次世代フィルムメーカーへのアドバイス
石坂:お三方は監督やプロデューサー業の傍ら、次世代のフィルムメーカーの育成にも大変熱心に取り組んでいます。現場で若いスタッフを起用するほか、エリックさんは若手監督を起用したオムニバスを企画したり、若い制作者の発表の場を作っています。また、ガリンさんは故郷ジョグジャカルタでアジア映画祭Jogja-NETPAC Asian Film Festivalを立ち上げ、娘婿のイファ・イスファンシャー監督と一緒に映画学校Jogja Film Academyを作りました。それからブリランテさんは、作品毎にメイキング映像を欠かさず作り、それをワークショップや講義などに活用しています。いま若い世代の方々にアドバイスはありますか?
クー:スマホで映画を撮れるいまの時代、誰でもフィルムメーカーになれます。あとはどれだけうまく語りたいのか、人とどう違いたいのかという柔軟性にかかってきます。35ミリカメラしかなかった時代に比べたら、今はコストも非常に下がっていますし、低予算で大ヒットを遂げた『カメラを止めるな!』は良い例です。また、ストリーミングのプラットフォームも多岐にわたり、コンテンツが必要とされているので、熱意のあるフィルムメーカーにとっては非常にポジティブな時代だと言えます。しかし、映画は一人では作れず、チームが必要です。お互いに支え合い、一緒に前に進める仲間のネットワークを持つことが大事です。
メンドーサ:映画を作りたい人にまず聞きます。「なぜ映画を作りたいのか?」と。人によって答えは様々ですが、知っておくべきことは自分自身のこと、自分が映画を作る理由で、それが映画を作るうえで道しるべとなります。アートフィルムでも商業映画でもジャンル映画でも、選択肢の一つに過ぎないので、全部に挑戦することがあっても良いと思います。自分自身を見極めたら、それを上手くやれば良いのです。では、どうやって上手くなるのか? それは学んでいくのみです。
いまや誰でも映画を作れますし、技術が進歩しているので、それはとことん活用すれば良いと思いますが、技術力を言い訳にはしないでください。フィルムメーカーは単なるストーリーだけでなく適切なコンテンツを提供しなくてはいけません。他の職業と同じで、映画づくりは勉強の連続です。大事なのは、これまでの道のり、自分が進みたい方向を知っておくことです。
ヌグロホ: このデジタル時代において、家の住所ではなく、メールアドレスやアプリのアカウントで事が済むように色んなものが失われますが、自分の署名がなくなることはありません。つまり誰もが違う才能を持っていて、映画製作や配給、映画の質に対してそれぞれ異なる視点を養っていくことができます。あらゆることがアプリで効率的になる中で、何が自分の人生にとって有益か否かは分かりませんが、新しい世代の人々はこの効率性との間で多くのパラドックスがある“新しい地図”の上を旅し、色んな発見をしていくことでしょう。この30年の経験から思うのは、新しい地図は常に素晴らしい旅をもたらしてくれるということです。
石坂:ありがとうございます。では、会場から監督への質問を受け付けます。
質問者:監督方の国では映画製作のための助成金システムがさほどないと思いますが、初期においてはどのように製作費を工面されましたか? また、若手制作者に対して資金面でどのようなサポートをされているのでしょうか?
クー: 32年前、フィリップ・チア氏によってシンガポール国際映画祭(SGIFF)が始まり、その一部門として短編コンペができ、多くの若手映画制作者が応募するようになりました。制作者にとって何よりも重要だったのは、海外から多くの映画祭プログラマーがシンガポールに来て東南アジア映画を観るということでした。1994年、私も短編映画『痛み』をSGIFFに出品したところ、映画祭から電話があり、国内では上映禁止だが、審査員が外国人だからコンペへの出品は許可すると通達されました。結果、本作で特別賞を獲得し、副賞でコダック社による短編映画のポスプロ援助を貰ったのですが、既に沢山の短編を撮っていたので、長編映画を作るチャンスだと思い、スポンサーに「もう少し予算をもらえれば長編映画を作り、皆さんをクレジットします」とお願いしました。それで出来たのが『ミーポック・マン』(95)です。シンガポールの映画界は50年代にショウ・ブラザーズが黄金期を築いたものの、70年代以降はすっかり廃れていたので、好機でした。本作はベルリンやヴェネチアなど多くの海外映画祭に招待され、海外配給も実現でき、シンガポール国内でも成功しました。当時、国内のテレビでは無味乾燥なものばかりが放送されており“本物”のシンガポールは見られなかったので、生粋の言語や台詞を使った本作は新鮮でした。この成功により、他の制作者たちも短編映画、そして長編映画を手がけるようになりました。そして、『12階』(97)を監督したのち、私は政府による資金援助の重要性を考え、政府に白書を提出しました。その結果、1998年にシンガポール・フィルム・コミッションが出来ました。
だから今は助成金が役立てられていて、とても良い状況だと言えます。しかし、ブー・ユンファンやロイストン・タンなどの映像作家のプロデュースをしてきて痛感するのは、シンガポールの人口の小ささです。全体で600万人、永住権を有する人はその半分です。だからシンガポールの映画は低予算で作られねばならず、海外の映画祭マーケットに入って世界に流通させなければなりません。私が代表を務めるZhao Wei Filmsでは若手作家の作品をプロデュースだけでなく、商業映画の製作も重要な柱で、自国内やマレーシアといった一定の観客数がいる地域に向けてホラー作品や商業映画も手がけています。
