プロジェクトの進行と「行ったり来たり」
佐野:プロジェクトの進め方ですが、ひとつひとつ順番に取り組んでいるんですか? それともいくつかを同時進行で進めているんでしょうか? 以前読んだのですが、例えば《an archaeology project for future remembrance》(2010-継続中)と《finding one's shadow in ruins and rubble》(2014)に取り組んでいた時、精神的に一杯一杯だったと、後から振り返っておっしゃっていましたが。
チュン:《scratching the walls of memory》(2009-2010)の時もそうでしたね。広島県にある袋町小学校の歴史からヒントを得たものですが*2、当時、この小学校は原爆被害者の避難所だったんです。広島と長崎の原爆投下から50年後、平和資料館として改修される際、黒板と古い塗料の層が取り除かれると、その裏から黒く焼け焦げた壁の上に書き込まれた数々のメッセージがでてきました。この発見に刺激されて、ベトナム戦争とその後の余波を含んだ、20世紀の主要な紛争について調査するプロジェクトをはじめたんです。でも、とても他人事には思えなくて。このプロジェクト終了後、《finding one’s shadow in ruins and rubble》や《The Vietnam Exodus project》をはじめるまで、この紛争に関する歴史を少し頭の片隅に追いやることにしたんです。
*2 広島県にある袋町小学校は、1945年8月6日に原爆が投下された際、爆心地からもっとも近い位置(460メートル)にあった学校のひとつ。唯一倒壊を免れた西校舎は避難所となり、人々はその黒く焼け焦げた壁の上に、床に散らばったチョークの破片を使ってメッセージを残した。1937年に建てられたこの建物の一部は、改修の後、2002年4月に平和資料館として生まれ変わった。
佐野:何がきっかけでまたこの問題に踏み込むようになったんですか?
チュン:シリアの難民危機ですね。《The Syria Project》で、この問題から距離をもてるようになって、逆に「なんでこんなにこの問題に取り憑かれているんだろう?」と考えたんです。そして気づいたのは、これがベトナム難民流出の歴史と驚くほどよく似ているからということでした。
佐野:歴史は繰り返すということですね。
チュン:そうです。歴史は繰り返されるものです。シンガポールで生活しながら《The Syria Project》に取り組んでいた時、完全に放棄された旧難民キャンプがシンガポールにあることを発見しました。2016年のピューリッツァー賞フィクション部門の受賞者であるヴィエット・タン・グエン*3 もまたシンガポールにいたので、彼と一緒に行ってみたり、インドネシアの旧ガラン難民キャンプに行ったりしたんです。この時から、この危機について掘り下げる決意がより固まりましたね。私たちにとって、今まで以上に必要なのは、歴史を振り返り、ある時期に出されたある政策を分析することで、そうした政策の数々が、様々な人たちにどう押しつけられたのかを明らかにすることだと思います。それは、私たちが、そうした政策が人間の生活に及ぼす実際の影響を理解する上で助けとなることでしょう。
*3 ヴィエット・タン・グエンは『The Sympathizer』で、2016年のピューリッツァー賞フィクション部門を受賞。Viet Thanh Nguyen, The Sympathizer (New York: Grove Press, 2015).
佐野:あなたの仕事はそうした危機を感傷的に扱うようなものではないですよね。
チュン:そのとおりです。罪悪感を掻き立てようとも思ってません。私は、理性的に、議論すべきことについては議論し、変化をもたらすためにそれらを役立てる、ということだと思っています。
佐野:興味深いですね。後に触れますが、カルトグラフィックなドローイング作品は、歴史や時間、政策、あるいは空間の推移に関するパランプセストと呼ばれたりもしますよね。それはあなたの方法論そのもの――つまり、ひとつのプロジェクトに取り組み、そこから離れたりまた戻ってきたりするというやり方――とよく似ているように思われます。そうしたプロセスの積層という方法が、あなたの作品全体に共通して見られますね。
チュン:私のプロセスは、作品制作をしていようがリサーチをしていようが変わりません。常に、あるプロジェクトを複数の異なる時点から再検討することに関わっていますし、ひとつのプロジェクトが完全に「完結する」ことはないと思っています。歴史的なトラウマや記憶を整理するためには長い年月が必要だから。
理性とヒステリーのあいだ:理性的になるために感情的になる
佐野:今、再検討している過去の作品は他にありますか?
チュン:さっきも触れましたが、《The Vietnam Exodus project》は《scratching the walls of memory》の続編で、ベトナム難民移住の規模と範囲を明らかにするという作品でもあります。そのため、全世界を網羅する作品をいずれはつくろうと思っています。
佐野:とんでもない作業量になりそうですね。
チュン:そうなんです。でもその作品を裏付けるまったく新しい情報も手に入ったんですよ――さっき言ったように、このベトナム難民移住の歴史には言説や物語が存在しないので、本当に新しい資料だと思います。UNHCRで、1975年以降のベトナム難民危機に関する通信電報を、断片的ではあるのですが、見つけたんです。この断片化された通信のやり取りから、どう移民移住に関する膨大な歴史を再構築するかというのは、ちゃんと向き合わなければならないまったく別の階層の問題です。今のところ、とてもやりがいのある仕事ですね。
佐野:通信を実際にスキャンできたんですか?
チュン:はい。ほとんどは機密文書でしたけど。UNHCRの職員たちのあいだのやり取りと、UNHCRが世界各国の政府機関と交わしていたやり取りとでは、その論調が異なっていましたから。言うまでもなく、UNHCRは実に様々な政府機関と難民問題についてやり取りや交渉をおこなっています。ですので、彼らは例えばシンガポールからある問題についての電報を受け取った時、他の国から受け取った情報や、独自の現地調査で得られた様々な情報と比較しながら、すべての事柄を内部で検討し判断しなければならなかったんです。
佐野:職員たちのあいだで交わされていた会話は、政府や国家の交渉事が繰り広げられる「生の」背景だったともいえますね。
チュン:難民危機の対策について、UNHCRも色々と批判されたりしたでしょうが、職員たちもまた人間ですから、悲惨な状況に対して感情的に反応することもあったようで、とても興味深いものでした。難民の人たちが自立するための支援に実際に携わる職員もいたかもしれないですし。
佐野:そうしたこともすべて記録に残されているのですか?
チュン:行間を読んでいく必要はありますが、残ってますね。本当に貴重な資料を見つけたと思います。
佐野:普段、政府機関の交渉事の裏で何が起きているかなんて考えないですものね。
チュン:そう、そのことに気づかないんです。冷静でいながら合理的に仕事を進めるためには、感情的になるプロセスを経る必要もあります。私ももちろん、UNHCRのオフィスで泣き崩れてしまって、気まずい思いをしました。ベトナム難民危機に関する映像を見ていたんですが、周りで職員たちがシリア危機について議論していて。しばらくは持ちこたえたんですが、とうとう涙が溢れ出すのを止められなくなってしまったんです(笑)。
佐野:そういう会話をアーカイヴでも耳にしたりするんですか?
チュン:アーカイヴだけじゃなくて、他の部署でも聞こえてきましたね。こういうリサーチをおこなっていると、それに伴う感情も要求される。無味乾燥でハードな客観的データは、実際には様々な感情から来るんですよね。
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