オムニバスで生まれた有機的な関係――『アジア三面鏡2018:Journey』監督シンポジウム

Symposium / Asia Hundreds

ミャンマーのいまの記録を追求した『碧朱』(松永監督)

石坂:松永監督に『碧朱』についてお聞きします。このタイトルは中国のことわざなのか、あまり聞いたことの無い言葉です。

松永:これは私が作った造語です。人生(のステージ)は春夏秋冬で例えられますが、青春という言葉があるように、さらに色で例えることができます。私が見た今のミャンマーは、青年から成熟して成人になっていく段階、春から夏、青から赤に変わる、これから本当に力を蓄えていく国だと思いました。色の変化で、国の成長や変化を表現してみました。

石坂:本作にはヤンゴン市内の環状線を走る電車が登場していて、日本みたいに速くはないですが、良いリズムで「速さ」というのが物語の中に入っています。シナハン(シナリオ・ハンティング)、ロケハン(ロケーション・ハンティング)から綿密に旅をされて、どのような風景との出会い、体験があったのでしょうか?

松永:デグナーの脚本を読んだとき、そこには既に確固たるものがあったので、私は彼女とは違うアプローチで、自分がその土地に下り立ったときに何を感じるか、自分の中のドキュメント的な瞬間を映画に封じ込めていこうと思いました。それで実際にミャンマーを訪れたときに、いまの日本には無いものや既に変わりつつあるものなど、いろんなものが刺激的で、なるべく今のミャンマーを広く、広く記録していきたいと思いました。その中でもとても象徴的だったのが、時間の考え方でした。いまは効率の良さ、1秒2秒のタイムを削ることが商品の売りになるわけですが、果たしてそれが本当の豊かさなのかということを改めて感じたのです。

映画『アジア三面鏡2018:journey』『碧朱』のワンシーン
『碧朱』

石坂:本作にはヤンゴンの駅や船着き場、マーケットと、いろんな場所が出てきますが、冒頭に登場する電車の音は相当インパクトがありました。撮影や音についてお聞かせください。

松永:撮影監督を務めたのは中国出身の高詩熠(コウ・シイ)*2 さんで、かつて木村大作さん、リー・ピンビンさんの下で勉強していた方です。今回、ドキュメンタリーを撮る感覚で、自分の作家的な瞬発力を試してみたいと思い、初めて自分で基本的なレンズとアングルを決めて、それを高さんが具体的に切っていってくれました。

*2 北京出身。2007年に日本映画学校(現日本映画大学)の撮影・照明コースを卒業後、株式会社東宝映画に入社。キャメラマンの木村大作に師事する。2009年に中国へ帰国し、台湾の撮影監督リー・ピンビンの下につき、数多くの映画の撮影を担当している。

石坂:先日、行定勲監督と話していて、『恋恋風塵』(監督:ホウ・シャオシェン、撮影監督:リー・ピンビン)みたいな風景だと言っていました。

松永:それはちょっと褒めすぎかもしれませんが、今回現地のプロダクションチームが頑張って全ての場所で撮影許可を取ってくれたおかげで、線路上や電車の中にカメラを置き、広い画を撮られたことが魅力でした。これはいまの東京では絶対に出来ないことです。もしかしたらエドウィン監督が今回感じたことかもしれませんが、いま日本でロケの許可を取るのは本当に大変で、東京を広い画で映すことは商業映画では難しく、狭い画で撮っていくしかないんです。だから画が狭くなる分、スクリーンで観る必然性も無くなっていくことに危惧をすごく感じています。音に関しては、ヤンゴンは音がとても豊かなところでした。最終的な音編集は、マレーシアのパインウッドスタジオで、(本シリーズ)第一弾で(ブリランテ・)メンドーサ監督作品のミキシングも担当した石坂紘行氏に依頼し、完全に分業で音を作りました。空間の音設計とツールの使い方がいままでに体感したことのないものだったので、すごく面白かったです。

石坂:主役を演じられた長谷川(博己)さんも撮影を楽しんでいましたか? それからヒロインのナンダーミャッアウンさんはヤンゴンの国立芸術大学の学生ですよね。

松永:長谷川さんは役者としてのオーラというか、自己主張を外せる人なので、日常の中のひとりの人として生きてもらいたいと思って、役作りをせずに見たもので感じて、そこに立ってくださいという風にやらせてもらいました。ヒロインは、プロの役者のオーディションも行いましたが、長谷川さんの相手がいわゆる芝居がかったものをすると、彼も芝居をせざるを得なくなるだろうと懸念して、等身大に近づけるためには素人が良いと思い、芸術大学で色々と声掛けさせてもらって、オーディションで彼女に決めました。

映画『アジア三面鏡2018:journey』『碧朱』の撮影風景1
『碧朱』撮影風景

石坂:お二人は本作を観ていかがですか?

デグナー:私のように内モンゴルの中でも都会育ちだと生活のペースが非常に速いですが、他方で内モンゴルには草原もあります。松永監督の作品ではスピードというものが抽象的に描かれていて、私たちそれぞれの置かれている状況を考えさせられました。同時に、私の作品はとても会話が多く、ペースも速いですが、松永監督の作品は非常に落ち着きがあり、ゆったりとしていてストーリーもシンプルだけれども、背景は複雑で、とても素晴らしい作品だと思います。

エドウィン:時の流れが非常に示唆的に描かれているという点、そして時を含めて異なる認識や感覚を持つ二人が出会ってコミュニケーションを取ろうとする、お互いを分かろうとする、その試みが印象的でした。私が一番好きなのは、主人公がヒロインの家に招かれたときに停電が起き、家族が「ハッピーバースデー」を歌うシーンで、とても可愛らしくて楽しい。お互いの関係性はぎこちないけど、そこに楽しさがある。人々がお互いを理解しようとする試みがどんなに美しいことか思い起こされました。また、この三篇を通して、それぞれ映画としての撮り方、扱い方は異なるけれど、何か私たちに欠けているものがあるという感覚、何かを渇望する気持ちが共通しているのではないかと思いました。

映画『アジア三面鏡2018:journey』『碧朱』の撮影風景2
『碧朱』

石坂:停電を「ハッピーバースデー」と楽しんじゃう、発想の逆転みたいなことは取材の中で見つけたのですか?

松永:あれはオリジナルです。ただ、リサーチ時もたびたび停電しており、でも人々が全く動じずに普通に生活して楽しんでいるのを見て、すごいと思いました。日本だったらパニックになって、おそらく電力会社にクレームですよね。状況を受け入れ、ポジティブに変換していくことは映画作りにも通じていて、監督もそうあるべきだと思っています。何か問題が起きたときにそのことに固執しすぎると結局、縮小するしかしない。晴れのシーンが撮りたかったけど雨でも絶対に撮らなきゃいけないというときに、雨をどう活かしていくか。ミャンマーを訪れてみて、そういう豊かさを持っている人たちが多いと思いました。