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ファリッシュ・ヌール――境界から見える今日の東南アジア:人々の暮らしから将来のASEAN統合を考える

Presentation / Asia Hundreds

その土地ごとの「東南アジア」を求めて

今日、ASEANが、多くの普通の東南アジア市民にとって遠い存在であるように見えることは、予期されたことのように思えます。しかし、東南アジア地域には、そこら中に、国境を容易に行き来し、彼らの小地域[sub-region]の目前にある環境に根差したアイデンティティ[sense of identity]や帰属意識を有する人々の間に存在する、実際的で有機的かつ日常的な相互作用の事例が豊富に存在します。例えば、東マレーシア-西カリマンタン国境*8に住むダヤク人らが巨大なボルネオ島内部の大半を構成しているように、高地の共同体と国境付近の共同体は、彼らのアイデンティティと帰属意識を、地図上ではしばしば政治的国境で切り離される共有された領域に位置づけています。そのような共同体の多くはひとつ以上の国民国家に属しており、ASEANの複数の国家にまたがって分布しています。しかし、彼ら自身の国家の歴史という文脈においては、彼らはたいてい「少数派」として、もしくは辺境に居住する人々として欄外に追いやられ、彼らの関心事や世界観もまた同様に、周縁的であると考えられています。

*8 「カリマンタン」とは、ボルネオ島のインドネシア語における呼称である。「ボルネオ」という名称は、マレーシア東部のサラワク州とサバ州、ブルネイ王国、そしてインドネシアの西・南・東・中央・北カリマンタン州で構成される島全体を表す。

インドネシア、東カリマンタンにおけるマレーシア―インドネシア国境
タイ―カンボジア国境への道中にあるカンボジア人家族

ASEAN研究をする際のボトムアップ型の有機的なアプローチでは、生得的な人間の習慣、ハビトゥスそのものとしての小地域的な領域に目を向け、共同体にとっての「故郷」や「土地」という意味の出発点として捉えるべきです。公的なナショナル・ヒストリーが、そのような土地ごとの、小地域的な故郷や帰属という概念に対応する場合、ある程度の困難があるかもしれません。というのも、そのような概念は、単線的[linear]かつ包括的[totalizing]になりがちな、公けの国家中心的なガバナンスに関する言説、もしくは公的なナショナル・ヒストリーと矛盾するように見えるからです。例えば、インドネシアやマレーシアの公的な歴史は、両方の国で暮らしながら、依然として政治的国境を越える同胞にも親近感を抱いているダヤク人の世界観にどのように適応するのでしょうか。そのようなことを理解するには、つまるところアイデンティティが包括的なものではなく、そして単一的なものでもないという事実を正しく認識する必要があるでしょう。つまり、マレーシアのダヤク人やインドネシアのダヤク人は両者ともダヤク人であると同時に、ナショナル・アイデンティティや市民権を有しており、この二者が相互排他的になることはないのです。

これが意味するのは、私たちが東南アジアを、あらかじめ定義された地理上のブロックや地域、そしてASEANだけで定義された地域としてではなく、むしろネットワーク、生活世界、交易システム、そして人の接触が行なわれる通路のパッチワークとして研究することが可能であり、あるいはそうすべきである、ということです。もしこのようなアプローチがとられるならば、より綿密で持続的な調査に値するとして選びだされるいくつか特定の領域があります。これらの領域は、今この場に存在し、現場では十分に現実的で、そして実際には、むしろありふれたものなのです。

法律と合法性の向こう側を見据えて

初めに私が例として挙げた、タイのTシャツ製造者たちと彼らの国境を越えた密輸業に話を戻しましょう。現代のポストコロニアル的な政策立案者/テクノクラートの残念な偏見は、彼らが国家の構造的限界の先を予測することを怠ったために、ガバナンス、合法性、治安維持、そして国策などの語彙の外側にある、人間の現実と社会関係という概念を持てなかったということです。これによる実際的な影響とは、国家が定めた合法基準を満たさない、全ての形態の社会経済的・社会文化的な行為は、それに反するもの、つまり法律の範囲外にあり、違法で、国民国家の主権とその社会に害を及ぼす可能性のある危険な行為としか分類できないことです。しかしながら、私自身が国境地帯沿いで行なった現地調査で目撃してきたように、人々が非公式に国境を越えるとき、もしくは厳密には合法でない商業に従事した時に、それ以上のことがたくさん起きています。もちろん、私はそのような行為の違法性を取るに足らないことであるとか、無罪放免すべきことだと提案しているのではありません。例えば、そこでは、単なる密輸以上のことが起きている、ということを述べているのです。

仮に、私たちがこのような形態の「違法行為」、密輸、許可されていない国境横断、等々を微妙に違った視点で見ると、このような経済取引もまた、別の形態をとる人の接触であるということが理解できるでしょう。結婚が行なわれ、子どもが生まれ、家族と個人は時に多様な個性とアイデンティティをまとい、結果として、意義深いことに一種の「境域」共同体が創造されるのです。これらは全て、根本的なレベルにおいて、異なる多様な土地/小地域への帰属意識が現れ、そして有機的に進化することを示すことのできる、歴史学者、人文地理学者、社会学者、そして文化人類学者らによって本格的に研究されるべき価値のあるものです。もしASEANが、より強い共同体の感覚を市民の間に構築したいと真に願うならば、ひょっとすると、これらの代替的な形態をとる社会構築と小地域的なアイデンティティの形成へ目を向けることが、単に問責と取締りをするよりも価値あることなのかもしれません。

