インドネシアのコミュニティ文化とシェアカルチャーの親和性 ――Lifepatchインタビュー

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

インドネシア的な共同体

畠中:お久しぶりです。最初に、Lifepatchという組織がどのように結成されたか聞かせてください。

ティンビル:昔からの友だちが多いですね。例えば、アンドレアスと僕も、古い友だちなんです。家族ぐるみの付き合いで、僕の家族や兄弟もよく知っている。ジョグジャカルタは小さな街ですから、よく集まる仲間で一緒に色々やるようになった、という感じです。

インタビューの様子の写真

アンドレアス:結成したのは、2012年3月26日ですね。このときに西ジャワのバンドンという街で「GeekFest Bandung 2012」というデジタルテクノロジーに関わるインドネシアの若手クリエイターが集まるフェスティバルが開催されたんです。インドネシアのクリエイティブ産業の発展やその可能性を示すイベントとして、テクノロジーに関係した地元のクリエイターの作品を展示したり、その背景にある新しい製品やサービスを紹介したりするものでした。ここで、ティンビルは発酵技術の応用について、僕はプログラミングのワークショップを実施することになりました。他の仲間たちもインスタレーションやワークショップなど何かしらのプロジェクトでバンドン行きが決まり、それなら皆でグループとして参加しよう、ということになったんです。それがLifepatchとしての最初のプロジェクトです。2012年の7月には、ジョグジャカルタのブギサンにスタジオを構えました。以降、そこが制作だけでなくメンバーが居住する環境になり、ワークショップや上映会、プレゼンテーション等を行う拠点にもなりました。

集合写真
Lifepatchのメンバー。現在は、科学者、プログラマー、デザイナー、アーティスト、プロダクションマネージャー、
キュレーター等の多様なバックグラウンドを有する11人のメンバーが所属する。

アンドレアス:一年間いくつかの活動をした後、様々な機関とやりとりする際に法人格であった方が物事がスムーズに進むということで、2013年にLPPM(インドネシア語で「コミュニティサービスのための研究開発機関」の略)として法人化しました。すでにLPPMに該当する活動をしていましたから。その登記の際に、団体名「Lifepatch」の後に「citizen initiative in art, science and technology(アート、科学、テクノロジーの領域で活動する市民団体)」を加えたんです。というのも、それまでの活動では団体の名前を「Lifepatch」とだけ掲げていたため、アートの組織だと認識されることが多かったんです。そのことは科学者や技術者のメンバーにとっては違和感がありました。そこで登記の際に皆が納得のいくコレクティブの形態を考えて、市民団体(citizens' initiative)という体裁を採用しました。
また、Lifepatchというグループ名についてですが、実はネット検索で決めたものなんです。グループ名を考えるにあたり、メンバーに共通するテーマ――生命科学や電子工学ですが――それらに関連するキーワードでドメイン名を検索していたら、「Lifepatch」という言葉がヒットした。どこか医薬品のような、富裕層向け代替医療っぽい響きが気に入りました(笑)

写真1
写真2
ジョグジャカルタにあるLifepatchのスタジオ

畠中:それではグループになる前、つまりLifepatchができる前は、それぞれどのような活動をしていたんですか。

アンドレアス:皆に共通していたのが、ワークショップです。ワークショップを開くのが好きなメンバーが多くて、クリエイティビティやイノべーションを導くよう、テクノロジーを使って個別に色々なものをやっていました。ティンビルはバイオテクノロジー、僕はデジタル技術と電子工学、また別のメンバーは環境技術と、分野は様々でした。

畠中:ワークショップはメンバーの好奇心を探求する場でもあるし、社会に潜在する問題を特定して解決策を考える場でもある。Lifepatchは、様々なテクノロジーを用いて、社会やコミュニティにある問題を具体的に解決するプロジェクトを行っています。さらに特徴的なのは、それをオープンソース化することで、同じ問題を抱える市民にも使えるようにしていることだと思います。皆さんの活動は、アートや共同体の内に留まらず、地域の一般社会にも働きかけているように感じます。

アンドレアス:そうですね。そもそも僕らは、Lifepatchを特定のジャンルに当てはめることはしたくないんです。Lifepatchの拠点は、ハッカースペース*1 やメイカースペース*2 と呼ばれることもあります。もちろん好きなように呼んでもらって構いません。ただ、我々が何であるかは僕にもまだわからないけれど、それじゃない、ということはわかる。実際、幾つかのハッカースペースにも行ってみたんですよ。だけど全然違う。メイカースペースとも、アートコレクティブとも違うんです。

*1 ハッカースペース…フリーソフトウェアやオープンソースハードウェアの利用または開発、さらには電子部品の工作、コンピュータープログラミングなどを行ったりするコミュニティ、もしくは運営するワークスペース。

*2 メイカースペース…デジタル工作機器をはじめとした誰もが利用可能なデザインや工作のためのツールを備えたスペース

ティンビル:そう、今はまだ何にも特定できない状態なんです。以前、何人かのリサーチャーがLifepatchの活動を調査するためにジャカルタまで来てくれて、その中の一人が「世界中にアートスペースやオルタナティブスペースがあるけれど、Lifepatchは“also(それもあり)”なスペースだ」と言ったんです。それを聞いて悪くないなと思いました。とにかく今は既存の何かに限定せず、活動する領域や関わる人々をオープンにしておくことがベストだと思います。

アンドレアス:僕らが自分達をハッカースペースとして定義しないもうひとつの理由として、現在の活動が、ハッカースペースの意義だけに留まらないということが挙げられます。というのも、ハッカースペースのルーツは1970年代にアメリカで始まったコンピュータークラブによるムーブメントです。ここには、我々のルーツである「インドネシア的な共同体」という重要な文脈は含まれようがない。Lifepatchから、この数千年続いてきた「インドネシア的な共同体」としての性質を欠いてしまっては、ハッカースペースやメイカースペース、アートコレクティブが有するハードウェアとアプリケーションの間で迷子になるようなものです。素直に別の言葉を探した方が、間違いが無いと思うんです。

インタビューに答えるアンドレアスさんの写真

アンドレアス:僕たちの暮らすインドネシアには、共同体の文化が深く根付いています。例えば、村々には昔から続くセキュリティシステムもそのひとつです。毎晩交代制で、担当の家の人がその村を警備して回るというものなんですが、それぞれの家の前には小さなトレーが備え付けてあるんです。昔は木でできていましたが、今はミネラルウォーターのボトルの底を切って作ったようなトレーで、そこに小銭を入れておく。警備担当は各戸の小銭を集め、そのお金でコーヒーを買って目覚ましにして警備を続ける。月一回担当が回ってきてね。僕もやりますよ。
Lifepatchもそんなインドネシア的な共同体です。共同体として、DIY(Do-It-Yourself =自分でやろう)とDIWO(Do-It-With-Others =みんなでやろう)の精神に則り、メンバーでも誰でも一緒に、社会に役立つ理論的あるいは実践的な技術を研究・開発し、汎用化させることに取り組んでいます。そして、活動の場がアートであっても、科学であっても、Lifepatchの活動や考え方を通して、みんなが潜在的にもっているクリエイティビティを刺激し、多分野にまたがる交流を促進したいと思っています。

「IndoArtNow」Lifepatchインタビュー