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オンライン・アジアセンター寺子屋第8回――マジカル・イスラーム~作家が語るインドネシアの社会と宗教~

Report / Asia Hundreds

アジア・ハンドレッズのロゴ
ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

はじめに

約2億7000万人もの人々が暮らすインドネシア。そのうちの約9割がイスラーム教徒(以下、ムスリム)である。日本人には少し意外かもしれないが、その数は中東のあらゆる国を抑え世界一を誇る。インドネシアにおけるイスラームはもともと、「穏健」「寛容」と言われてきた。イスラーム伝来前、すでに現地に根付いていたヒンドゥー教、仏教、アニミズム信仰などと共生し、入り混じった信仰がその特徴だったからだ。しかし近年、徐々にイスラームの存在感が増すようになり、「穏健」「寛容」と言われたインドネシアのイスラームは、着実に「過激」で「不寛容」な方向へと進んでいっているように見える。
このような社会の変化とそれに対する深い懸念を背景として描かれた作品が、本セミナーの題材となっているフェビー・インディラニさんの2作品「イスラーム教徒になりたいベイビ」と「処女でないマリア」である。

著書を紹介するフェビー・インディラニさんの写真

本セミナーで注目されたいのは、司会の野中葉先生をはじめ、登壇者が異なる立場からこれらの作品について議論する点だろう。アラブ世界や中東現代文学に精通する岡真理先生は、中東のイスラームとインドネシアのそれを比較して作品を論じる。ズハイラ・ザーテュル・ヒマさんは、インドネシア人の女性ムスリム(ムスリマ)の立場から、同じくインドネシア人ムスリムのグフロンさんは、男性かつアーティストとしての立場から議論する。そして、私自身は、日本人として、またインドネシア語やインドネシア文化、イスラームを学ぶ一学生としての立場から本セミナーに参加した。

登壇の様子の写真

フェビーさんのユニークなアイデアはどこから来るのか?

本セミナーの題材となっている2編を読むとすぐに、内容のユニークさとその鋭いアイデアに魅了される。まずは、そのような作品の執筆をかき立てたものについて紐解いていきたい。
フェビーさんはイスラーム教徒の家庭に育った。ご両親やウラマー(イスラーム法学者・学識者)、イスラーム団体などから神やイスラームに関する様々な話を聞き、その世界観を育ててきたという。しかし、徐々に現実世界と自らの知識との乖離や矛盾に違和感を抱くようになる。神は非常に愛に満ちていて、慈悲深い存在だと彼女は言う。神は、自らがお創りになったあらゆる創造物への恩恵をもたらす存在であるはずだが、現実はどうか。その恩恵を受けるべきか否かを一部の権力を持った人間がコントロールしていた。「コロナウイルスなど恐れる必要はない。畏れるべきは神だけだ」と主張するウラマーたちが現れた。イスラーム以外の宗教を信仰する者への当たりも強くなり、政治の世界でも宗教による分断の兆しが見えた。それらは全て、自らが教わったイスラームとは相容れない現実だった。フェビーさんは、その不整合の根本や行先を知りたいという強い好奇心にかられ、このようなアイデアのもと執筆しようと思い立ったのだった。

社会問題や宗教問題をフィクション小説で書く意味とは

このように、重要かつシリアスな問題を対象としたフェビーさんだが、これをあえてフィクション小説として書く意味は非常に大きいと野中先生や岡先生をはじめとする登壇者らは述べる。

話をする野中先生の写真

社会問題や宗教問題のような深くて重い内容は、一般的にリアリズム小説として描かれそうなものだ。しかしフェビーさんはあえてフィクション小説として世に出した。これには、さまざまな効果がある。センシティブであり、事によっては人々の対立を招きかねない内容であっても、フィクション小説にすれば、柔らかなかたちで問題提起することができる。フェビーさんの作品を読めば分かるが、ポップな文体で手軽に読め、直接的に何かを批判することなく最後まで辿り着く。しかし、読後にはさまざまな思索を巡らすことになる。フェビーさんが述べるように、「一見すごく軽いけれど、実は重たい現実問題を描く」ことはフィクション小説だからこそできたことなのではないか。また、フィクションかつ短編小説という形式は、より大勢の人に読んでもらいやすい。フェビーさんの言葉で非常に印象的な「社会的な実験をしてみたいと思った」。これは、フィクションかつ短編小説の特徴を上手く活用したことで達成されたと考えられる。

中東と比較して分かるインドネシアのイスラームの特殊性

議論の中で、インドネシアのイスラームの特殊性が浮き彫りになったことも非常に興味深い。岡先生が中東のそれと比較して議論し、見い出された視点である。特に性規範に関して、「処女でないマリア」を対象に中東とインドネシアの相違が論じられた。

