knowledge Capacity in Funding and Mobility」と題した国際会議が催されました。
このほかにも、助成金を後押しする、舞台芸術に関するインディペンデント・エージェンシーが新たにうまれています。カキセニ(KakiSENI)とマイ・パフォーミングアーツ・エージェンシー(My Performing Arts Agency / MYPAA)がそれです。これらは、政府と舞台芸術界を橋渡しして、補助金などの調整をする働きをしていますが、インディペンデントなのでいつまで継続できるかは分かりません。
マーク:マネジメントに関する変化はジューンが話したので、私はアーティストサイドから話します。
マレーシア独立以来60年近くもの間、国民戦線(Barisan Nasional)が与党を担ってきましたが、野党連合である人民連盟(Pakatan Rakyat)の台頭により、2008年の総選挙で初めて与党がこれまで維持してきた連邦下院総議席数の3分の2を割り込むという政治的転換期を迎えました。この状況は2013年まで続き、現在は、マレーシア全13州のうち4つの州で野党が第1党になるなど、政治体制の変化が確実なものになってきました。まさに、市民社会やオルタナティブ・メディア、学生運動における複数の新しいボトムアップ型のイニシアティブが興起したことによる政情変化だといえるでしょう。
そのことが文化的にどう影響しているかというと、より多くのアーティストたちがこの潮流に呼応して、インディペンデントのアートスペースを立ち上げたり、コミュニティアーツのようなプログラムを始めたりしています。中央ではなく、地域を重視する動きもみられるようになりました。地方の動きは、10年前にくらべて活発になっています。
―私は、ちょうど2013年の国政選挙のときにマレーシアを訪問しました。確か、カキセニの関連プログラムで招へいいただき、日本のアーツカウンシルと草の根の市民活動についてお話ししたときだと思います。その際、友人に野党の政治集会に連れていってもらい、選挙の熱気に触れることができました。このときの投票率が約85%だったとあとで知りましたが、政治的関心の高まりを肌身に感じることができた貴重な体験でした。民族や宗教と切り離すことができないマレーシアの政治状況に、日本との大きな違いを感じたことを記憶しています。
ところで、「地方での活動が増えている」という点を興味深く伺いましたが、たとえばどのような活動があるのでしょうか?
マーク:たとえばペナンには、若者を対象に、アートと歴史的遺産の教育にフォーカスした「アーツ・エド(Arts ED)」というグループがあります。クアラルンプールでは、「チョウ・キット・キタ(Chow Kit Kita)」という、中心街のコミュニティをエンパワーするアートグループがあります。これらに共通する特徴は、地域や市街地の環境に着目し、人々と地域住民との関わりを重視した活動をしているという点です。具体的には、民族あるいは宗教間の断絶や対立が起きているところに対話をうみだすプロジェクトや、地域に受け継がれている昔ながらの知恵や実践、伝統を理解して記録し、継承していくというものなどです。とくに都市部や都市近郊においては、ネオリベラル的な政治的潮流のなかで、ジェントリフィケーション(再開発に伴う高級化で地域住民や低所得者層が追い出され、地域特性や文化が失われること)が進んでいますので、それに抗う努力と運動がなされてきました。地域の文脈や住民を無視した再開発に直接的な抗議活動をするアートプロジェクトもたくさんうまれていますし、多くのアーティストが、選挙改革に対する大規模な抗議活動に参加するようにもなっています。
ジューン:2014年は、ペナン島のみならずランカウイ島など、いままでになく多くのアートフェスティバルが開催された年でした。それらのうちいくつかは、インディペンデントな資金や民間の協力によって行われ、政府からの助成を受けていないということは特筆すべき点です。
ひょっとしたら、マークが先ほど言ったように、2008年以降、なにか起こりうるかもしれないと人々が思い始めたのかもしれません。物事のやり方はひとつじゃないということに気づき、政府の判断を待つのではなく、自分たちで行動を起こしていこうという機運が高まってきたように思います。