食卓で東南アジアを探して

日本の奈良に滞在中の、ファリッシュ・ヌール氏の「汎ASEAN」家族(奥様、お嬢様と一緒に)

しかし、おそらく最も簡単に見て調査できることは、私たちを真正面から見つめ、最も日常のなかで普通にありふれた装いをして私たちの前に現れるものなのでしょう。つまり私が言っているのは、家族構成により、何百万もの家族の間で日常的に起きている「ASEAN内」のコミュニケーションと交流がすでにASEAN的な家族を生み出しているということです。

ここで、インドネシア(ジャワ)系のマレーシア人であり、シンガポール人の妻と結婚し、シンガポール人の娘の父である私の個人的な経験を話したいと思います。ASEANは、もしくは東南アジアは、私たち家族、つまり食卓で毎日、毎晩「ASEAN」と出会っている私たちにとっては遠く抽象的な存在ではありません。私たちの結婚、そして生活様式のおかげで、私たち家族は、日常的にASEANの現実と折り合いをつけています。ASEANの各国政府の活動がASEAN市民の間に、より強い親近感や同胞意識を芽生えさせ、そして親しい隣人たちのように友好的であることを促す一方で、私の家族のような何百万もの汎ASEAN家族にとっては、これらの事柄は現実的で明白かつ日常的なものであり、どの国家政策や政府機関にも左右されないのです。

しかし私は、東南アジア地域の各国政府、もしくはASEAN自身の手によって取り組まれた、汎ASEAN家族に関する本格的な研究、つまり幅広い比較を基礎とした長期的アプローチによる研究に未だ出会ったことがありません。ただ、もし今日そのような研究がなされた場合には、先述したK.N.チョードリーの研究で思い描かれた、アジアという国境のない世界を連想させる、非常になじみある結論がもたらされるかもしれません。一般的にアジアは、中でも東南アジアは特に、昔も今も、移動、移住、定住の地域であり続けています。そして東南アジア人は、相互に関連した複雑な世界で、相互に関連しあった生活を送り続けるのです。

ASEANの統合が,ASEAN自らによって定められたペースで進むにつれて、そしてASEANの諸政府がASEAN間、および/あるいは、ASEAN内の移動を、すべての人にとってより安易かつ安価なものにしようと取り組むにつれて、前述した汎ASEAN家族の事例は当然増加するでしょう。そのような複数のプロセス、国家の介入と人間の働きかけの組み合わせによる長期的な結果として生じる事態は、私たちが想像する以上に大きく、そして重要なものとなるでしょう。まず第一に、ASEAN間の結婚および汎ASEAN家族という現象は、長い目で見れば、ASEAN市民が彼らの文化、民族性、宗教、国家、そして地域への明確な帰属意識をすべて同時に感じることができるASEANとしてのアイデンティティとASEANへの帰属意識の意義深い基礎になるかもしれません。

人々の暮らしの複合的な現実に基づき、未来のASEAN統合を考察する

タイ―カンボジア国境にいるファリッシュ・ヌール氏

結論として、はじめに話を戻すことをお許しください。私は、たまたま東南アジアの政治史学者でありますが、ほかならぬ東南アジアという概念自体が、植民地主義、帝国主義、近代性、そして近年の植民地資本主義との複合的な遭遇の結果である、「言説的な構築物」であると再度主張します。東南アジアの国家と、それに付随する機関の歴史的発展について研究する者として、私は、ASEANがポストコロニアル期の東南アジア地域において最も顕著な発展であったと強く主張したいのです。私はASEANを大いに尊重していますし、自身をASEAN市民と見なしています。しかし,私の研究、特に、フィールドにおける地域を横断した現地調査において、ASEANが東南アジアの「一側面でしかない」こと、そしてASEANという物語は、東南アジア地域とそこにいる人々の、幾多の物語の中のひとつでしかないということを私は確信しています。

私は、ありふれた日常的な相互作用が存在する現場において、東南アジアの統合が、頻繁に、そして想像もつかない規模で、すでに起きているということを主張し、それを証明しようと試みました。東南アジアは、東南アジア人自身が調和しているため、すでに統合の過程を経験しています。そして、この人と人、人々と人々のレベルにおいて、多種多様な形で、また私たちが知っているいくつかの学問領域では従来理解されることがなかった、もしくは真剣に受け止められることのなかった様式を用いて、統合は起きているのです。

それこそが、今日の東南アジアにおいて、国境地帯沿い、海景、インターネット上のバーチャル・スペース、そして何千もの汎ASEAN家族の居間において日常的に、何が真に起きているのかを研究するために、東南アジア内の、そしてその周辺の社会科学者が、多様なアプローチを用いられなければならない、と私が心から感じる理由です。今日私たちが想像するようなASEAN統合の未来に目を向けた場合、私たちはASEANのブロックを寄せ集めた国家が、将来的に変化をもたらす唯一の、もしくは主要な機関およびベクトルではないという事実を正しく認識する必要があります。しかし、もし私たちが皆平等に、未来がどのようなものかについて熟考し始めるとすれば、人文科学と社会科学に回帰し、土地、空間、そして所属と人間との複合的な関係の範囲に焦点を当てる必要があります。東南アジアは、地球上の地理という観点からは単純に理解できません。東南アジアを東南アジアたらしめているものとは、そこに暮らす人々であり、そのような主観的な人間レベルにおいて、ほかならぬ「東南アジア」という観念がそもそも意味を持つのです。

本日はありがとうございました。


挿図提供:ファリッシュ・ヌール
翻訳(英和):當舍小百合
写真(講演会):佐藤基