話をする岡先生の写真

中東現代文学で性規範を題材とした作品の中には、未だに許容されている名誉殺人に関するものがある。名誉殺人とは、婚前に男性と性関係を持った女性を一家の恥として親や親戚が殺害する行為のことだ。女性の殺人を一般的な殺人と区別しているとして、フェミサイドだと反対する人々も存在するが、そのようなメンタリティが残存していることは事実である。これらを前提としてフェビーさんの作品を読まれた岡先生は、「処女でないマリア」の主人公マリアに驚きを隠せなかったと言う。マリアは男性雑誌のモデルをしており、婚前に付き合った男性の数は多く、なんと不倫までしている。中東では考えられないことだと言う。こういったインドネシアの女性の性規範のおおらかさは、昔からなのか、現代ならではであるのか。
この問いに対しフェビーさんは、最近になって徐々に若者が性の話題に関しオープンに議論するようになっていると述べる。LGBTQ運動や性生活に対する自らの考えを述べ、表現する若者がいる一方で、未だに上の世代はオープンに話せる状況にはない。宗教的な純粋主義がより顕著になってきた状況において、性に関する話題は隠すべき対象であり、それを深く掘り下げることは調和を乱すことに繋がると考えられているからだ。つまり、インドネシアの性規範のおおらかさは、最近になって特に若者がその傾向にあるだけで、根本には未だ隠された厳格な性規範があり得る。一見すると中東より厳格ではないように見えるインドネシアのイスラームの性規範を取り巻く状況。しかし実際は、見えないところにシリアスな問題が潜んでいると考えられるのではないだろうか。

イスラーム信仰と理解の多様性

イスラームに関するさまざまな事象をよりオープンに議論する傾向があるというインドネシアの若者。そのひとりとして議論に参加されたヒマさんとグフロンさんは、イスラームの信仰や理解の多様性の観点から意見を交わした。
イスラームは、神と信者個人との一対一の関係を前提としているため、個々人により信仰実践の仕方は多様である。ある人の神との向き合い方に対して他人がジャッジすることは正しいとされていない。しかし現実はといえば、イスラームはこうあるべき、ムスリムはこうあるべきといった自らの考えを他者に押しつけたり、それによって他者を操ろうとする人が存在する。ヒマさんやグフロンさんは、そのような現実に疑問を呈したフェビーさんに共感するとともに、では実際に意見が異なる人と対峙した際どう接するべきか、そしてフェビーさんの考えを小説として広めることは信仰や理解の多様性を認めることとどのように共存し得るかを主な論点として挙げた。
これらの質問に対し、フェビーさんは一貫して、他者を変えようとしたり自らの意見を押し付けたりすることが目的ではないという。もし意見が異なる人と対峙しても、その人を自らと同じ意見にしようとはせず、共通の見解を持つことのできる部分や類似点に目を向けるようにする。同様に、小説を世に出すことは、自らの考えの正当性を主張したり、読者の意見を変えたりしたいわけではない。十人十色であるイスラームの信仰や理解に関する、自らのカラーを素直に提示することが目的である。そして、最終的には「楽しいカラーのイスラームの跡を世界に残す」ことが出来たら良いと彼女は考えている。

話をするグフロンさんの写真
話をするフェビーさんの写真
話をするヒマさんの写真
話をする浦野さんの写真

日本人やノンムスリムの読者へ伝えたいこと

最後に、このようなインドネシア社会のイスラームを取り巻く現実を題材としたフェビーさんの作品は、私たち日本人や非ムスリムには全く関係のないことなのか。もう皆さんもお気づきの通り、そんなことはない。前述のように、フェビーさんが本作品をフィクションかつ短編小説のかたちで出されたことは、この点で大きな効果を生み出している。日本人として、かつイスラームを学ぶ学生として登壇した私自身の議論においては、特にこの点に触れた。フェビーさんは、今回の2作品にはインドネシアやイスラームに精通してない人にも伝わるような普遍的なメッセージが込められていると話す。フィクションの良さは、そのような普遍的な要素を含むことができる点だ。それを受け取り、自分にも関係があると思って読んでほしい。そして、インドネシア社会やイスラーム世界のことを少しでも知って、思索を巡らせてほしい。このように語るフェビーさんの「カラー」が、本セミナーを通して少しでも多くの人の目に触れ、さまざまな社会の問題や宗教の現実に目を向けるきっかけとなることを願っている。

登壇者との集合写真

【参考資料】

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【アーカイブ映像】


会場撮影:佐藤 基