この5年間のアートシーンの変化という点で、もうひとつお伝えしたいことがあります。それは、「クリエイティブ・プロデューサー」という人材の育成についてです。プロダクション・マネージャーや演出家とは違う役割があると考えていて、今後その役割を発展させていくことがとても重要だと捉えています。いまクリエイティブ・プロデューサーたちは、アジア地域、韓国、日本、シンガポールにあるフェスティバルの存在とその可能性についてよくリサーチしています。
―マレーシアのアートシーンをめぐるお話のなかで―舞台芸術に限りませんでしたけれども、とても興味深いキーワードが示されたように思います。「フェスティバル」「政府の助成」「企業セクターとインディペンデント・エージェンシーの活躍」「ネオリベラリズム、ジェントリフィケーションに抗う市民運動としてのアート」「クリエイティブ・プロデューサーの育成」の5つ。どれもつっこんでお伺いしたいところではありますが…。
ジューン:おいしいスイーツをいただければ、どんなことでもお話ししますよ(笑)
―それでは、2009年当時に聞いたこと*3 と比較しながら伺います。当時マークさんにインタビューした際は、公的助成金や政府の支援は、アートにほとんど流れてこないとのことでした。逆にそのことによって、政治的問題に触れる作品であっても、警察による事情徴収や監視はあれど、ある程度黙認されてきたと。しかし、さきほどジューンさんは、マレーシアのアートシーンが民間の自由な支援によって発展してきたことを鑑みれば、政府の公的な助成制度が今後のアートシーンにどのような展開をもたらすかわからないとおっしゃいました。
アートの発展には資金の投入が必要で、芸術がもつ公共性を考えたときに、やはり公的な助成金―ここでいう「公」は政府に限定しますが―、税金を投じる公共事業としてのアート振興はあってしかるべきと私自身は考えていますが、場合によっては、アートに対する政府の介入をみるのではないかという一抹の不安を懸念されていると受け取りました。
*3 「アートNPOデータバンク2010」
http://arts-npo.org/img/artsnpodatabank/andb2010.pdf
ジューン:2013年に政府が提供した助成金は、インフラ整備に関する支援でした。新作のため、あるいはメンターシップ、人材育成のために、共同制作を促進するための旅費やリサーチの資金を提供するというように、助成金の投資対象が機能的でわかりやすいものでした。他方、作品の内容についてのチェックは一切ありませんでした。機能重視の助成金制度である限りは、樋口さんが心配しておられるようなことに関して危惧はしていません。
マーク:マレーシアは、1957年からずっと同じ与党が政権を握っています。その状況のなかで、「ジョージタウン・フェスティバル」はとても新しいことをしました。というのは、ジョージタウンのあるペナン州は、野党が政権を握っているんですが、このフェスティバルの成功によって、アートや伝統、文化遺産というものが、地元の観客と国際的な観客を引き合わせるという、文化のあらたな可能性を提示することになりました。
矛盾して聞こえるかもしれませんが、私は、マレーシアはいま、政治的なリベラリズムと保守主義とが密接に同居しているうえに、その対立が顕著になっていると感じています。マレーシア社会は、よりリベラルになると同時に、別の部分でより保守的になっているという状況です。ネオリベラル的な状況が蔓延していますが、それは誰が政権をとったとしても同じだと思っています。アートに対して潤沢に資金を提供しましょうというのは「クリエイティブ産業」を支援する考え方に基づくものであり、それはこれまでとさして変わることのない、ネオリベラリズムに立脚したアートの捉え方ともいえるでしょう。
ファイブ・アーツ・センターとしての見解ではなく、アーティスト一個人としては、いまの状況を懐疑的にみています。もちろん、税金の使い方についてはいろいろな検討がなされるべきではありますが、いまこの国が政治的に不安定な時代を迎えているなかで、今後どのような政党が政権を握ったとしても、アートにふんだんにお金を放出するようなことに対しては懐疑的であり続けるでしょう。
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