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ハノイの実験音楽センター、DomDomに宿る「個」の精神 ――チャン・キム・ゴック インタビュー

Interview / Asia Hundreds

作品が生まれる時

―伝統的なものと今のあなたの創作は、どのようにつながっているのでしょうか。

チャン:私は伝統音楽を実践することによって学んできました。そしてそれが自分のなかで自然に消化されるのを待ちました。頭を使うのではなく、伝統音楽の美学や哲学のエッセンスを、私の本能が感じ取るように。そうして初めて、本当に楽器を弾くことができ、歌うことができるのです。
作曲する時に、伝統音楽から学んだことと、西洋クラシック音楽から学んだことがどのように私のなかで結びつくのか、それは説明できません。すべての音楽体験から心の灯がともされるまで、自然に任せて待つのです。それから…、作品として私の外に出すのです。
作曲は、私にとっては、とてもとても個人的な仕事です。真に個人的な何かであり、私自身の何かであり、本当に私の一部になった何かであり、本当に私が考えている何かであり、それが何であるか知ろうとしても知り得ないものなのです。それでも、私を本当に突き動かす何ものか、なのです。
作品の決まったかたちというものはありません。それぞれの作品のかたちは、作品ごとのコンセプトによって決まっていきます。最初に、その作品をつくりたいという強い欲求があります。それから、その欲求が何であるのか、自分自身で探求しなければなりません。それはつかみどころがなく、いつも曖昧です。作曲の最も重要な部分は、その欲求について学び理解しようとすることなのです。いったんそれを理解したら、表現するためにものごとを組み立てていきます。これが作曲の次の段階です。
作曲の方法を説明するのは、本当に困難です。私は本能的なタイプの作曲家なのです。たとえば、ここで、私の作品における要素を詳細に分析的にお話することはできます。ですが、作曲するときには分析的な精神はすべて停止させてしまいます。そして、すべての要素がたちまちのうちに滑らかに動きだし、関わり合いながらかたちをなしていく様を見つめ、そのプロセスに従うのです。このプロセスは、私に大きな喜びを与えてくれます。

インタビューに答えるチャンさんの写真

写真:山本尚明

―ウェブサイトでいくつかの作品を聴かせていただきました。とても張りつめた音楽であるのに、それが体に自然に入ってくることに不思議な感覚を覚えました。今日はどのようにこれらの曲ができていくのか伺おうと思っていましたが、先にお答えをいただいてしまいましたね。
それから、音だけを聴いているのに、とても空間をイメージさせられる音楽で、様々な楽器の合奏作品であっても、1つひとつの音がはっきりとした個性をもって独立して聞こえてくるのも印象に残りました。ヨーロッパのオーケストラ音楽のように、ひとつの方向に向かってすべてのパートがひとつの流れをかたちづくっていく、直線的な時間を感じさせる音楽とは異なる世界を感じました。

チャン:そうですね。アジアの伝統音楽のあり方は、西洋クラシック音楽の伝統とは異なるものですね。このふたつの世界を行き来するのは、このグローバル社会で生きるのと同様に難しいことです。

―グローバル社会と同じ?

チャン:ええ。私の子ども時代は、ベトナムが国を開放する前でしたが、ある意味でとても楽に成長することができました。社会システムや政治的なことなどわからない子どもにとっては、居心地の良い世界だったのです。しかし、より自由になった今の時代、たとえば私の娘は、以前の閉鎖時代のように楽に生きることはできなくなりました。情報はあふれています。しかし、時としてそれらは矛盾し、私たちを混乱させます。異なった文化、異なった価値観が与えられているので、そこから自分たちの道を選択する葛藤にみまわれるのです。
別の見方をすれば、これはチャンスでもあります。楽ではありませんが、新たに自分自身をつくりあげる、またとないチャンスです。これは、閉じられた社会や、同質の文化しかもたない環境では成し得ないことです。今、私たちはその選択の最先端に立たされているのです。それは、プレッシャーですが、同時にモチベーションでもあります。

DomDomのエデュケーショナル・プログラム

―DomDomのエデュケーショナル・プログラムの3つの柱として、インプロビゼーション、アンサンブル、エレクトロニック・ミュ—ジックが設定されていますが、なぜこの3つを選ばれたのでしょうか。

チャン:5年ほど前、私はどうしても今の教育システムを変えたいという強い思いにかられました。そこでDomDomをオープンする前に2年かけて、ベトナムの音楽機関で働く音楽家、専門家に直接話を聞くという方法でリサーチを行いました。システムの内部にいる彼らが本当は何を考えているのか知るために。また、音楽のコミュニティが置かれている状況をより大きなパースペクティブでとらえるために、社会が今何を必要としているかについても研究しました。このリサーチから、既存の教育機関のカリキュラムの問題点、そこに欠けているものが何かはっきりとわかってきました。
一方、現実的な面でいえば、DomDomの当初の資金は最初の2年分しかありませんでした。本当のところは、エデュケーショナル・プログラムとして作曲のクラスを始めたかったのですが、2年間で最も効果を上げることのできる現実的なプログラムを考えなければなりませんでした。もしうまくいかなければ、DomDomを続けられなくなるからです。