私にとって映画とは、常にストーリーテリングです。この小さな国から、ヨー・シュウホァやカーステン・タンなど有能な監督が出てきていることは素晴らしいことなので、彼らを支えるフィルム・コミッションの維持は重要です。昨年、シンガポールのプロデューサーが東南アジアの監督と共同製作するための助成金制度も新設され、制作者の世界進出を後押ししています。
メンドーサ:私の場合は偶然なきっかけで、友人の誘いで映画作りを始めました。でも資金は足りなかったので、広告業界で働いて得たお金を注ぎ込みました。それでお金が戻ってくることはありませんでしたが、その時すでに映画が自分にとって単なるキャリアではなく、運命であり残りの人生を賭けるものだと気づいていたので、諦めることはありませんでした。まだ無名でしたのでとても大変でしたが、どうしてもやりたければ道は切り開けます。だから今度は若い制作者が自立できるよう今サポートしています。
いまフィリピンには映画の製作援助をする組織もあり、2万から4万米ドル程度のシード金を提供する映画祭が多くありますが、その数は他国と比べても多いと思います。我々が運営するシナグ・マニラ映画祭でも、国内の映画制作者を対象にした企画公募で、映画制作を始めるための4万米ドル程のシード金を提供しており、毎年多数の企画が寄せられます。企画者はシード金を得たのちに他のプロデューサーを探して残りの資金調達をすることも可能です。資金が潤沢でなければ、低コストで作れば良いのです。何よりも大事なのは、形式ではなくコンテンツ、ストーリーなのです。この他にも、友人に協力を仰いだり家族から何かを借りたり、今は無理ですが、カメラ代を後払いにしたり…、フィリピン独特の文化もあります(笑)。肝心なのは、映画を作る方法を探すこと、それに愛想を尽かさないことです。
最近では、フィリピン映画開発審議会(FDCP)も国産映画のプロモーションに積極的で、投資家や映画製作者の関心を集める施策を色々行っているので、それを活用することも可能です。あらゆるものをかき集めれば、映画を作る方法は見いだせると思います。
ヌグロホ: フィルムメーカーの生存競争は大変ですが、素晴らしいものです。私はいつも自分が木を育てる農夫だと例えるのですが、木を植えるのに適した土地であるか、生長に必要な水にたどり着けるのか、知らなくてはいけません。映画におけるアイディアというのは、木や根っこと同じで、良いものであれば必ず水=資金の拠り所を見つけ出せるもので、これが重要です。19本ある自分の監督作品のうち、映画会社がプロデュースしたものは2本だけで、3割はNGOの出資で出来ました。社会政治的な作品であればNGOに資金を募りますし、反原理主義のものであればそれにふさわしい団体を探します。また、『サタンジャワ』や『オペラ・ジャワ』のような芸術的な作品では、芸術振興を行う外国の組織に、また大衆向けの作品では映画会社に資金を募るなどして、作品毎にアプローチを変えています。資金調達は、映画制作において終わりのない探求ですが、農夫のように信じることをやめず、色んなアイディアという木や種をひたすら蒔いていくものです。どれだけ時間がかかるかとか、成功するかということに縛られず、色んな土地や組織に種を蒔いて、木の生長を待つ。上手く育たなければ、工夫する。そうすれば4年後に結実するかもしれないし、1か月や2日で資金を得られることもあります。資金調達の方法は色々あるので、失敗ばかりにとらわれず、木の生長を愛情深く見守るように向き合っていけば、美しい景色が見られるはずです。
質問者:今後、他国との共同製作を考えている日本の制作者に対して助言はありますか?
メンドーサ:相手国の人たちの才能や能力を尊重し、学ぶことです。一般的にフィリピン人は何かを頼めば応じてくれるところがありますし、そもそも残業という概念や組合がないので、長く働いても残業代についてうるさく言うこともありません。それを悪用し、労働力を搾取する人もいるくらいです。一方、計画通りに物事を緻密に進める日本のスタイルは勉強になりますが、あまり身構えずにもっと自然体でやるのも良いかと思います。予定していた通りにやらないと、日本の方はすごくパニックになるところがありますので。でも最終的には順応していけば物事はうまく運びます。
石坂:今日は皆さんから本当に様々なお話をしていただきました。ありがとうございました。
【2019年7月3日、東京芸術劇場 ギャラリー1にて】
シンポジウム第一部については以下でお読みいただけます。
映画分野における次世代グローバル人材育成について――「東南アジア映画の巨匠たち/響きあうアジア2019」
モデレータ:石坂 健治(いしざか けんじ)
東京国際映画祭「アジアの未来」部門プログラミング・ディレクター/日本映画大学教授。1990~2007年、国際交流基金専門員として、アジア中東映画祭シリーズを企画運営。2007年に東京国際映画祭「アジアの風」部門(現「アジアの未来」部門)プログラミング・ディレクターに着任して現在に至る。2011年に開学した日本映画大学映画学部教授・学部長を兼任。