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国際交流基金アジアセンターは国の枠を超えて、
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映画制作におけるコラボレーションの未来図――「東南アジア映画の巨匠たち/響きあうアジア2019」シンポジウム

Symposium / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

日本との協働経験をふりかえる

石坂健治(以下、石坂):本日は、近年、様々なかたちで日本や海外との共同製作に取り組んでいるワールドクラスの監督3名を迎えて、映画分野における共同製作について話していきます。まずは、これまでどんな共同作業をしてきたのかお聞きします。エリック・クーさんは、今年劇場公開された『家族のレシピ』で日本と共同製作をしましたが、どのような取り組みでしたか?

エリック・クー監督(以下、クー):数年前、プロデューサーの橘豊さんに日本とシンガポールの友好50周年記念に共同製作をしたいと熱烈なアプローチを受けたのが始まりでした。かねてから私は日本の文化、食べ物、芸術に非常に関心を持っており、劇画家・辰巳ヨシヒロの半生を描いたアニメーション『TATSUMI マンガに革命を起こした男』(2010)を手がけました。だからこのオファーを受けた時はとても嬉しくて、食べ物と愛と赦しについての映画を作ることになりました。撮影では初めて高崎フィルムコミッションと取り組み、配給はフランスの「MK2」と連携しました。日本とシンガポール間の強い物語を作るプロセスも重要でしたが、一番興奮したのは、日本とシンガポールのクルー・キャストと一緒に行った撮影です。日本での撮影後にシンガポールで撮影したのですが、その際に日本のクルーが自主的に参加してくれたのにはとても感動しました。非常に強い友情が築かれたと思います。
また、本作がきっかけで主演の斎藤工さんととても親しくなり、HBOアジア(ケーブルテレビ放送局)のホラーシリーズ「Folklore」で、今度は私がプロデューサー、斎藤さんが監督として協働しました。斎藤さんは監督としてもとても有望ですが、本人がホラー作品をやりたいか自信がなかったので、引き受けてくれたときは正直驚きました。これは、米ドラマ「トワイライト・ゾーン」へのトリビュート的なオムニバスで、アジアから6人の監督が参加しています。皆私の友人で、各エピソードをそれぞれの国の母国語で作ることにこだわりました。アジアでは幽霊の存在が広く信じられていて興味深い民話も多いので、他のクリエイターとストーリーを考案するのがとても面白かったです。どのエピソードもその土地特有の精神が反映されて個性的です。
アジアには独自の映画作りがあり、素晴らしい映画作家が沢山いるので、もっと一緒に仕事がしたいという探求心が芽生え、いま「人と食」をテーマにした新しいシリーズ「Foodlore」に取り組んでいます。まず作品のアイディアに対するHBOのフィードバックを経て、執筆するという流れですが、基本的に監督に全て委ねています。斎藤さんの回は高崎市で撮影されました。皆が本当に楽しみながらやっているので、今後も色んなシリーズを作っていきたいです。ここには未来が感じられますし、動画配信で新たな表現方法を求めていかなくてはいけないと思います。

シンポジウムのエリック・クー監督の写真

石坂:ありがとうございます。それでは、続いてブリランテさんに、3年前の『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』の一篇「SHINIUMA Dead Horse」での日本との協働経験から伺います。

