「ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。
アジアのオーディエンス、アーティストから受ける刺激
柴 那典(以下、柴):w-inds.が初めて海外で公演をしたのは、もう15年近く前のことですよね。
橘 慶太(以下、橘):そうですね。2004年に台湾で初めて公演がありました。
柴:これまでの活動を振り返って、海外公演はなんらかのターニングポイントになりましたか?
橘:それはもう大きかったです。今の音楽性や方向性になったのもアジアに出向いていったことがきっかけなので。最初の台湾の公演はその先のw-inds.をすごく変えてくれたという気持ちはあります。
柴:最初に海外でライブをやった時には、どんな刺激がありましたか?
橘:デビューした頃は自分たちが海外で活動するイメージはまったく持っていなかったんです。でも、実際にライブをやってみると、音楽が言葉の壁を越える瞬間を初めて体感した。音楽ってすごいエネルギーを持っているんだと感じました。あとは、フェスやイベントで呼ばれたり、いろんなアーティストと一緒に音楽をやることで刺激を受けたこともあります。そうやって自分たちの考えが変わっていったところはありますね。
柴:アジア各国でライブをされていると思いますので、それぞれの国や地域についての印象も伺えればと思います。まず台湾はどうでしょう?
橘:台湾は本当に親日というか、人が優しいんです。音楽もすごく愛してくれてるし、文化もすごい勉強してくれている。愛してくれている印象は常にあります。
柴:韓国はどうでしょうか。
橘:韓国では、自分たちのやりたいことと求められていることが近いという印象がありました。最初にライブをやったのは2006年だったんですけれど、ライブのためにダンスパートを作ってブレイキンというダンスをやったときに、お客さんがすごく湧いて。それが個人的に嬉しかったのを覚えています。ライブにもすごく手応えがありますね。
柴:中国の音楽シーンも最近になって変化していますよね。どんな印象がありますか。
橘:中国は、経済もそうなんでしょうけど、音楽も急成長しているんです。以前はダンス&ボーカルグループやヒップホップグループは多くなかったんですけど、今はすごく格好いいグループが増えている。目まぐるしい成長を遂げている印象がありますね。毎年、行くたび行くたびに格好いい新しいアーティストが出てきているのを目の当たりにして、少し危機感を覚えたりします。
柴:東南アジア各国ではどうでしょうか?
橘:ここ最近では、ベトナムに行く機会が多かったです。ベトナムは人間性がとても温かいんですよ。初めて行ったときも、たぶんw-inds.のことなんて知らないだろう人たちも温かくライブを見てくれるのを感じました。街を歩いていても、そういう人の優しさを感じます。
柴:東南アジアの音楽シーンの成長も感じますか?
橘:そうですね。それこそアジアのフェスで仲良くなったアーティストがいるんです。インドネシアにアグネス・モニカという女性ソロシンガーがいて。歌って踊るパフォーマーなんですけれど、その子はめちゃくちゃ格好いいですね。サウンドもティンバランド*1 がプロデュースしてたりして、本格的なんです。
*1 米国の音楽プロデューサー、ラッパー。アリーヤ、ジャスティン・ティンバーレイクなどのプロデュースで知られ、90年代後半から2000年代にかけて数多くの全米NO.1ヒット曲を送り出した。
柴:Agnez Moという名義で活動されているんですよね。僕もふとしたきっかけで昨年のアルバム『X』を聴いて、すごく洗練されたサウンドで驚いた覚えがあります。
橘:最初に会ったのは2008年に韓国であった「アジア・ソング・フェスティバル」というフェスだったんです。その5、6年後に再会したら、音楽性があまりに格好よくなっていて。連絡先を交換して、友達になっちゃいました。
柴:他にも気になる人はいますか?
橘:格好いい人たちは沢山いますね。この間ベトナムに行った時もĐông Nhi(ドン・ニー)という女性アーティストを知ったんですけれど、彼女はモデルみたいなルックスでゴリゴリのトラップ・ミュージック*2 をやってるんです。すごく面白いです。
*2 ヒップホップから派生したジャンルのひとつ。重低音と変則的なビート、細かく刻むスネアドラムやハイハットシンバルが特徴。
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