ハノイの聴衆—文化人はどこへ?
―自作をハノイで演奏する時と、ヨーロッパで演奏する時と、聴衆の反応は違いますか?
チャン:ええ、まったく違います。まず、海外で演奏されることの方が多いです。もしベトナムで自作を演奏したいと思ったら、自分で資金を集めなければなりません。私に作曲委嘱する組織も招待するフェスティバルもここにはひとつもありません。
ベトナムでは、コンテンポラリー・ミュージックのコミュニティはとてもとても小さく、プロフェッショナルと呼べるレベルではありません。専門家のコミュニティはまだないのです。ですが、聴衆のコミュニティは小さいながらもあります。何か新しいものに好奇心をもっている人たちです。ベトナムは好奇心がとても強い国なのです。若者の人口が多く、彼らは皆好奇心旺盛です。新しいものにオープンであるのは良いことですが、良くない面もあります。忍耐力と長期的な興味に欠け、ものごとをいつでも簡単に止めてしまえるのです。
それが、コンテンポラリー・ミュージックのコミュニティが持続しない要因です。最初は、ベトナムに住む外国人たちの小さなコミュニティでした。そこから次第にベトナム人、特に若い人が増えてきましたが、知的階層の人々ではありませんでした。ベトナムでは、知的な階層はジャンルごとにわかれて存在しており、たとえば、文学、音楽、写真、演劇などの知的階層は互いに交流がありません。共通のプラットフォームがないのです。国の開放以前は、そのようなことはありませんでした。政府からの強力なサポートがあったので、国のすべての文化人は一体だったのです。
しかし今は、いくつかの原因から分断が進んでいます。国からの補助が削減されていること、自由主義経済下でエンターテインメントで稼ぐことを強いられていること、稼ぎにならないものはすべて消え去っていく時代です。すべての組織、メインストリームの舞台芸術機関も生き残りをかけており、自分の子どもたちを養うためにエンターテインメント・ショーもしなければなりません。これらが、文化人コミュニティが解体され、もはや実質的に存在しなくなった理由です。彼ら知識人が今どこにいるのか私には本当にわかりません。彼らが関わっていた伝統あるイベントもなくなりました。また、たとえば、国際舞台芸術ミーティング in 横浜(TPAM)のような新しいプラットフォームもありません。我々にとってのミーティング・ポイント、芸術に関わる知的な人々が集う場がないのです。
写真:山本尚明
ハノイ・ニューミュージック・フェスティバル
―DomDomの活動で分野横断を重視しているのは、そのような状況のためですか?
チャン:分野横断―それは私の夢ですが、まだ実現できていません。2013年、DomDomの設立2年目に新たに、ハノイ・ニューミュジック・フェスティバルを始めました。異なる活動をしている音楽家たちが出会い、互いの作品について知り、意見を交わす場をつくったのです。カンファレンスやラウンドテーブルも行いました。でもまだ、音楽分野だけの催しでした。次の2017年のフェスティバルでは、聴衆の土壌を耕すこと―これも私の夢ですが―を行いたいと思っています。音楽分野以外の人々に新しい音楽に触れてほしいですし、芸術政策、文化政策といった分野を超える課題についてともに考える大規模な会議なども催したいです。でもそれには多くの資金が必要です。
ハノイ・ニューミュージック・フェスティバルの様子
チャン:私たちのフェスティバルのもうひとつの分野横断的な要素は、言語や視覚、身体を用いたアートの上演です。音楽家がステージ上で演奏する純粋なコンサートだけでなく、ミュージック・シアターやミュージック・インスタレーションをプログラミングしています。このように一歩一歩、めざす方向に進んでいます。
ハノイ・ニューミュージック・フェスティバルの様子
―2013年の第1回ハノイ・ニューミュージック・フェスティバルには、ベトナム国内とヨーロッパ8カ国から50名のアーティストが参加していますね。11月30日から12月8日の間に、DomDomとハノイ市内各所で12プロダクションを上演するという充実した内容です。プログラミングだけでなく、財政的にもあなたが責任を負っているのですか?