ブリランテ・メンドーサ監督(以下、メンドーサ):2015年、監督のオファーを受けた時はどこで何を撮るか全く分からなかったので、同年東京を訪れた際に、在日フィリピン人への取材を行い、日本で不法労働をするフィリピン人の物語のアイディアが生まれました。帰国後も取材や調査に時間を費やしました。また、雪のない国に住む我々にとって、雪は特別なものなので、物語の舞台を冬の北海道にしました。北海道でのロケハンや撮影はとても興味深いものでしたが、私の映画の作り方は日本の組織立ったやり方とはだいぶ違うため、最初は苦労しました。普通は脚本に基づいてロケーションや小道具、衣裳などを準備していくものですが、私は脚本に沿わずに即興的に作るので、日本の受入側も大変苦労したと思います。また、現場では照明を持たず、三脚も殆ど使わず、俳優にはアシスタントもおらず、クルーも非常に若くてとてもプロには見えないので、日本人スタッフからはちゃんと作品が撮れるのかという心配の声もあったようです。撮影初日から予定していたロケとは異なる撮影を始めたので、大変だったと思います。でも最も面白かったのが最終日で、大雪に見舞われて帰りのフライトが欠航となってしまったのですが、皆にお願いをして急遽、吹雪の中で撮影を敢行しました。実はこれが重要なカットになり、新たな物語の続きが生まれたのです。最終的にこの作品が何とか出来たのは、お互いが手を組んで協力しあえたからで、私たちが組織立った日本のやり方を学べば、日本側も私たちのやり方を信頼してくれたのです。それは非常に良い学びの経験でした。
最近、プロデューサーとして、福岡と佐賀、それぞれのフィルムコミッションと組んだ映画を作りました。プロデューサーとして他の監督と組むときは、限られた予算内でちゃんと作品を完成させることに集中しますが、自国のクルーはお互いによく知っていて低予算で作る方法を分かっているので、楽です。ただ、外国で撮影することと自国ですることは全く違います。当然、自国では色々とコネクションがあるので、低予算でも自分の希望する場所に行くことができますが、外国ではそうは行きません。その土地のルールに従い、撮影許可や倫理観、仕事の仕方などにも気を払います。でも、私にとっては他者との協働を学べる機会です。決して妥協をすることなく、学び取ることが重要だと思います。
この他にも東京で撮影予定の作品もあるので、私を日本で見かけることが沢山あると思います。またこの美しい国で撮影できるのを楽しみにしています。

石坂:複数のプロジェクトを手がけているということで、すごく楽しみです。それでは次にガリン・ヌグロホ監督にお聞きします。監督は、日本人アーティストとの協働で、昨日、サイレント映画『サタンジャワ』の上映と立体音響コンサートを実現されました。

ガリン・ヌグロホ監督(以下、ヌグロホ):私は『オペラ・ジャワ』(2006)以来、10年以上にわたって「エクスパンテッド・シネマ(拡張映画)」*1 の開発に取り組んでおり、昨年、本作を基に作ったダンスミュージカル三部作がヨーロッパを回り、美術展がパリとミュンヘンで行われました。今回、自身のプロダクションとメルボルン・アート・センターとの共同製作に、国際交流基金アジアセンターとの協働が加わり、サウンドアーティストの森永泰弘さん、インドネシア人と日本人で構成された演奏家とダンサー、そして歌手のコムアイさんが参加し、『サタンジャワ』の上映コンサートが実現しました。アジア文化独自の視点として、ダンス、歌、音楽、ストーリーテリングという4つの共通した要素が重要な役割を担っており、アジア内のコラボレーションを促進していますが、『オペラ・ジャワ』『サタンジャワ』では、これらの要素を膨らませてエクスパンテッド・シネマに取り組みました。
アジアの舞踏や歌の世界では、記述よりも口承によって文化が伝承されてきた背景があり、その創作において即興性や自発性が大事とされてきました。例えば、インドネシアの伝統芸能ワヤンゴレ(人形演劇の一種)では、最初に舞台に到着した演者がヒーロー役、遅れた人が敵役というように、来た順番で監督から公演直前に役を割り当てられます。これは一見思いつきでやっているように見えますが、ダンサーたちは全ての登場人物の特徴と物語の構成を全て熟知しているので出来るのです。これこそがアジア文化における視点の豊かさだと思います。アジアには、物語の伝え方が多様にあります。今回も、公演二日前になってやっとコムアイと舞台の最後の調整をできましたが、彼女はすぐにそれに応じてくれて、素晴らしい歌声を披露してくれました。
アジアにおけるコラボレーションでは標準となるものがなく、その土地特有のストーリーテリングや舞踊、音楽、表現のかたちがあり、それ自体全然違うものでも、共通するクリエイティビティの源を持っています。『サタンジャワ』もホラー映画のようですが、ここで描く神秘主義はアジア文化に強く根付いているもので、様々な芸術で表現されてきました。ヤス(森永泰弘)もインドネシアでのフィールドワークを通じて、現地の芸能から音のインスピレーションを得て、美しいコラボレーションが出来ました。アジアの文化はいま、演技やストーリーテリング、キャラクター、さらに自発性や創作性が非常に豊かな保存庫になっていると思います。

*1 従来とは違う方法・形態によって上映される映画。サイレント・モノクロ映画『サタンジャワ』は、生演奏付きで上映するために作られた。