秘境の地から世界へ、ラオスの今

Interview / Asia Hundreds

タイの影響とラオスの課題

―タイなど隣国の大衆文化の影響は大きいですか?

キリティン:タイの映画とテレビドラマは強烈な影響力をもっています。ラオスの芸術界は今、タイに追随するか、独自の発展を選ぶかの分かれ目に来ていると思います。両国の文化はあまりに近く、タイはラオスにない外界とのつながりがあったので勢いが強い。そして舞台より映画の方が脅威にさらされていると思います。演劇界にはタイ文化からいくらか距離があるので、揺さぶられないでしょうけど。

キノ:映画というよりテレビの影響力ですね。私達はみな、生まれた時からタイのテレビを見ていますから。

―タイ語はバリアにならないのですか?

キリティン:はい。英語やフランス語はできないけど、タイ語はわかるというラオス人は多いです。一番アクセスが容易で、しかも文化的に親近感がある。脅威を感じるほど異国性がない。

キノ:タイのテレビはラオスより長い歴史があるし、番組はずっと質が高い。それからラオスのメディアは政府の管理のもとに活動しています。テレビ局も出版メディア(雑誌を除く)も政府が管轄しコンテンツをコントロールします。多くのラオス人はラオスのテレビを見ないのです。自分の生活との関わりを見いだせないからです。せいぜいニュース番組ぐらい。ラオスのテレビを見るのは役人がほとんどかもしれません。普通のラオス人の多くはタイのテレビを見ています。

キリティン:タイのポップ・カルチャーにあこがれる傾向が強くあります。より進んでいると思われているからです。技術的にはオーストラリアやフランスと同じくらい発展しているけれど、内容はラオスのものとそれほど違わないので、外国嫌いにとっては、見ていて快適なんですね。

―キノ、あなた達の映画もタイを模範に?

キノ:いえ、違います。2012年に撮った一作目『At the Horizon』はタイの真似ではなく、本当に自分達で語りたいストーリーでした。私達自身の声です。一見アクション・スリラーに見えるけど、実は社会の貧富の格差についてなんです。キリティンがさっき言っていたように、社会批判まで観客は理解してくれないという見方もあるけど、これは実は権力を持つ者、持たざる者の関係について、社会と人間についての映画作品なのです。

映画 At the Horizon のスチル

At the Horizon

 次の映画『Huk Aum Lum(Love is just right)』は出資者がいたので、マーケットを意識したロマンチック・コメディとなりました。タイの商業映画のやり方をフォローして、ジョークや撮影方法、編集スタイルをタイ式に似せながら、ロケーションや俳優はラオ産です。そしてこの映画は当たりました。ラオスでは5億キップ、ほぼ6万2,500ドルの興行収入だったと聞きました。ビエンチャンの人口は60万人だから、これはかなりの成功。さらにタイでも上映されました。
これを見た出演者のひとりで、ラオスの有名なエンターテイナー/文化人が、続いて自分でもラブコメをつくるほどでした。ストーリーは予定調和だけど、ラオス人はそういうのが好きなのです。物語は深くなくてよくて、笑わせるだけの作品です。本当に商業主義の極みでひどいものですが…。当社としては、タイの真似事でなく自分達らしいものを目指したいと思っています。

―今後の企画と予定は?

キノ:本当につくりたいものには取り組みたいし、商業的にも成功したいし。どうやるかは、まだ見えていませんが。『Huk Aum Lum』のあと、短編の脚本を練り続けて『Vientiane in Love』というオムニバス・プロジェクトを立ち上げました。ただ、審査に出した脚本の何本かが検閲にひっかかってしまったので、5~6編をそろえるために、新しい短編を書かなくてはなりません。

キリティン:時間がかかるので、うんざりするわね。

キノ:ラオスとタイの合作の脚本もあります。これはすごいチャンスなんです。なのに、検閲で止まってしまって。審査に出したのは去年なのですが。あれこれ言って交渉に持ち込もうとしていますが、例えばラオス国内では上映しないからと言ってもダメなんです。いつもダメ、ダメ、ダメばかり。

―何が問題なのですか?

キノ:人身売買、麻薬、銃…。実際はそれほど敏感な内容ではないのですが、なぜだか過敏に反応しているのです。

―国のイメージを傷つけるから?

キノ:そうです。検閲当局は、とても保守的なイメージを守ろうとしているのです。ドラッグを扱うストーリーだと、ラオスは麻薬を製造していて販売している国と思われてしまうとか。検閲のプロセスや基準が不透明です。

映画とファンドレイジング

―映画の製作資金の調達について教えて下さい。

映画 Vientiane in Love のスチル

Vientiane in Love

キノ:たとえば石油会社から資金を得ています。以前に企業CMを作ったことがあって、その縁で『Vientiane in Love』の出資を持ちかけたのです。大きな額ではありませんが資金を出してもらい、他の企業からも食糧やロケ場所を提供してもらったりしました。ロゴを入れる代わりに協賛していただく、ということですね。私たちは製作はするけれど、スタッフも監督もギャランティーが出ません。俳優と外部の人には謝金を払いますが、ラオ・ニューウェーブ・シネマ社は興行収入を得る代わり、人件費を得ない仕組みにしています。
会社のメンバーは9人います。プロデューサーがふたり、ディレクターが数人、ひとりはフランスから来ている照明主任で、もうひとりはラオス人の撮影監督です。もちろん、企画ごとに役割を交替したりはしますが、キリティンのような衣装デザイナーや美術やヘアメークのスタッフはいません。予算があるときだけ、フリーの人を雇うという程度です。
ただ、私達の会社は、他と比べて人件費をちゃんと払います。例えば録音スタッフに日当100ドル払いますが、他の会社ではそこまでは払わないでしょう。一人ひとりの仕事を尊重したいし、この業界を安売りしたくないのです。