チャン:そうです。でも今は、協力スタッフと3人のチームで運営しています。ひとりは英国でトレーニングを受けたアートマネージャーです。彼女には資金調達のための申請書作成を任せていますが、主な部分はセンターの立ち上げで資金調達経験のある私が担っています。私は、良い申請書の書き方についても熟知していますから。
―入場料収入がそれほどあがるものではないでしょうから、資金は、助成金をみつけるということになりますか?
チャン:DomDomとハノイ・ニューミュージック・フェスティバルの資金のほとんどは、外国の文化機関から得ています。前回は、Sida(スウェーデン国際開発協力庁)のプログラムやデンマーク大使館から資金提供を受けました。現代芸術の国際交流を文化政策にもつ国々からのサポートです。ほかにも、ゲーテ・インスティトゥート、アンスティチュ・フランセや日本の国際交流基金、ブリティッシュ・カウンシル、それからオーストリア、イタリアの大使館からも支援をいただきました。
―ベトナムからの資金はないのでしょうか。
チャン:ありません。今のところは何も。
ハノイ・ニューミュージック・フェスティバルの様子
ハノイ・ニューミュージック・フェスティバルの様子
新しい活動拠点へ
チャン:でも、喜ばしいことに、ベトナムの文化政策について担当官との話し合いを続けており、ひとつの成果がありました。資金提供をしてくれるわけではありませんが、ハノイ市が我々にスペースを無償提供してくれることになったのです。私たちは間もなく、そこに移転します。DomDomが新しいスペースをもつのです。200平方メートルほどで決して大きくはありませんが、ハノイ旧市街の大きなビルの地下空間です。これは、われわれの組織としても、国の政策者に働きかける戦略の点からも、とても重要な一歩です。官僚と対話を続けることはそうおもしろいことではないかもしれませんが、やらなければならないことです。すぐに成果が出なくても、とにかく続けることです。
―1人ですべてと戦う闘士でいらっしゃいますね。
写真:山本尚明
チャン:これは戦いではありません。たとえば彼らと毎月、一緒にコーヒーを飲んで、友人として話をするのです。オフィス・ミーティングではなく、くつろいだコーヒー・トークです。もし私が会議に呼ばれた時でも、私は率直に同じことを話しますけれどね。私は公務員のポストを探しているわけでも、公職を失う心配があるわけでもないのですから、率直でいられるのです。
もし組織内部の人間なら難しいでしょうが、私はメインストリームのシステムからまったく独立しているので、自分の真意を発言する力をもっているのです。彼らが受け入れようと入れまいと、率直に主張する自分自身の権利をもっているのです。音楽院の院長とか、交響楽団の団長だったらなかなかできないことです。周りからは、そんな役に立つかわからないことをするのはばかげている、とよく言われます。でも、私は訴え続けます。どこででも発言します。
DomDomの長期目標は、新しい潮流を生み出すシステムをどうにかしてつくり、それを動かすことです。そのためには、政策をつくる人々やメインストリームにいる人々と協力することが不可欠です。私の生きている間に結果は出ないかもしれません。次の世代になるかもしれませんが、私は続けなければなりません。私は、今まで、社会から孤立してひとりで活動を続けてきました。私は、今、社会の一員となりDomDomを社会の一部にしたいのです。
作曲家としてインディペンデントであり、たとえ孤立するとしても、それはまったく問題ではありません。作曲家とDomDomディレクターとしての存在は、別の話なのです。
―今日はたくさんのことを伺わせていただき、ありがとうございました。来年のハノイ・ニューミュージック・フェスティバルを楽しみにしています。
チャン:とてもすばらしい時間でした。ありがとうございました。
写真:山本尚明
【2016年2月11日、BankART Studio NYKにて】
聞き手・文:玉虫美香子 (たまむし・みかこ)
現在、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)シニア・プログラムオフィサー。これまで「<東京の夏>音楽祭」(アリオン音楽財団・朝日新聞社主催)、「Music Today」および「八ヶ岳高原音楽祭」(武満徹企画監修)、「Tokyo Experimental Festival」(トーキョーワンダーサイト主催)など国際音楽祭の企画制作に携わる。
通訳:若井真木子(わかい・まきこ)