宗重博之――日本とベトナムの舞台芸術交流に向けた挑戦

Interview / Asia Hundreds

言葉に頼らない演劇を作りたい

羽鳥:今はどういった形で、日本とベトナムを行き来されているんですか。

宗重:今はホーチミン人文社会科学大学の学生です。昼間はベトナム語学科でベトナム語を勉強して、夜はホーチミンの演劇団体の舞台を観に行っています。

羽鳥:ハノイでテキストにされる、チェーホフにしても、ブレヒトにしても、翻訳はもうかなりあるのですか。

宗重:翻訳は両方ともそろっていますが、それをそのままやるわけにはいかないので、上演台本を作り変えなきゃいけない。目標にしているのが、言葉に頼らない芝居ができないだろうかということです。海外で上演する場合、日本語でやれば字幕で対応するのが通常ですね。しかし、日本人とベトナム人が一緒に演じるのならば、ベトナム語と日本語が混在して、内容が分かるような演劇を作りたい。最終的には、日本人かベトナム人か分からないような関係に持っていきたいと思うんです。

羽鳥:イメージされてる、日本人かベトナム人か分からないようなっていうのは、その上で、それぞれの得意な言葉でしゃべっているということですか。

宗重:同化していくということです。出演者は日本語でしゃべったり、ベトナム語もしゃべったりする。しゃべることを目的にするのではなく、気持ちでつながる部分を大切にしたいと思います。本来演劇は言葉が中心で、複雑なことは当然言葉に頼るしかないけれども、『イエスマン、ノーマン』に関しては、シンプルな言葉をつなぎ合わせて場面をつくっていきたい、と思っています。

羽鳥:それは、ゆくゆくは、の目標っておっしゃっていたけど、もう『イエスマン、ノーマン』で割と見えているのでしょうか。

宗重:そうですね。『イエスマン、ノーマン』の先にもう一つ、『処置』という作品があります。『処置』は、まさに国、政治、社会国家、共産主義ということに対して核心を突いている作品です。それが上演できたら、国と演劇の関係は大きく変わると思います。でも時間がかかりますね。

劇場だけが演劇の場ではない

羽鳥:そうやってチェーホフやブレヒトをやりながら、演劇の中身がどんなに変わっていっても、見せる場所であるとか、想定できる観客がやっぱり変わらないところもあるんじゃないかと思うんですけど、そういうところはどう働き掛けていかれるんですか。

宗重:演劇の捉え方を変えていく、ということだと思います。劇場の舞台でやっていたものを、日常の中に持ち出すということです。演じている人たちが見ている人たちに何かを与えるという作業ですね。例えば、選挙のときに街頭演説しますよね。あれは演劇じゃないんだけども、演説者が聴衆に何かを与えることができて、なおかつ聴衆からリアクションが返ってくる関係ができれば、それは演劇として成立していきます。村の祭りでもそうですけれども伝統劇のなかに現代的なものも入ってくるような関係ができれば、伝統劇はどんどん進化するでしょう。劇場は確かに必要ですけれども、劇場だけが演劇の場ではないということをもっと追及したいです。

写真
ホーチミンで日本語を学ぶ人たちを対象にしたワークショップ
Photo: 宗重博之

アジアの演劇の面白さを発信していきたい

羽鳥:ベトナムと東南アジア諸国間の演劇のコミュニケーションというのは、あるのでしょうか。

宗重:ベトナムドラマ劇場は、シンガポールの演出家を招いて交流していますが、演劇のコミュニケーションにはまだ至ってないです。PETAのワークショップは入り込んでいないですね。

羽鳥:でもきっと、宗重さんの経験が、それこそ、PETAとの20年間の活動を含めてですけどきっと使える、差し込んでいけるのかなという気もしますが。PETAの人たちを紹介しようとか、そういうことは考えていらっしゃらない?