―他の製作会社と違うのは、映画に対して本気なんだ、とおっしゃっていましたね。

キノ:ラオスで映画製作をしている会社は多くありません。Lao Art Mediaという会社も映画をつくっていますが、あそこは今までほとんどタイの会社との共同製作でした。最近になって、あるラオ系アメリカ人の女性が自分で脚本・監督をするようになりました。ほかには、近年ラブコメを製作するグループが出てきました。さっきも言ったように、彼らは大衆市場をターゲットにしているので、大成功を収めました。それぞれの個性でやっています。
私達のところでは、自分達自身が企画し製作するという主体性を大事にしています。ラオスの映画言語を駆使したい。ラオ語を、ということだけではなく、自分達の声、自分達の暮らす社会を反映するような物語。そういうアイデンティティを探っています。
さきほど歴史の話をしましたが、革命前、ビエンチャンには6つも7つも映画館があり、地方にも映画館はありました。子どもの頃、インド映画、フランス映画、タイ映画を映画館で観たのを覚えています。今より座席も良くてスクリーンは大きくて、多様な映画文化があったのです。家族みんなで自転車に乗って映画を見に行ったものです。
今、その文化は変わりました。映画館はもう日常の一部ではなくなりました。だからあの映画文化を復活させて、ラオス人のためのラオス映画を観に行けるようにしたい。それを目標にしています。ラオスで映画産業を興したいのです。でもそれは大変なことなんです。映画を製作するのと同時に、映画を見る観客を育てないといけないから。映画鑑賞の方法を教える短い教育映像までつくったんですよ。携帯電話は切って下さい、上映中はおしゃべりしないで、とか。迷惑な客が出てくる笑えるスキットですけど。とにかく観客を教育しなくてはいけない。それは私達にとって大きな課題でもあるし、つくることだけに専念できないわけです。

  インタビュー中のキノさんの写真

写真:山本尚明

国際共同制作への期待

―日本や外国との国際コラボレーションについてはどう思いますか?

トー:今まで日本のアーティストと仕事をしたことはありますので、今後も日本と交流しながら、色々なことを学びたいと思っています。例えば、舞台の技術的な側面、舞台美術、衣装、照明、大道具なども。将来的には日本人と共同で作品を製作してみたいですが、具体的にどうしたらいいのかわかりません。

―国際共同製作の利点はどういうところでしょう?

トー:国外に出るたび、得ることは多いです。自分の仕事に応用できるスキルがたくさんありますし、自分らしい仕事を生み出そうという創造性を刺激されます。

キノ:映画もメリットを感じます。だからこそ次はタイと仕事をしたいという大きなチャンスをねらっていたのです。ラオスの人口は小さいから、映画の観客を獲得するという意味でも海外進出は重要です。他国と共同製作ができれば、市場は広がり、ネットワークも広がり、自分よりも技術力のある人達と一緒に何かをするのは豊かな経験になります。例えばタイ人のスタッフから多く学べるというのが、まずもっての特典です。
それから新作ですが、日本人の森 卓さんがプロデューサーなら日本からも資金を得られる可能性があるし、ラオス=日本の合作映画(※)が実現します。日本の監督でもいいです、日本の俳優やスタッフとも仕事をしてみたいです。今までよりも大きな規模の製作というのも、勉強になりますので。ぜひ成長したいのです。

キリティン:国際的に仕事ができるというのは、本当におもしろい。私はオーストラリアで勉強しましたが、同じ先進国でもそれぞれ仕事のやり方が違うことを知りました。でも、演劇という世界の持っている家族的な雰囲気、共同体のような、助け合える雰囲気は世界中どこでも共通しているのです。だから、技術的には違いがあっても、空気は似ていると思っています。
国際的な共同作業は、個人的にもとても楽しいのですが、それ以外にも、異なる文化の人達が一緒になるとまったく違う作品がつくり出されることにも、おもしろさを感じます。交流のありようも、生まれる作品も毎回違う。言葉が通じない障がいもあれば、文化的な摩擦なども見てきました。言葉だけでない、人間同士の関わり合い方や上下関係のあり方などについて考えさせられます。クリエイティブな共同作業は、技術の細部より心の部分での発見が多いですね。

―みなさんの今後のご活躍を楽しみにしています。今日は長時間にわたってお話しいただき、ありがとうございました。

 トーさん、キリティンさん、キノさん、インタビュアー藤岡朝子氏の写真

写真:山本尚明

【2015年2月12日、横浜市桜木町にて】


※ 日本ラオス合作映画『サーイ・ナームライ』。国際交流基金アジアセンターは、平成27年度 アジア・文化創造協働助成プログラムにて、この事業を支援しました。

 


聞き手:藤岡朝子(ふじおか・あさこ)

映画配給会社を経て1993年より山形国際ドキュメンタリー映画祭のスタッフに。2009~2014東京事務局ディレクター。2006年より韓国釜山映画祭のANDプログラムと助成金のアドバイザー。アジアのドキュメンタリー映画『長江にいきる』『ビラルの世界』を日本で国内配給し、アジアの映像製作者の合宿型ワークショップの連続主催を続ける。日本のドキュメンタリー映画『祭の馬』『三里塚に生きる』等の海外展開プロデューサー。