  演奏の様子の写真1

DomDom Education Activitiesの様子 photos@DomDom-The Hub for Experimental Music& Art

チャン:作曲家になるには、本当に多くのことを学ばなければなりません。2年では実質的に無理です。作曲クラスひとつではなくて、ほかに様々な理論を学ぶクラスが必要です。そこで私はインプロビゼーションを選びました。インプロビゼーションは、現代の創作における考え方と哲学にアプローチするのにとても良い方法だからです。20世紀音楽を理解するには、作曲理論クラスで学ぶより早いかもしれません。現代作品を演奏したことのない若い音楽家に、現代の作曲理論を教えるのは困難です。インプロビゼーションであれば現代の音楽創作の哲学に直接、感覚的に触れることができます。それは学生たちが学んできたクラシック音楽とはまったく違うものに触れる体験なのです。
アンサンブルも同じです。実験音楽のためのアンサンブル・クラスは、まずは現代作品のスコアを初めて読む経験です。実験音楽が開拓してきた新しい楽器奏法の技術も学びます。そして、技術にとどまらず、20世紀実験音楽そのものを、身をもって知り理解するための機会となります。
ベトナムの音楽教育システムの問題として、芸術家、クリエイターを育てるのではなく、芸術の職人の育成が主眼になっていることが挙げられます。インプロビゼーションは、これを打破する有効な方法です。職人養成システムのなかで訓練されてきた学生たちに、いきなり、クリエイターでありなさい、他人から言われたことではなく自分自身で本当にやりたいことを追求しなさい、といっても学生たちは何もできないでしょう。まずは、彼らの創造のプロセスの扉を開けることが必要なのです。他人の言うことをやっているだけなら、批判もされないし、自分で考えなくて良いし、何かをつくり出す必要もありません。楽譜があってその通りに演奏する、現在のベトナムでのクラシック音楽教育は、学生たちにそのような態度をもたらし、安全圏に囲い込んでしまっています。
学生たちに簡単なルールだけを与えて、そのルールを使ってインプロビゼーションで演奏するように指示すると、彼らは一瞬一瞬何かを生み出さなければならないというプレッシャーに晒されます。その瞬間ごとに作曲家になるのです。何らかルールがあるとしても、自分自身から何かを生み出さなくてはならないのです。

演奏の様子の写真2  演奏の様子の写真3
DomDom Education Activitiesの様子 photos@DomDom-The Hub for Experimental Music& Art

―インプロビゼーションというのはいろいろな面をもっていて、創造性あるいは非創造性とも関わりをもつと思いますが、DomDomでのインプロビゼーションはどのようなものでしょうか。

チャン:DomDomで教えているのは、実験音楽におけるインプロビゼーションです。たとえばシュトックハウゼンやジョン・ケージのような20世紀音楽の美学に基づいているものです。ただ、学生のなかには正規の音楽教育を受けていない若者、エレクトロニクスやデジタルミュージックをアンダーグラウンドで自己流にやっているDJなどもいます。彼らには、現代音楽を聞くことの手助けをしています。インプロビゼーション・クラスでは、演奏するだけでなく、現代音楽を聞くこともしています。また、演奏実践の後に、そこから音楽的なアイデアを取り出すエクササイズを行います。このクラスの核心は、演奏よりもむしろディスカッションの部分にあります。演奏が終わると毎回、私はそれについての自分の考えや分析を学生に伝えます。彼らも1人ひとりの意見を述べてディスカッションを行い、実験音楽に対する考えを深めていきます。演奏はそのためのひとつの装置なのです。
西洋諸国の実験音楽作品がもつ美学や価値をそのまま輸入することが目的ではありません。シュトックハウゼンや他の著名な作曲家のコピーになってほしいわけではありません。西洋諸国の現代音楽に私が認めているのは、それが真に独立した個人による創造であるということです。この点は確信しています。私がベトナムで発展させたいのは、そのような音楽なのです。
音楽表現における個を育てるのに、実験音楽の哲学や美学はとても良いツールになるのです。始めはおもしろいと思わないかもしれませんが、インプロビゼーションを実践することによって学生たちが自分自身の声を見つけ、声を発し、ついには自分自身の道を歩み始めるようになってほしいのです。実験音楽は、音楽表現のひとつの方法でしかありませんが、個を形成するのに本当に有効な手段なのです。

―DomDomの学生には独学者も含まれているというお話でしたが、ほかはどのような学生が参加されているのですか?

チャン:学生のほとんどは、ベトナム国立音楽院の学生あるいは卒業生です。そのほとんどは演奏家ですが、作曲の勉強を始めた学生もいます。DomDomが彼らに刺激を与えたのではないかと思います。また、伝統音楽の学生や、伝統音楽シーンにいる音楽家も何人か参加しています。

集合写真

チャン・キム・ゴックとDomDomの生徒たち