宗重:今は、考えていないですね。

羽鳥:それは、違う方向に発展していくだろうと思ってるからでしょうか。

宗重:発想がなかっただけです。

羽鳥:せっかくなので、そういう取り組みも。

宗重:そうですね。

羽鳥:われわれよりもベトナムに近い国があるわけですから。

宗重:一番近いのはカンボジアとラオスですが、そこの演劇はまだ知らない。ラオスとカンボジアには、影絵とか伝統舞踊劇はあると聞いているのですが、現代劇があるかどうかは分からない。その辺を調べた上で、ネットワークをインドシナ半島に拡げていきたいですね。タイとミャンマー、マレーシアとシンガポールを含めた、インドシナの中で演劇がどういうふうに絡み合っていくのか、あるいはそこから新しい演劇が生まれてくるのかどうかっていうのは、まだまだ先ですが、そこまで視野に入れてベトナムと付き合っていくことが面白いと思います。

羽鳥:ぜひ、情報を共有させていただけたら、勝手ながらうれしいなと思います。

宗重:とにかく、演劇好きの皆さんにはアジアに行ってもらいたい、何でもいいから興味を持ってほしい。アジアに行って、ダイレクトで交わる方法を選んで、そこで感じたものを大切にしてほしいと思います。交流するときに理論とか知識はいらないです。それは何のエネルギーにもならない。自分で感じたことが次の行動に移るわけだから。何かを感じ取って、どう動くかということの方を大切にしてほしいと思います。
私が演劇を始めたきっかけはブレヒトであり、西ドイツに行って交流したので、常に西欧の演劇というものが頭にありました。どうしても演劇の目は、イギリス、フランス、ドイツとか、ロシア、アメリカのほうに向いてしまいますが、アジアには、ヨーロッパに劣らない魅力があります。アジアに行けば楽しい、とても面白い人たちがいるというのを伝えないといけない。その情報がないんですよ、ベトナムは特に。還暦を過ぎた私は、ベトナムで演劇を楽しんでるという情報を、どんどん発信していきたいです。

インタビューに答える宗重さんの写真
インタビュー中の羽鳥氏の写真

実は演劇が好きではない(!?)宗重さんを動かす唯一のものとは

羽鳥:どういうモチベーションで、少なくともあと5年、やられようと思っているのでしょうか。

宗重:いろんな場所でいろんな人たちと交流をしたい。そのために演劇があるというのはずっと私の中にあります。演劇を見たいという人がいたら、劇場がなくても上演しようという発想で黒テントは大型テントを持って全国の旅を始めましたが、その精神が私の身体に染み付いているんです。それが海外に向かっているということです。
数年前に黒テントは世代交代をしましたが、またアジアに目を向けて、交流をしてほしいと思っています。ただ、私は演劇交流の私有化はしたくない。海外との交流をやる上において、切り開いた道は若手の劇団とか若い世代に開放したいと思います。
私は、演劇がそんなに好きじゃないんです。でも、演劇好きの人たちにとても関心があります。何で演劇をやっているのか、っていうのがみんな違っていて面白い。ベトナムの人たちも国家の指導下とはいえ、年がら年中演劇に関わっています。理由はどうあれ、若い人たちが、演劇を本当に必要としていれば、一緒に何かしたくなる。一生懸命やっている人たちがいれば仲間に加わりたくなる。ベトナムとの交流は1年間で終われるものでもないし、やっぱり5年ぐらいの時間がかかります。

羽鳥:ぜひ20年!5年と言わずぜひまた20年!

宗重:ありがとうございます。20年間続けますよ。20年後にね。なにか。

インタビュー後の宗重さんと羽鳥氏の写真

【2017年8月18日(金)国際交流基金にて】

参考情報

宗重博之「ベトナムにおける伝統・現代演劇の実態調査および日越の舞台芸術交流の促進」国際交流基金アジア・フェローシップ報告ページ

国際交流基金アジアセンター助成・フェローシップ プログラム

劇団黒テント公式Webサイト

アジアン・アーティスト・インタビュー(TPAM―国際舞台芸術ミーティング in 横浜)


インタビューアー:羽鳥 嘉郎(はとり・よしろう)
1989年ブリュッセル生まれ。演出家、けのび代表。「使えるプログラム」ディレクター(京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2013, 2014)、TPAM – 国際舞台芸術ミーティング in 横浜アシスタント・ディレクター(2015~)。TPAM「アジアン・アーティスト・インタビュー」、座・高円寺「one table two chairs meeting」などのコーディネーターとして東南アジアのアーティストと交流を深める。

編集:高橋芙実子・峯村奈津子(国際交流基金アジアセンター)
写真:佐藤基